2013年11月29日金曜日

26. プノンペンへ

26. シュリムアップ、プノンペン  
朝7時に目覚ましが聞こえ、隣の日本人大学生たちが目を覚まし始めた。とても体が重い。8時10分まで惰眠を貪り、荷物をまとめロビーへ。食堂で、コーラとカレーと納豆を注文するも、バスがきてしまい、かき混ぜた納豆を隣の日本人大学生へ譲り、バスへ乗り込む。
このバスは、バスターミナルまでのお迎えバスだ。中には、中流階級であろうカンボジア人女性1人。
道中、中国人と思しき男子三人組を拾い、大きなバスへ乗り換える。
バスには欧米人がたくさんいるのだろうと思っていたが、誰もいなかった。50人は容易に載せられるであろう大きなバスに、運転手を除いて我々5人のみ。途中、1人男を拾い、計6人になった。出発する前に水が配られ、ランチパックのような温かいサンドイッチが配られた。カレーが食べられなかったので、美味しく感じる。

バスは概ね快適だった。バス内にトイレがあり、Wi-Fiもついているし、席も結構ふかふかだ。実際には、冷房の風が寒すぎたり、田んぼのど真ん中ではWi-Fiが通じなかったりしたが。
8ドルだしたかいがある。本来ならば、4ドルの安いバンに乗るつもりだった。だが、くたびれているし、たまには、贅沢をと思って、昨晩12ドルのvipバスを8ドルに値切ってチケットを購入した。

中国人と思しき男子三人組は、人懐こく、いい奴らだった。実際にはマレーシア人だった。全員がメガネをかけているところをみると、さえない男子三人組の仲良し旅行と言ったところだろうか。育ちの良さそうな彼らは、一泊40ドルのホテルに泊まっている。シュリムアップに滞在したにもかかわらず、アンコールワットを見ていないという。少しもったいない気がした。大学、日本食、日本で旅行するのはどこが良いか、ありきたりな質問をされた。いつもなら、君は?と聞き返すのだが、眠かったので適当に切り上げた。

景色は、面白かった。一面田んぼで、白い水牛が暑そうに草をはんでいる。ときどき、水牛を使って地面を耕している場面も見えた。
雨季には水浸しになるためであろう、家々は高床式だ。コンクリートの柱を隅々に立てた基礎がなんとも印象的だった。竹の上に水平に家を差し込んだ様な家は、スイッチを押せば歩くんじゃないかと思えるほど、
いくつかの町を通過し、人々の営みも見えた。日焼けした子供は裸足で駆け回り、犬と雑巾の取り合いをして遊んでいた。

うとうとしていると、休憩地点についた。マレーシア人の三人とぶらぶらした。彼らが買ったマンゴーは、熟れが足りず、硬いりんごのようだった。冷えてすらおらず、アンコールワット付近の寺で買って食べたマンゴーに大きく劣った。頑張って一切れ食べ、礼を言った。彼らは、コオロギの佃煮もくれた。ふふ、少しピリ辛で美味しかった。昼間から冷たいビールが飲みたくなった。

後ろの席がガラ空きだったので、5人分の席に靴を脱いで横になった。バンビエンのチュービング用の防水バッグを枕にし、3時間ほど眠った。
今になって考えると、景色が見れず、もったいないことをしたなと思う。


プノンペンについた。バスの周りにはトゥクトゥクのドライバーがたかる。

地球の歩き方に載っていたゲストハウスで、8ドル払い、良い部屋へ。
キーの差し込み口へ、折った紙を差し込み、冷房を付けっ放しにして、博物館へ。

博物館は、拷問部屋をそのまま博物館にしたとこだ。クメール・ルージュという急進的な共産主義は少年を洗脳し、兵にした。親だろうと女だろうと、背いたら投獄。赤子は、木に何度も打ち付けて殺した。女はレイプし、乳首を切り取り、大きなムカデに噛ませた。

壁には鉄格子が走り電流が流れていたらしい。作りもの感が全く無い。
ベッドの下には、カビのような黒いシミが残っていた。しかし、少しの凹みに敏感に溜まる汚れは、カビではなく水分の名残だ。血の汚れだ。知識人たちが拷問された部屋、監獄、拷問道具が、モザイク無しで展示されていた。ガイドの英語は聞き取り辛く、熱意は感じられなかった。それがまた苛立たせた。
もし、私が投獄されたら… 
牢は煉瓦で出来た個室、直径1.5センチの重い金属棒にU字に曲げられた鉄くずで足を縛る。

漫画では、簡単に縄抜けしてしまうが、この獄から脱走した者は1人も居ない。

閉館時間ギリギリまで居て、バイタクでゲストハウスへ。

口の中が荒れているので、ビタミンを摂るつもりで野菜炒めを頼む。玉ねぎは辛いが、人参は思いのほか甘く柔らかい。マッシュルームがごろごろ。ついで、クリーミーマッシュルーム。
飯は不味い。

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