2014年1月11日土曜日

93. ウィーン

93. ウィーン
彼は庭に来た、シェーンブルンとかいう宮殿の庭。アラレのような砂利をざくざく踏みながら、広すぎる庭を一人で歩いた。
権威の象徴と一言で片付けてしまうのはつまらない。しかし、他に意味も見つけられなかった。
庭には、からすやハト、真鴨がいた。真鴨がお尻をふりふりさせながら仲間をつついて追いかけるのを見ていた。パンくずを持ってくれば良かったなと思った。
退屈さに浸るという他、形容し難かった。何故、異国の地の有名な宮殿まで来て、鴨を眺めなければいけないのだろう。しかし、歩き回ったところで退屈には変わりがなかった。
阿呆らしい。何もかもが阿保らしく見えてきた。爺さんたちに交じって写真を撮ったり、目の前でキスを始める若者を見て見ぬ振りをしたり、とにかく家に帰りたかった。
ネパールで会った中央大学の学生も、帰国を目前に控え、日本に帰ることだけが楽しみだと言っていた。そういうものなのだろうか。
もっと色んなことに感動したいと思うのだが、かったるくて一分と見ていられなかった。
峠を越えて、あとは下り坂だった。元来た道を戻る以上の馬鹿らしい下り坂だ。腹が立つほど物価が高いのだから。
全ての観光は馬鹿らしかった。まるで家に帰るために外出してるかのように本末転倒な義務的な歩行だった。
家のない彼にとって、今や、家で待ち受ける全ての日常が非日常だった。
なんたらエンパイアの華々しいご自慢のミュージアムにも興味がなかった。
彼は今夜の夕食を考えた。クリームパスタにすることは何となく頭にあった。玉ねぎを炒めて、マッシュルームを入れよう。甘い白ワイン。貝を入れてもいいなとも思った。彼は思い直した。そうだ、オリーブがたっぷり余っていたんだ。

92. ウィーン

92. ウィーン
Anton lutz
近付けばちかづくほど気付かされる印象派。
Erika Giovanna Klien
独特の滑らかさ
見るものの立場を揺るがす対象。幾層もの意味を内包する対象物。平面上に立体。
クリムト。接吻、接吻、接吻。甘ったるい接吻。優しい男の接吻。少し年老いて見える男と女。成熟した男と女。罪もない子どものように抱きあう。
彼は泣きたくなった。
彼はクリムトのその絵画に、別の思い出を探っている。彼が愛した女。そして産まれた子どもたち。接吻をしている彼は何れ逃げてしまうのだ。女の恍惚とした柔らかな閉眼からは、そうした運命を知らないナイーブさが伺える。
2人の甘い接吻に、そうした悲しい運命を読み取ってしまうのは、彼の過去、彼の生まれる前の出来事が影響しているのかもしれない。曲線が発する不協和音にえもいえぬ不安感を覚えた。
我々は生きた果物を食べ、死んだ動物を食べる。花の匂いを嗅ぐ女は官能的。
絶望。救いを求め、女に救いを求め、パラノイア。
ウィーンの冬は曇り空。醜い小人を見てしまったかのような居心地の悪さ。光が強ければ、それだけ一層影も強くなる。神も悪魔も滅多に姿を現さないこの地では、人は神を怖れるというよりもむしろ、
エレベーターに乗ると、毎回違う匂いがする。体臭や口臭や食べものとか香水の匂い。
前に乗ってた人はどんな人なんだろう。残り香からすると、自己主張の強い人に違いない。独りよがりな妄想に過ぎないが。
茄子と玉ねぎのトマトソースパスタをつくり、食べた。部屋に戻り、ツイッターやらFacebookやらインスタグラムやら、ブラウズした。何かを満たそうとしたのだ。それらをすることで、何かが満たされることは滅多に、いや、絶対にないことは経験上知っているのだが、彼はやった。この試みが別の何かを無駄にしていることも、知っている。だが、楽観的に試みた。
ストレスの解消と言いながら酒を飲むことは、根本的な解決にはなっていない。ストレスに別の欲求を上塗りすることで、ストレスの存在を隠しているだけである。
彼はシャワーを浴び、その後、ベッドの上で一時間瞑想した。足に痛みが感じられた。瞑想は彼を多少すっきりさせた。
外の世界を見るとき、誰かが私を笑っていようと、猿が笑っている。と認識すれば、怒りを感じることもなく、むしろ愛おしさを感じることができる。