2013年11月29日金曜日

27.サイゴンへ

27.プノンペン、サイゴン


キリングフィールドだ。
断罪 
骨。肉、皮。衣服。
ボーッとする。大体いつも偏頭痛。音声ガイドを聞きながら、クメールルージュの悪行の痕跡を、歩いてまわった。
死体のガスで盛り上がった土と5メートルの墓穴の跡が交互にあって、でこぼこしていた。
ところどころ骨や衣服が地面から姿を表し、弱々しい新芽を連想させた。乾いた土に白い骨。柔らかい風が菩提樹の葉を揺らす音。水面に黒い絨毯のような水草。鋭い爪で砂を引っ掻く鶏の親子たち。

赤子の頭を打った太い木には、数々のミサンガ?が追悼のしるしとして、結んであった。

ボーッとしながら、音声ガイドの最後の地点へ。ガイドは、テレビのアナウンサーのように、丁寧かつ人々を優しく諭すような声で、「こういった虐殺は、悲しいことに、過去何度も起こってきました。ナチスやスターリン、中国。もしかしたら今後も、起こりうるのかもしれません。」と言った。
戦争は、二度とあってはならない!と、声高に叫ばれる日本の正論とは違うものだ。
起こって欲しくないが、起こりうる可能性は否定出来ない。それが、戦争なのだろう。
いずれ、虐殺や戦争は必ず起こる。日本とて例外ではない。そんなことを実感した。
そして、何故か、私は恐怖を感じなかった。骸骨が人間のものだという気がしなかったのである。
私は私の骨を見たことがない。骨は、死の遠く先にあるもので、死と無関係で、どこか不思議な物体として認識してしまう。
人間の死体といえば、表情がある。骸骨は何を見てるやら分からない笑ったような、歯を食いしばった様な表情をしている。死肉の腐臭は風となり、今は乾いた綺麗な骨。

戦争前夜には、案外みんなのんびりウイスキー片手に馬鹿騒ぎしているらしい。


悲しい歴史遺産しか、このまちに観光すべき場所は無かった。悲しい歴史は、人々の冴えない微笑みに象徴されてる気がした。


トゥクトゥクのおっさんは、左目がおかしい中年の男だ。良いやつだった。
サイゴン行きのバスに乗り込む前、握手をしに来た。また会おうぜとのことだ。
すると、若いトゥクトゥク仲間が後ろから、またな、兄弟、バイバイのチップをくれよ!とおどけて言って来た。ばかちん。
笑顔で別れを言った。警戒して、信用し、騙され、本心が分からない連中。トゥクトゥク。
ぼられているのか、そうでないのか、分からぬままサイゴンへ向かう。サイゴンへ着いたらまた、このバスはトゥクトゥクに囲まれるのだろう。
そういえば、トゥクトゥクの説明をしていなかったかもしれない。トゥクトゥクは、スクーターにリヤカーをくっ付け、あり合わせの材料で屋根とシートをつけたものだ。私が乗ったトゥクトゥクは年季の入ったオンボロで、どこで拾って来たのか、トヨタの乗用車のシートを縛り付けている。リヤカーのタイヤも純正のものではない。スポークが、建材用の錆びた鉄棒という場合もしばしばだ。
もっとも、ドライバーの趣味で如何様にも改造が施される。バンコクでは、LEDとスピーカーを装備したデコトラ顔負けの派手なものもあった。
我々、バックパッカーは、旅の時間の1割ぐらい、彼らに世話になる。良いドライバーを見つけるのは、その旅の1割に大きく影響する。大切なことだ。


どこでかっぱらったのだろうか、堂々とPOLICEの文字の入ったヘルメットをかぶった男がスクーターで走ってる。絶対嘘だろ。笑

バス、バイク、トゥクトゥク、車、あらゆる乗り物がクラクションを頻発する。私の乗っているバスも、躾の不十分な小型犬がハエを見つけるたびに吠えるが如く、並走するスクーターを追い越す度にパーパカパーパカお見舞いする。運転手の表情は真剣そのもので、ミラー越しに映る横顔は、シューティングゲームをする子供の様に、唇を噛みしめ、キッと前を睨む。

サイゴンに着いた。
ものすごいスケールだ。広い道具が、バイクの群れで覆い尽くされている。バンコクと同じか、それ以上だ。何でもあるな、ここは!

バスが停まると、さっそくトゥクトゥクの群れ。寄って来た。
ベトナムでは、トラブルが多いと聞いていたし、この界隈にも安宿はありそうだから、少し歩いてみることにした。
すると、おばさんに呼び止められ、ドミトリーのゲストハウスへ入った。

外のクラブがとてもうるさい。お決まりのヒップホップが流れている。眠いので寝る。

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