2013年11月29日金曜日

35. カルカッタ

35. カルカッタ

フルバガン
ジャムガリ
アリモデニ

パトナ、瞑想

プリサルジ、朝飯おすすめ

朝起きて、チャイ。
実に美味い。
インド人が話しかけて来て、少し散歩に出かけた。なかなか迫力のある市場なんかを見せてくれた。

バイクの3人乗りは怖かった。いつ狭い路地でボコボコにされるのかと思うと、、
しかし、彼らは私をボコボコにすることはなく、日本語堪能なラジュという男に会わせてくれた。

でまぁ、日本人との約束は断る羽目になり、マザーハウスへ。

ボランティアのアプライをした。

で、サダルストリートに戻り、ブルースカイで飯を食った。


ぶらぶらして、ゲストハウスで本を読もうとしたら、日本人が来た。楽しく話し、はっぱを吸った。

すると私は寝てしまった。

34. カルカッタ

34. カルカッタ

・東京
全ての欲求、欲望を満たそうとする。満たされないと気が済まない。

日々日常の欲望に対しては、ある程度甘んじた方が、生活にゆとりが生まれるのかもしれない。
ああ、お腹が空いた。ああ、布団が気持ち良い。ああ、エトセトラ。
そういったものに酔いしれると、人間ぐうたらになる。走り回ってた方が、魅力的だろう。



朝、うるさいインド歌謡曲で目が覚めた。選挙カー並みのやかましさと傲慢さで、御構い無しに曲を町中に鳴り響かせる。一つだけではない、いくつもの歌謡曲が別々の人によって流され、カオスなハーモニーを奏でている。クラクションとカラスの鳴き声が、野次のようにハーモニーに加わる。

うるさい。

9時にチェックアウトという妙に厳しい規則にしっかり従い、Wi-Fiを探して空港へ向かった。照りつける陽射しの下、15分ほど歩く。背中が汗で濡れ、ピタピタと冷たく重いバックパックにへばりつく。
空港へ着くも、Wi-Fiは無かった。ネットカフェでちゃちょいと調べ、サダルストリートへ。
安宿が密集しているという。プリペイドタクシーをつかい、ストリートへ。

ゲストハウスを見つける。Wi-Fiがある。なんだって、こう日本人はWi-Fiが好きなのか。SIMロックのせいだろう。

人懐こいインド人に囲まれながら、数時間ぼんやり過ごす。

コーヒーをつくる。熱湯が無いので、水で抽出。蒸らし時間を20分にして、あとはそのまま、インヴァート。豆が良いからか、フルーティでとても美味しい。

町をぶらつき、飯をくう。

途中、日本人がいた。あれ、あの時のアフロだ。久しぶりだな、と再会を喜び、一度別れ、飯を食った。

本を買った。古本屋だ。地球の歩き方東南アジアと、ベトナムビジネス、デカルトの新書と引き換えに、わかりやすい英書を頂いた。
インドのガイドブックを500で購入。高い。



33. カルカッタ

33. カルカッタ

私は何かを目指さなくてはいけない。さもなくば、面白くなれない。

相手の立場、何を目指しているか、トラウマ、習慣、考え方を理解し、印象良く接してやること。

弱味を見つけること。周囲の人間関係、苦手なもの、目がないもの。個人というのは、集団に属する一つの駒に過ぎないのだから。

インド人は変だ。
大人の体躯で、子どもの振る舞い。寂しがりやなのか、一人で居ることが少ない。すぐ誰かに話しかける。顔が似ているからだろうか!?高校生みたいにしょっちゅう誰かと話している。着陸するというのに、席を立ちうろうろして、スッチーに、Sit down!と怒られている。スッチーも、子ども嫌いの保育士のようにイライラしている。だが、インドの男子たちは御構い無しにはしゃぐ。精神年齢がまるで幼い。

子どもはよく、見知らぬ人をじろじろ見て、指を刺したりするが、まるで変わらない行動をする。

着陸するや否や、殆どのシートベルトが外れ、立ち上がる。そんなに急いでどうするんだ。頭がわるいのか。基本柄が悪い。ガン見してくる。

表情は、勝ち誇ったようなドヤ顔が主だ。

笑える。これで国が成り立ってるかと思うと。


空港は綺麗だった。香港から一緒だったインド人のおばさん、空港で旦那とハグ。良いね。

で、ゲストハウスを紹介してもらった。700ルピー。高い!1000円近いじゃないか!

宿の親父は、眠そうにうだうだ言いながら、部屋を案内した。
パスポートを明日の朝に渡すと言われた。大丈夫だろうか。
蚊はウヨウヨいる。部屋は広めだが、今まで泊まった中で最低のランクかもしれない。

網戸が着いていないので、蚊が凄いのだ。気候は、そこそこ過ごしやすい。

チェックアウトは9時。その辺も都合がわるい。おくだけベープのお陰で、蚊がガンガン死んでゆく。良い気味だ。

タクシーの中の興奮はおそらく、自分は守られているという安心に支えられてのものだったのだろう。今は、不安が大きい。

Wi-Fiがない。調べられない。うーむ

ハーフショットも無いであろうメーカーズマークミニボトルを、少し舌に乗せる。甘い。胃のなかまで、熱を感じることができる。
舌の上に残るのは、小ぶりの苺をかじった後の様な、草原の微かな悲鳴。


33. カルカッタ

33. カルカッタ

私は何かを目指さなくてはいけない。さもなくば、面白くなれない。

相手の立場、何を目指しているか、トラウマ、習慣、考え方を理解し、印象良く接してやること。

弱味を見つけること。周囲の人間関係、苦手なもの、目がないもの。個人というのは、集団に属する一つの駒に過ぎないのだから。

インド人は変だ。
大人の体躯で、子どもの振る舞い。寂しがりやなのか、一人で居ることが少ない。すぐ誰かに話しかける。顔が似ているからだろうか!?高校生みたいにしょっちゅう誰かと話している。着陸するというのに、席を立ちうろうろして、スッチーに、Sit down!と怒られている。スッチーも、子ども嫌いの保育士のようにイライラしている。だが、インドの男子たちは御構い無しにはしゃぐ。精神年齢がまるで幼い。

子どもはよく、見知らぬ人をじろじろ見て、指を刺したりするが、まるで変わらない行動をする。

着陸するや否や、殆どのシートベルトが外れ、立ち上がる。そんなに急いでどうするんだ。頭がわるいのか。基本柄が悪い。ガン見してくる。

表情は、勝ち誇ったようなドヤ顔が主だ。

笑える。これで国が成り立ってるかと思うと。


空港は綺麗だった。香港から一緒だったインド人のおばさん、空港で旦那とハグ。良いね。

で、ゲストハウスを紹介してもらった。700ルピー。高い!1000円近いじゃないか!

宿の親父は、眠そうにうだうだ言いながら、部屋を案内した。
パスポートを明日の朝に渡すと言われた。大丈夫だろうか。
蚊はウヨウヨいる。部屋は広めだが、今まで泊まった中で最低のランクかもしれない。

網戸が着いていないので、蚊が凄いのだ。気候は、そこそこ過ごしやすい。

チェックアウトは9時。その辺も都合がわるい。おくだけベープのお陰で、蚊がガンガン死んでゆく。良い気味だ。

タクシーの中の興奮はおそらく、自分は守られているという安心に支えられてのものだったのだろう。今は、不安が大きい。

Wi-Fiがない。調べられない。うーむ

ハーフショットも無いであろうメーカーズマークミニボトルを、少し舌に乗せる。甘い。胃のなかまで、熱を感じることができる。
舌の上に残るのは、小ぶりの苺をかじった後の様な、草原の微かな悲鳴。


33. 香港

33. 香港

朝起きる。宿を変える。アショカゲストハウス。

今日はぐうたら過ごすことに決めた。

だが!問題はゲストハウスのラウンジで起きた。

ちょっとした手違いと、融通の聞かない旅行会社のせいで、今日の深夜にはカルカッタに居ることになってしまった。

13日のチケットを取った。と思いきや、11日のチケットを予約してしまったのだ。
確かに、13日だと思ったのだが。

緊急電話番号に電話するも、出ない。チケットが変えられない。


ああああああああ


もうどうなっても良い。インドに行ってやる。インドで旅をやり直す。リセットだ。狂った歯車を組み立てなおすのだ。

それにしても、どうしてこうもゆっくりさせてくれないのだろう。何が悲しくて香港に立ち寄ったというのだ。香港らしさを何も見ていないし、感じていない。まるで、スイミングプールに来て泳がずに帰るようなものではないか!香港に着いたというアリバイすら作れないようなものだ。


目的は果たせそうにない。英語を喋るべき欧米人の親友はできていないし、まして絵すら書いていない。観光すらままならない。上っ面の視察で、何が分かると言うのだ。
いつからか生じた空回りはどうにもならない。ギアが絡まってないのだ。

嗚呼、そもそも、飛行機に乗れるのかすら疑問だ。

もう嫌だ。

どうしてこう、時間というのは、少しの巻き戻しも効かないのか。時間め!時間め!時間め!

空港で、チケットの払い戻しや変更は効くだろうか。効いたところで、高が知れている。それに、空港まで来るのに払った電車賃がもったいない。1500円近いのだ。

それにしても、電話のオペレーターの英語は本当に聴き取れなかった。メキシコ訛りに加え、電波が悪いのだ。嗚呼、腹立たしい。

香港の10万ドルの夜景も見ずに終わった。腹立たしさと良くない思い出を残し、香港を出るのか。

沢木!お前が楽しいというから来てみたが、俺は散々だったぞ!斜に構えた文章書きやがって、馬鹿野郎。マカオなんざ高くて行けるかってんだ!!!


物価の高いところだと、ほんの少しの間違いも高くつく。間違いから何かを学ぶにはリスクが大きすぎる。
リスクを覚悟せずして失敗から学ぼうとするのは、早計というものだ。学びより後悔のが大きくなってしまうだろう。


ああ、やれやれ。


いつまでも愚痴ばかり言っていても仕方が無い。今日辛うじて嬉しかったのは、美味しいコーヒーを飲んだことである。ラビットホールコーヒーは、セントラル駅にある。10分強歩き、たどり着く。家庭用のマシンがたくさんおいてある。ラボのような雰囲気だ。カウンターはなく、大きなテーブルが中央にデンと鎮座している。食卓のように人々がコーヒーを囲み、テイスティングしていた。アメリカーノは、普通に美味しかった。驚いたのは、ガチェフの水出しコーヒーの旨さである。紅茶のようでありながら、チャイのような甘さがシロップのように口の中に広がり、感動的だった。日本でもなかなかお目にかかれない。完璧なアロマとフレーバーのバランス。初めてスペシャルティを飲んだ時のような新鮮な感銘を受けた。

エアロプレスとミル、豆を700gクレジットで買い、急いで空港へ向かった。コーヒー器具は並行輸入なのだろうか、やたら高かった。1.5倍近くした。金属フィルターをオマケしてくれた。


私は今、飛行機の中だ。隣には、ダージリンからきたインド人のおばさんがいる。香港でハウスキーピングをしていたという。辞めたんだ。と言っている。

日本には、壁の概念が歴史的に薄い。城壁には、水を用いる。水が壁の役割を果たす。

32. 香港

32. 香港

作家になる上で、「ざらざらした土」が教えてくれること

朝、到着する。8時くらいか。
「ユーヒアー」
と、教えてくれる。皆、良い人に見える。空港に向かう。Wi-Fiを拾う。
飯を食べる。

昼に、ワランと待ち合わせ。
駅で落ち合う。
家に泊めてくれるのかなぁと思ったが、なんと実家暮らし。話が違うぞポンポン。

香港グルメを食べる。うどん。

公園にはフィリピン人たち。家政婦。レズも多い。セントラルを小一時間散歩。気持ちは嬉しいが、荷物が重い。

宿を探しに、重慶なんちゃらへ。
インド人だらけ。部屋も胡散臭い黴臭い。
チャイニーズのとこに決める。
部屋で小一時間ワランと話し、駅までワランを送る。良いやつだ。
彼は、25歳。オーストラリアで3年デザインの勉強をした。半年でスキルは身に付く。あと、二年間、コンペに出し、先生に褒められ駄目出しをくらしながらすごした。アメリカ人はグラフィックデザイン、ヨーロッパ人はファッションデザインに長けているという。アメリカ人は、長所をがんがん伸ばしてれば認められるから、彼らの才能はぶっ飛んでるという。
話が終わると、次から次に話題を振ってきてくれ、助かる。

駅前で、素っ気ない握手をした。彼はあまり握手が好きではないらしい。

折角の日曜日の休みを潰してしまって悪いことをしたかな。

海を見に行く。夜景だ。綺麗だ。彼女が恋しい。隣のカップルはいちゃいちゃしている。

飯を食べる。デパ地下のようなフードコートへ。ぐるぐる周るも、パッとしない。牛丼のようなものを注文し、一口食べて驚いた。牛丼だ、これ。よく見ると味噌汁までついている。

うんざりしながら、コーン、プチトマト、かたい人参の切れ端、パセリを横に除け、味噌汁まで平らげる。
ふぅ、虚しい。

帰りがけ、明日のゲストハウスを見つける。丁寧なインド人の経営するゲストハウス。ドミトリーだ。

しばらく散歩すると、サッカーの賭けに出くわした。ノミ屋のような、場所で、点が入りそうになるたびに、歓声とため息が聞こえる。

「ゴール、ゴール、ゴール、イーズィ、ゴール、、、アァ」
ごついインド人が子どものようにはしゃぐ。
そういえば、ワランはインド人が嫌いだ。ポンポンも。

スラムの話と照らし合わせると、分かる気がする。

見知らぬ土地から来た人々が、彼らの論理で勝手に故郷を汚すのだ。

31. 南寧へ

31. ハノイ、南寧

何事にも、川上と川下というのはある。遡るには、無駄なエネルギーを消費しなくてはならない。大損こいた。

朝になる。まだ眠いのに。
駅についた。プラットフォームにまでタクシーがいる。
こんなちんけな駅で体制を立て直すのは、なんとも心もとない。
駅の人に香港と言っても、通じない。地図を見せると、8時まで待てという。
係の女が、拡声器でなにやらアナウンスする。厳しい声。鬼教官のようだ。
ベトナム語が分からない。誰かにすがりたい。ストールを電車に忘れた。ああ、買い足さなくては。。

急いでいても、何も見つからんのかもしれぬ。のんびり行けば、友達も出来るだろうに。

思い通りにならないことに対する苛立ち。

当初、電車で行こうとした。電車だと、800,000ドン。寝台列車で夜の9時発、翌日、昼の9時着だ。

結局、バスのチケットを買った。あさの9:30発。南寧行き、Nanningというらしい。450,000ドン。駅近くの代理店で500,000と言われたが、直接バスステーションまで行けば値切り交渉が出来るだろうと考え、「ATMに行ってくる」と薄情にも嘘を付いた。色々調べてくれたネーチャンには悪いと思うが、仕方が無い。半額になるかもしれんのだ。バイタクをつかまえ、バスステーションへ。バイタクのおっちゃんは、陽気で、憎めない感じだ。
バスステーションへではなく、代理店へ連れてかれた。コミッション欲しさに騙された!と思った。
代理店のババは、物腰柔らかだが高圧的な雰囲気があり、値切りは一切受け付けないという感じだった。
大きなお札しか持ってないために、「金が無い、空席があるんだから乗せろ」という言い訳は通用しそうになかった。

約束なので、バイタクのおっちゃんには、30しか渡さなかった。くしゃくしゃの微笑みで情に訴え、身振り手振りで「そのポケットの10をくれよ」と地団駄を踏んだ。40.40と散々言われたが、断った。何分間も粘る中年男の交渉は、哀愁漂っていた。


勝手にホテルのトイレを使うなと、「エーニースワリー、エーニスワラー」と入口のボーイに言われた。客以外は何人もホテルへの立ち入りを禁ず。という意味だろうか。笑ってごまかした。


やれやれ、色々あったけれど、これで東南アジアはおしまいだ。

何故香港へ行くのだろう。正直、気が進まない。
今、一番行きたいところは、どこだと思う?

東京だ。

旅行代理店の地図に、Tokyoと見えた時、安ければ本気で一時帰国しようかと考えた。そうだな、3万円ならもしかしたら。

だが、私はもうバスに乗った。California Dreamingを聴きながら、気分を香港へ向ける。少なくとも、機嫌切れのパイン缶を食べ過ぎて金髪のヒットマンの赤い靴をきちんと揃えるまでは、何処にも行けない気がした。

冗談だ。

親切にも、このバスには一席に必ず一つはエチケット袋が備え付けられている。そういう道を行くのだろうか。
あまりバスの中で携帯を眺めていると、また親切に甘える羽目に陥るかもしれない。大人しく景色を眺めるとしよう。


途中休憩のレストランで気付く。バスの乗客は全て中国人だ。
痰を吐くのは文化なのだろうか、汚い。なかでも、太ったおっさんのそれは非常に気分を害する。
国境、大丈夫だろうか。


自分が小さいのか、山が大きいのか分からないくらい圧倒的な森とか。

南寧に着く。大きなバスターミナルのようだ。電車のチケットを取ろうとするも、言葉が通じない。トレインも通じない。

絵に描いて説明する。しかし、埒が空かない。英語の喋れるおばさんを連れて来てもらい、中国語の筆談も交え、ようやく理解。

全て中国語で来られるものの、私がおうむ返しするものだから、理解したと思って早口で話を進めてくる。外人だろうと母国語で貫くなんて、日本人のようである。欧米人は1人も見ない。日本みたいだ。

さて、どうやらここには電車はないらしい。バスか飛行機だそうだ。
寝台バスらしい。チケットを450元で買う。東南アジアに比べると高い。19時発、11時着。

南寧は、ネオンが煌めく大きな都市だ。池袋の様だ。だが、デカい。全てがでかい。

19時というから、あと1時間近くあるなぁ、と思っていたら、間違えに気付く。時差だ。
バスはあと10分で発車という。危ないところだ。

売店で、旨くもないパンを買い、頬張る。物価は日本とあまり変わらない。寝台バスは、そこそこ、快適だ。

明日は着くなりゲストハウスを見つけようか。いらない荷物が山ほどある。日本に送りたい。

バスはしばし揺れ、脳がシェイクされる。これで寝れる人間は、余程睡眠に飢えているか、ズボラかのどちらかであろう。


折角なので、東南アジアのおさらいをしよう。

チェンマイ、堪能した。

ルアンプラバン、ツキに見放された。色々歯車の食い違いを感じた。救いは、アレックスとの出会い。

バンビエン、思い立たなかったら、泥のように1週間は過ごしていたに違いない。悪魔の毒牙にかかる前に抜け出して、正解だったのだろう。

ビエンチャン、なんだかんだ2日居てしまった。大きな街で、バックパッカーが多かった。良いカフェはなさそうだった。あの胡散臭い日本人三人組は、元気だろうか。メコンの幸も堪能せずに終わった。

バンコク、クリスが居なければ詰まらない街だ。いや、東京の様に金で潤うやかましい街なので、貧乏な借りぐらしには向かない。欲望の街だ。焼き鳥のクオリティは、高い。

シュリムアップ
バンビエンと似た空気感。結婚落ち着く。日本人だらけだった。

ホーチミン
暗く陰鬱だが、人々の懸命な営みが感じられる。歴史の悲しい足枷が外れたとはいえ、裸足に重みを覚えているかのようだった。
観光地に、暗い歴史遺跡しかないのは、見ていて切ない。

サイゴン
陽気な街。もっと永く居たかった。人々は優しく、女はスリムだった。コーヒーも、探せばもっとあったのだろう。一週間は過ごせる。飯も、大して堪能していない。とても美味しいというネズミの肉、食べたかったなぁ。

ハノイ
5日ぐらいな過ごせるかもしれない。バンコクのように、死ぬほど暑いというわけでもない。人々は、他の街と同様、卑しい。ギターを買えば良かったかな。

途中、パーキングエリアに停まった。15分のトイレ休憩だ。すかさず食堂へ。ブッフェのように、オカズが並ぶ。肉の煮込みのようなものをチョイス。ごはんも。14元。豚の角煮に、キャベツ炒め、魚醤油くずしと言ったところか。美味い。ごはんも山盛りだ。急いでかき込み、トイレへ。トイレには、
上前一小歩
文明一大歩
とあった。男性便所特有の、一歩前で用をたして下さい。という意味の張り紙。
意味がわかるだけで、こうも嬉しいのか。勝手に分かり合えた気分になった。満足だ。

30. ハノイへ

30. ハノイへ

考えてみれば、列車でハノイへ行くなんて、ばかだ。
昨日乗ってたおっさんたちも、朝になるとどこかで降りてしまった。チケットがやたらと高かったのは、そういうことだ。サイゴンからどこどこ、どこどこからあそこ、あそこからそっち、そっちからハノイといった具合に、普通は5時間くらいかけて利用する。
だが、私は、終点から終点までだ。5時間かける6倍くらいだ。料金も単純に5時間かける6倍。値下げが効かなかったワケだ。

景色は、なんとなくの田園風景と町の繰り返しいったところだ。無論、今は真っ暗だが。熱心に目をやれば興味深いことも発見出来るだろうが、飽きてしまった。


朝飯は、言われるがままに買ったチキン弁当。ターメリックライスだろうか、ごはんは黄色がかっていて、弁当とは名ばかりだ。食品サンプルのようなフライドチキンがデンと乗っかっているだけである。弁当売りの中年女性は、寝ぼけた私から35000ドンをひったくる様に出て、駅のホームで別の客を探す。

その後は、ひたすら昼寝と読書と歯磨きを繰り返した。

目が覚める度に、向かいの乗客は違っている。
夕方。目の前の乗客は、30半ばくらいの男女だった。なんと、ベッドひとつ分しか予約していない。ガイドブックを見ながらお喋りしている。ぶさいくがうるさいなぁと日本語でつぶやき、再び二度寝した。

8時ころ。
ドリアンのような臭いのする車両を幾つも通過し、先頭車両のあまり綺麗ではない食堂で晩飯を食った。牛肉といんげんの炒めと、牛肉ラーメンを食べ、ビタミン補給にレッドブルを飲んだ。
いんげんは、タラの脂身のように柔らかくまるまる肥っていて、肉の油とよく馴染み美味しかった。
ラーメンも、しょう油だか塩だかコショウだかよくわからないが、散らした青ネギと牛肉が、空腹に染みた。

あと6時間もすれば、ハノイだ。
本も飽きてしまった。
貧困の本、村上春樹、サイゴンを舞台にしたルポルタージュ、早分かりベトナム・ビジネス。
全て、こっちで手に入れた日本語の本だ。

サイゴンを舞台にしたルポルタージュは、とても面白かった。
サイゴン陥落を中心にしたノンフィクション。そばを食べただとか、宿の婆さんが暴力的だとか、将軍の男気とか、北と南の性格の違いだとか、語彙も面白い。

ベトナム・ビジネスは、2006年の発効だ。古い。日本の実力主義に対応する、ベトナム人の毛並み主義というのには笑った。

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドを読んでいると、日本の自分の部屋が恋しくなる。コーヒーが恋しい。恋人が恋しい。髪の匂い、目つき、肩の丸み、手首、乳房、唇。

いよいよ2月になれば、浮かれても居られなくなる。私は、切羽詰まっている。もう、子どもでは居られない。大人として、働きたいのだ。人間、働くことを通じてしか、人を助けることは出来ない。詰まるところ、人を助けるということは、働くことなのだ。

幸い、私はルーティンワークが好きである。ピックで氷を割ったり、エスプレッソを淹れたり、慣れた動きの繰り返しをしていると、誇りを感じられる。

もちろん、それだけしかやらない、というのは話が違ってくるが。日常生活を支える基礎や柱の如く、単純作業は脳の活性化に一役買ってくれる。