気付いたらこんな時間
本当は気付いてすらいない。
時計がそう言ってるだけだ。
犬が幸せそうにヨーグルトの殻に鼻を突っ込む。それを見てるだけで5分も15分も簡単に過ぎてゆく。
隣の部屋で父が録画した何かを見ている。漏れてくる雑音を聞き飛ばす。
お前はお金の大切さと言うものを分かっていない!お金が泉のように湧いてくると思ってるだろ!
と、怒鳴られたものだ。
今ではきっと時間に対して同じ態度で接しているのだろう。
麻薬常習犯がかろうじて明日の昼間を見るように、
私は、かろうじて明日の夜とその次の朝くらいまでを、朧ながらに見ることが出来る。
変わらないルーティンワークを続けることは、ささやかなお金の泉を存命させるために必要なことだ。
時間を使うとかいうが、
時間は時計のお陰でただそこに在るように見えるだけで、使う対象では無い。
この歳にとって、時間とは何だろう。目には見えない。水のように注がれるものなのか。ニュートリノのように通過するものなのか。
いずれにせよ、ここの流れとあそこの流れは大きく違う。そう感じる。