2013年12月31日火曜日

82. ブダペストへ

82. ブダペストへ
美しいソフィアの街ともおさらば。
来て良かった。とても美しかった。わざわざ来るとなると結構面倒な場所だ。
朝6時に起床。たっぷり9時間寝た。夕食にでたビール一杯が、眠気を誘ったのだ。
ロビーで40分瞑想した。どうしてもあと20分が耐えられない。痛みは無い、気が散ってしまう。
インスタントコーヒーにたっぷり砂糖を入れ、ミルクを加えて飲んだ。
宿のスタッフがフレンドリーだったおかげで、少し感傷的になりながら宿を後にした。
昨日行くはずだった、バックパッカーズインとシスターズインは、潰れてしまったらしい。そして、この宿ホステル・モステルに引き継いだという。昨日の3時間の宿探しは全くの徒労だったわけだ。
東南アジアでの宿探しは汗だくになりながら。東ヨーロッパの宿探しは凍えながら。種類の違う辛さだ。
トラムに乗り、バスターミナルへ。
8:00
バス。自由席のようだ。後ろから二番目の席。隣には、賢そうな英語の喋れない青年。もう30だろうか?美味しそうにみかんを食べている。後ろには、アホなアメリカ人を象徴したような、ダミ声ハードボイルド気取りの猿二匹と、その隣に全く関係のない女性。女性はウザがっていた。彼らは、新聞売りを馬鹿にしたり、ビッチやブルシットを連発して、仲間意識を高め合っていた。どの国にもボキャブラリの乏しい人間は、そういった類の言葉を使うしかないのだ。息の臭い片方はあーむ、というのが口癖だった。ダミ声はアニッチャーを思い出させた。なぜこいつはダミ声か疑問に思い聞き耳を立てていると、ふとした拍子に地声になるのが分かった
その地声が、実に弱々しい。女性のいる手前、カッコつけているのだ。虚勢のダミ声君は、処理出来ない性欲を抱え今日も悶々とタフを気取り続けているのだ。
木でできた犬小屋をつくりたい。
そういえば、新しい言語を学ぶことは新しい考え方way of thinkingを得ることだ。とファビオは言った。
そうかもしれない。
英語を話す時、日本語風の考え方より、英語風の考え方のがすんなり行く。そっちの方が早い。
余計なレトリックもいらない、適切な言葉を使うしかない。
しかし、この思考プロセスは慣れない言語だからなのでは無いだろうか。慣れてないがために、最短ルートを辿る。
小学校から家までの道は、よく寄り道をした。
だが、知らない駅から知らない目的地まで行くとき、地図で最短距離を探す。
新しい言語を学ぶということは、そういうことなのだ。
移動中。それも自分の足を動かす移動ではないとき。私の肉体は移動しているが私の身体は動いてないとき。私は純粋な眼になる。そして、色々なことを考える。
皆そうである。まさかバスや列車、飛行機に乗りながら筋トレする馬鹿はいない。
身体を動かさないことが与える精神的影響。
景色を見れば、思い入れを感じる。葉が落ちた丸裸の木々、霜に犯されて真っ白になった枯れ草、どっぷり立ち込める霧、浅い角度で射し込む枇杷色の光、意味もなく朽ちた建物、穴の空いた壁から中の階段が窺える、詰めたそうな鉄塔、電線、霧のためか電柱は鼻水を垂らしたように湿っている。メーカーズマークの官能的なレーズンの香り。枯れ木に引っかかる金箔の束。強い風が吹くまでいつまでも引っかかっている。
しかし、隣の人と話すとどうだろう、私は私の身体に戻って来なければならない。
寒い、犬の吐く息さえ白い。
私の英語はまだ根が浅い。
SF
想像を遥かに超えた現実。
爆発。
私は、私に興味がある。私の記憶に、私の感覚に。同時に、私と同じように、彼・彼女自身に興味がある人に興味がある。彼らのやり方で、彼らを知ろうとする人間に興味がある。
セルビアの国境を越えたレストランで、なにやら美味しいパンを食べた。20ユーロでお釣りを貰った。10ユーロと5ユーロ、硬貨3枚。しかし、今になって見てみると硬貨は2ユーロが2枚と1ユーロ1枚。私はただ飯を食ってしまったのだ。さくさくのパンだ。
イーグルスのナイーブで生ぬるいノスタルジアが好き。
昨日私は、サブカル野郎と言われた。メイン・カルチャー野郎よりはマシだろう。
セルビア、こちらの岩は薄いねずみ色だ。土は黄色。太陽は白味かかった銀色。
車内のモニタには、ハードボイルドなオズワルドの映画映っている。雑なアクション映画らしい効果音。肉を切り裂く音。木綿を引きちぎる音に似ている。macheteと言う映画らしい。いや、quick drow?音は雑だが、カットが激しく構図もそこそこ楽しめる。アクションは馬鹿馬鹿しい。古い女のトラウマをセックスで乱暴に忘れた。実にコミカルに。
これは、おそらくアレだ。ロバートロドリゲス大先生の作品だ。間違いない。乞食のような小汚い男が、ジェームズボンド顔負けの働きっぷりを見せてくれる。弾丸の雨の中を車が爆走し、血が吹き出し、男女共に猿のように歯を剥き出して小競り合う。美女が、最新兵器が、刃が、臓物が、爆弾が、戦車が、ヘリコプターが交差する。素晴らしい馬鹿馬鹿しさ。この映画をチョイスするバス会社ユーロツアーズの懐の深さ。
岩山。つくりものみたいな石山。ところどころ苔が張り付き、垢すりみたいに白い石の大きなやつ。ところどころ、びっしり緑が張り付く。幽霊屋敷の壁によく生えてるアレだ。こいつらは、霧と霞を食べて生きてるのだ。
預言の国、テープ。会話。テープと会話。予想していたかのように、適切な言葉を返して来るテープ。ユーモアがあり、皮肉も言う。楽しいテープ。臨機応変なテープ。知らなかったことを分かりやすく語ってくれるテープ。悩みを聞いてくれ、相談にも乗ってくれるテープ。毎日、一時間テープと会話する。テープの声は男?女?早送りは禁止だ。その時のテープでなければ、私のためにならないらしい。
平和とは、なんて弱々しい響きだろう。ピース然り。Love andが無ければスローガンとして物足りないのだろう。Be -fulが前後になければ、ゴエンカもバイブレーションを感じることは出来なかったのだろう。
寝ると、身体は無意識任せ。
たくさんの役割を自在に味わうことと、自由であることは違う。
心臓に埋め込まれたリモコン。電波を出し続ける。宿主が死ぬと、電波が止まり、庭が粉々に砕かれる。宿主は、庭を守りたい人々のために一生かけてそこで贅沢をする。庭から一定以上離れても、庭は壊れてしまうからだ。宿主は、庭の主人であると同時に庭の奴隷でもある。
バス移動に見える鉄塔が好きだ。
ベオグラード。ここはセルビアの都。赤みがかったオレンジ色の屋根が連なる。残念ながらこの街は通過だ。
セルビアを出国する際の国境では、バス内でパスポートのチェックが行われた。パスポートを係に持って行かれ、バスで待機だ。
パスポートの顔が似ていないことで、係員が訝しげな顔で私の顔を何度も見た。思わず笑ってしまい、ムッとされた。
結果、私のパスポートだけダブルチェックが行われることになった。ここで変に疑われて、出国出来なかったらどうしようと思い、安心して本が読めなかった。
国境は無事越えられた。
ハンガリーに入国だ17:17
辺りは真っ暗だ。夜が長いのだろうか。
口内炎が酷い。舌先が荒れている。映画が終わった。よく分からない映画だった。立て続け3本だ。トルコで買ったクッキーを食べた。麦のビスケット。やけに美味かった。
そういえば、変な夢をみたのを思い出した。線路近くのマンションで走り回る。何かに追われていた。電話、この電話番号は存在しません。存在しません。存在しません。存在しません。存在しません。なんとも絶望的な口調で、携帯の口座が閉まってしまったことが告げられた。ありません。だったかもしれない。
19:47
ブダペスト。都会だ。バーガーキングがある。後ろの猿がimpressiveと言っていた。
いたるところで美男美女がチュッパチャプスしている。
カルカッタで買った綿のベストに、ダージリンの赤いマフラー、バックパックに濡れたTシャツをぶら下げているボーズ頭のアジア人は、少しだけ嫉妬とコンプレックスを感じる。
メトロ車内の壁は、黄緑色。薄汚い。
ハンガリー。人種が変わった印象だ。ブルガリアは芋っぽかったが、ザ・ヨーロピアンって感じだ。
エスカレーターが早い。
乗り換えの駅。太っちょな作業服のおっさんに助けてもらった。ありがとう、と感謝を告げ、お互いいい気持ちになった途端、目の前にカップルが現れ、キスを始めた。お互いため息をついた。
メトロ2は、綺麗な車両だ。
街を歩く。凄まじい豪華さ。
やはり寒い地域は、内と外の区別が厳密である。暖かい国では、隙間風はむしろ心地好い。こちとら、死活問題だ。だからこんな石造りの立派な「家」ができたわけだ。
イージージェット
ライアンエアー
ユーロスター
宿を探せど、ヘレナゲストハウスは見当たらなかった。おかしい。タイマッサージ屋しかない。どう見てもここだ。もしや、潰れたのか…
仕方なく、ホステルの文字を目掛け、入った。日本人もいた。
明日、ここを出てウィーンで年越しをしようと、バスを探した。ネットで2時間ほど探したが、満席らしい。ウィーン交響なんちゃら団の新年の歌声は気になったが、心地好い温泉やドナウ川も捨てがたかった。ウィーン行きは諦めて、ここに数日泊まることにした。
10:10
レストランで、クリームパスタを食べる。辛口の赤ワインとセットで700円。もう無意識にルピー換算をすることは辞めているのに気付き、ハッとした。しかし、700円でインドで何が出来るか、意識しなければ思い出せないのも事実だった。
とりあえず、うだうだ考えるのは止めて目の前の食事にありつくことにした。バジルとオレガノの風味の効いた、美味しいパスタだった。麺は舌で噛みきれるほど柔らかかったが、閉店間際に無理を言ったことを考えると、それでも美味しかった。インドのインスタントヌードルよりは遥かにマシである。
宿に戻ると、明日は満席だと言われ、それから3時間ネットで宿探しが始まった。
くたびれた。
スーパーで買ったオイルサーディンのせいで、口の中油っこく、むかむかした。
目の前で、小綺麗な格好をした日本人2人組がネットで鉄道探しをしていた。
すると外人が彼らに話しかけた。何とも、こちらにはシカトだ。うーむ、悲しい。軽く挨拶したが、なにやら向こうが気に入ったらしい。やはり小綺麗な格好をするべきか。髭を剃るべきか。
見る世界から、見られる世界へと来てしまったのかもしれない。
いや、私の表現方法が通用しなくなってしまっただけかもしれない。
幸い宿は取れた。
よかった。

81. ソフィア

81. ソフィア
朝4時頃に着いた。予定では7:45だったのに、やけに早く着いた。外は寒かった。外で置いてけぼりにされたらどうしようと思ったが、ステーションが空いていた。7時まで寝ることにした。金属の椅子を5個くらい使い、横になった。寝心地は最悪だった。頭が重い。
レッドブルを飲んだ。皆、英語が通じない。
7時だというのに、まだ陽が昇っていない。霜がおりている。-2℃だそうだ。ライオンの像がある橋を超えて、HOSTELの文字を頼りに宿探しをした。
3時間ほど寒い街を歩き回った。これ、という宿に巡り合えず、がっかり肩を落としながら歩いた。もう帰りたい。
バスターミナルに戻り、ブダペストまで行ってしまうことにした。こんなサビれた街で年越しは御免だ。
トラベルエージェンシーでブダペスト行きを調べ歩いた。こんなことなら、イスタンブルから直接ブダペストまで行ってしまうんだった。
48ユーロだという。
今日の便はもう出てしまったらしい。ウィーン行きが61ユーロだったのと天秤にかけ、折角だからブダペストに行くことにした。明日の9時の便だ。宿も10ユーロで手配してもらった。
宿までは、路面電車を使った。1レヴァだ。電車に乗って来るのは、ジーサンバーサンばかりだ。ここも高齢化なのだろうか。
絵が、魂を持つことを拒否している。
記号、記号としての神、キリスト。
暗い教会の中。ろうそくの光。そこに出口を求めてしまう。光が映し出すキリスト。後光が射して見える。美しい。
等間隔に並ぶステンドグラス。天井には、神の顔。我々は神に見下ろされてることを知る。
神は教会においてのみ、姿を表す。眩しすぎて見えない光。見えない。
しかし、強引にも描かれた神の顔。神の顔を直視できるのは、教会だけなのだ。
世界。教会の中に世界を演出する。壁は神話で満ちている。神々や聖人の経験した世界を見せてくれる。
それを見た我々は、我を忘れる。
頭に浮かぶリング。金色。背景は青。ろうそくの淡い光は、金色をのみ強く反射する。リングが実体化する。
我を忘れた参拝者は、神の像にすがりつこうとする。
しかし、近付けば近付くほど、モザイク画はリアリティがなくなる。像は云う、私は像です。神ではありません。神の影なのです。
近付きすぎて石の羅列しか見えなくなった崇拝者は、はっと我に返る。
そうか、私が神だと思って見ていたものは、石の配列に過ぎない。しかし、私が感じた感動は何なのか。この感動はどこから来るのだろうか?
そうこうしている間に、煌びやかな儀式が現在を進める。
ソフィアは古着屋天国らしい。ということで、古着屋巡りをした。5軒ほどまわってみたが、質のよい古着は見つからなかった。
火曜日が仕入れ日らしい。今日は日曜日だ。しょぼいのしか無いのだろう。古着屋でH&Mを見つけると、ハズレくじを引いた気分になる。
キリスト教会、モスク、シナゴーグをたくさん周り、帰路についた。
宿の夕飯は、不味かった。トマトソーススパゲティなのだが、チーズがなかった。そんなこんな言いながら、味気ないスパゲティを綺麗に平らげた。外人が世間話を始めた。慣れない。
シャワーを浴びた。

80. イスタンブール

80. イスタンブール
朝6時に目が覚めた。左の足の付け根が痛む。関節痛か。関節に神経が絡まったような痛み。
外はまだ暗く、寒そうだった。ドミトリーだから、早起きしても何もできない。誰も起きてない。とりあえず、小便をして、再び布団に潜り込む。風邪は悪化したようにみえる。抗生物質はもうない。参ったな。とりあえず寝る。
3時間ほどで目が覚めた。
シャワーを浴びた。熱くなったり冷たくなったり、いちいち気を遣わせるシャワーだった。ホテルのタオル(有料)を勝手に使った。9時、朝食を食べに一階のロビーへ向かった。今日はコーンフレークがなかった。
食欲はなかったが、噛んで飲み込んだ。
チェックアウトぎりぎりまで部屋で横になった。気分がすぐれない。チェックアウト後も、ロビーでじっとしていた。宿の男、フェデリコは、how are you?を繰り返した。風邪気味だって言ってんのに。黙ってレッドブルを飲んだ。
8リラで風邪薬を買い、飲んだ。屋上で横になった。浅い角度で日差しが射し込んで、さほど寒くはなかった。猫の小便の臭いがした。枕代わりの座布団が臭うようだ。やれやれ。2時間ほどじっとしていた。
目をつぶる、脳が回るような感覚が襲ってきた。薬が効いているのだろうか。
汗をかいて、少し良くなったような感覚がしたので、町へでた。
文房具屋で、ペンを二本買い、おすすめのレストランを聞いた。安くてうまいところは庶民が知っているのだ。宿の周辺にひしめくレストランは美味しいのだろうが、観光客向けで高い。彼が教えてくれたレストランで4リラの豆スープと、7リラのサラダバイキングを頼んだ。肉厚なバケットを豆スープに漬けたり、ピクルスやオリーブを齧ったりして、美味しくいただいた。サラダのお代わりをしたら、7リラ追加された。どうやらお代わり自由ではないらしい。失敗した。
帰りに砂糖の入っていない飲むヨーグルト、アイランを飲んだ。
8:30のバスでブルガリアに行く。
宿からバスターミナルまでは電車で一時間。電車はぎゅうぎゅうだった。
バスターミナルは広く、10何台もバスが停まっていた。バスは快適そのもの。金髪のフランス人のおばさんはよく働くし、テレビもついていて、飛行機の中みたいだ。Wi-Fiもある。おばさんが、アンコーフィオァチー。と言ってきて可愛かった。
00:02寒い。
国境だ。8℃だ。出国のスタンプが押され、さて、入国かと思いきや、免税だ。やれやれ。寒いのにバスから出てしまった。
トルコ人のおっさんが煙草をいくつもカートン買いしている。トルコ人はハゲてる。

79. イスタンブール

79. イスタンブール
起きた。まだ寝ようかなと思った。暗かった。すると、隣の親父がパッと電気をつけた。もう眠ることは不可能だった。消えかけたろうそくに水をかぶせたようなものだ。マッチも濡れてしまった。
夢を見ていた。
暗いインドの食堂を歩き回っていた。逆光のロータスが綺麗だなぁと思っていたら、監視員に銃を突きつけられた。
モザイク画、イスラム美術の対極。近付くとなにも見えない。
ミニアチュール、個人主義
モザイク画、集団整列主義、コントラスト少ない。輪郭くっきり。暖色。崩したら、ばらばら。なにもないことを描くことができない。漠然とした空白の不可能性。
どっかのファラオが入っていた黒い人型の墓石。翼を広げた人間のレリーフが彫り込んである。
石を彫り込んでつくった墓石。とにかくスケールがでかくて、驚いた。これを、今作ってみろと言われたらできる気がしない。気の遠くなるような繊細かつ地味な作業だろう。大きく、重く、冷たく、太い。そして滑らかだ。冬眠前の熊のような巨大な墓石。生まれ変わったところで、こんなものの中に閉じ込められては出られないのではないか。
現代は、美がないとして。いや、必要とされていない。
昔は、美が生活に直結していたのだ。美なくしては、生活が保てなかったのだ。美の影響力を持って、民衆を酔わせた。芸術というべきかもしれない。
あたかも観光客のためだけに作られたのではないかと思うほど、嘘くさいランドマーク。
よる飯は、昨日の食堂で食べた。ここは、今にも潰れそうだ。サラダとチーズ入り豆スープ。ただでついてくるバケットでお腹いっぱいになれる。
おつりをごまかそうとしてきた。2つで1リラの水を、1つ1リラと計算して請求してきた。いやいや、合計9リラでしょ、10リラじゃないでしょ。と突っ込むと、君には負けたよと言わんばかりに、笑いながらおつりをよこしてきた。
このレストランは本当にだめだと思う。店には、安い音でラジオが響く。空気を乱暴に揺すっているかのような雑で暴力的な音だ。従業員は6人もいる。お客さんもあんまり幸せそうではない。この空間がそうさせているのだと思う。落ち着かない蛍光灯の光で食べるご飯は美味しい訳がない。
同情交じりに笑いながら店を出た。
宿までの道、水を買おうとさっきの1リラを出すと、これは0.5リラだと言われた。やられた!あの親父、1リラと見せかけて0.5リラを渡してきやがったのだ。いじらしくて笑えてきた。

78. イスタンブール

78. イスタンブール
起きた。朝飯を食べた。宿の男は、何時にチェックアウトするかを訪ねてきた。体も重かったので、もう一日泊まることにした。
昼三時ごろまで、ベッドで過ごし、昼飯にカップ麺を食べた。こっちで買ったコーヒーミルでコーヒーを淹れてみた。残念ながら、捨てるほど美味しくなかった。エスプレッソメッシュは、新鮮な豆に限るのだろうか。酸味は限りなく弱くなっていた。この豆もそろそろ限界なのかもしれない。いや、ミネラルの高い水のせいか。物価とミネラルは比例するのか。何を言ってるんだ。まったく。


暗くなる前に、アヤソフィアに行った。ハギアソフィアともいう。こっちの人はもっぱらアヤソフィアと言うらしい。ウィキペディアで歴史を調べ、出かけた。アヤソフィアはここから歩いて2分の場所にある。ナイーブな観光客の軍団が噴水付近で写真を撮っていた。ガイドブックや、しょーもないガラクタを売る人々が鬱陶しく話しかけてきた。どこも変わらない。
入場量は25リラもかかった。なんて高いんだ。
アヤソフィアは大きかった。なかなか迫力がある。しかし、どうもパッとしない。キリストの寺院をメフムト2世の支配の時にイスラム風に作り変えたときの無理矢理感が否めない。天井のドームは歴史上、幾たびも崩れ落ちているらしい。構造上にも無理があるのだ。床もひどく歪んでいて、石のタイルがどこもかしこもひび割れていた。試しにジャンプしてみたら、石の隙間から埃が吹き出した。歩くたびにかちゃんかちゃんと音がする。
メフムト2世は指導者として力量がなかったのではないか。彼は、イスタンブル陥落したら、3日間略奪をして良いと兵士たちと約束したらしい。その約束がなければ兵士たちのモチベーションを高めることができなかったのかなぁと。ふと思う。他の軍隊も略奪は当たり前なのだろうか。
しかし、イスラムの連中は頭がいい。モスクに、病院や学校、他にもなんちゃらと、複合施設を組み合わせたのだ。祈りの場だけではない。
宗教を生活と密着させる能力がすごい。
インドの宗教は素直に興味が持てたけど、キリスト教を見ると支配を見てしまう。
神話と宗教の違いだろうか。
神話は、神がいかに人々の生活を支えたか。
宗教は、いかに聖職者が人を支配して来たか。
恐れが裏に構えては、愛や慈しみなど無いのだ。
盲目的信仰より哲学。哲学より現実。
肌の青いおっさんの髪から滴る水が川になってカルマを浄化とか、意味分からんくて愛らしい。
そんなことを思っているためか、モスクに関心こそすれ、感動はできない、好きになれない。
やはり、中東を見てくるべきだった。いきなりトルコを見ても、イスラム文化がわかりゃしない。中東が空白だ。
戦争のおかげで歴史は面白くなる。文化は埋もれる。
そういえば、ヨーロッパは戦争ばかりしている。彼らの歴史は戦争の記録と言って良いかもしれない。文化を楽しみたいと思ったら、戦争とは無縁だった国を選べば良いのかもしれない。他の文化の影響は文化を育むきっかけになるが、他の文化の介入は、暴力的な力で無理やり矯正するようなものだ。
ピュアな世界観を求めれば求めるほど、地理的に孤立した環境の方が好ましいのかもしれない。
アヤソフィアは、まさしくその介入が顕著に見られた。イスラムの丸いカリグラフィーはハリボテだし、キリストのモザイク画は、漆喰で覆い隠されただけだ。
記号としてのキリスト
キリスト側からしたら、なんてことをしてくれてんだ!という気持ちだろう。私のエスプレッソにフレーバーシロップを入れられるようなものだ。日本の寺にきらきらのビーズで装飾を加えるようなものだ。勘弁してくれ、だろう。
モスクの外で、日本人のおばさんに話しかけられた。不思議な格好してますね、とのことだ。物売りかな、と思った。実際、土産物屋をやってるらしい。私が金を持っていないことに気いたのだろうか、世間話をした。トルコの情勢、イスラム色が強くなりつつあるということ、汚職で議員が次々に辞職しているということ。安いレストラン街を教えてもらった。
ほじゃぱしゃ
よるめし
ピーマンのピラフ詰め、シナモンの香り
ナスのヨーグルト煮込み、焼き芋とクリームチーズのような甘さ、
ホーレンソーのグラタン
野菜
セロリの煮込み
7リラ
3リラスープ、豆
複雑だが、優しい味。少し油っぽいが。客は私一人だった。人通りが少ないにもかかわらず、レストランがひしめいていた。客引きの白髪の爺さんは必死だった。気のなさそうな観光客にもしつこいぐらいにメニューを見せにいった。ハローフレンド、nice to meet you y nama is osman are you hungry? ok so why dont you come and drink wine or beer?
なんだか悲しいぐらいだれも引っかからなかった。
料理自体は本当に美味しかったので、丁寧にお礼を言ったが、会計が済むや否や、目も合わせて来ようようとしなかった。
ちぇ、たった10リラかよ。ああ、今日のアガリもしけてんな。年越せるのかな、悲しいな。といった表情だ。私の満足感には興味がないのだ。ひたすら惨めさに打ちひしがれている様子だ。
オスマンは、道化らしく、握手で別れたが、何千回繰り返したであろう慣れた形だけのコミュニケーションだった。
頑張るところが間違っているなぁ。とおもった。慣習的に、ただ頑張ることで、なんとかしようとして、必要条件を蔑ろにしてしまっている。やれやれ。
宿に戻り、ロビーで中国人と話した。彼は、可愛い奥さんと、9歳の娘がいる。エジプト、アフリカで重機のエンジニアをしている。catやコマツ、中国の重機メーカーを扱っているらしい。
日本と中国が仲良く欧米露と対抗していたら、北南韓国も東南アジアも、もっと良くなっただろうに。と話した。
中国のお茶をくれた。5番煎じまで楽しめた。パイナップル、リンゴのようなフルーティな香りだった。親戚の農園の茶だそうだ。

77. イスタンブール

77. イスタンブール
朝、7時に目が覚めた。惰眠はせず、海に向かった。辺りはまだ薄暗く肌寒かった。
寒さを感じながら海まで歩いたが、曇っていた。昨日のような、太陽がぎざぎざ班目な水面に引き伸ばされるような反射は見ることが出来なかった。
残念な気持ちで、猫がいた場所まで歩いた。猫はいた。昨日と違う猫が、カメラを向けるなりすり寄ってきた。鳴き声に無垢な甘えを帯びた未熟さが愛らしかった。小さい。毛がびよびよ膨らんで、寒さに耐えているのがわかった。
たばこを買った。ラッキーストライク。一度はお釣りが無いから売れないと言われ、トルコ国旗のライターも買い、難なく買った。トルコ国旗の赤いライターは、壊れていた。新しいものと交換した。
帰り道、たばこを吸いながら歩いた。チャイがのみたくなったので、近くのカフェへ。綺麗なカフェだ。チャイを頼み、レジ横に並んだチョコレートチーズケーキも注文した。3+9リラ。
テラス席で頂いた。少し凍えた。
トルコ人が日本人か、ウェルカムと言ってきた。
宿に戻る。
Rが飯を食べていた。朝食だ。9時15分前だったかな。
朝食を平らげ、部屋に戻ると、頭痛を感じた。久しぶりに煙草を吸ったせいか。ヤニクラか、やれやれ。と思っていると、熱っぽさも感じてきた。
不味い、風邪だ。
時差ぼけ、寒さ、疲れ、物価の高さ、久しぶりの煙草が私を弱らせたのだ。
その日は、一日中寝て過ごした。
インドで買った抗生物質を飲み、日記を書いたり、SNSを見たり。療養だ。やれやれ。
夕方は、トルコ風じゃがバターを食べた。11リラ。
ほくほくの焼いたジャガイモを半分に割り、バター、チーズ、オリーブ、ザワークラウト、マカロニ、きのこ、ナス、
色んな具を選んで詰める。ジャガイモは、時間をかけてじっくり焼いたためか、とても甘く、美味しかった。
途中で飽きたが、完食した。
とても重たい夕食だった。弱っているため、少し吐きそうになった。宿に戻ると、Rは居なくなっていた。カッパドキアへ行ったようだ。合計200ユーロで気球に乗るのだ。なんてこった。
寝た。

76. イスタンブール

76. イスタンブール
ガラタ塔、バザール
バルック・チャルシュス魚市場
朝7時に起きる。少し寒い。起きて、散歩に出かける。昨日見た美味しい総菜屋はまだ閉まっていた。
小綺麗な格好をした通勤中の人々が、足早に歩いていた。口元は硬く、寒さに耐えている様子だ。何かを緩く決心した人の表情にも見えた。
何れにせよ、何らかの権利と引き換えに義務を果たすべく、石畳みの上を歩いていた。心なしか、権利の方が少なそうだ。
私は、なにやらでっかいモスクを一つ、二つと通り過ぎ、海へ出た。長い坂を下り、海へ。心は踊った。太陽はまだ低かった。オーブントースターのスイッチを入れたばかり。弱々しいオレンジ色の暖かい光が、街の路地から漏れはじめる時刻。
海。
綺麗だった。水面に反射した光。波にきらきらと反射する太陽の寝ぼけた自己主張。日の出の太陽は、いつも大きい。海の深淵青とのコントラスト、太陽は眩しく、火傷しそうな小さなロウソクの光のようだった。小さな豆電球を直視するような感覚で水面の反射を見つめた。海沿いは静かで、ジョギングのおじさんが1人いるだけだった。岩が敷きつめられた海岸。50センチほどのコンクリートに沿って歩いた。
しばらくすると、猫がいた。小さな猫だ。人懐こい猫。足にすり寄ってきた。寒いのだろうか。恋人に送るためにパシャパシャと写真を撮った。すると、どこからか、仔猫が湧いて出てきた。どうやら、仔猫シーズンのようだ。
帰り道、モスクに人がたかっていた。
聞けば、間も無く開館だという。昼間は混むだろうと算段を立て、せっかくなので入って見た。太い大理石の柱に支えられたドーム上の天井は迫力があった。
だが、なんとなく物足りなさを感じた。ムガル帝国の時代のモスクに比べると、豪華さに欠ける気がした。ケバケバしさを覚えるほど色を多用したインドのそれに比べると、色あせて見えた。
彼らの図々しい主観によって描かれた堂々とした世界観が恋しくなった。自己主張の強すぎるインドに対して、トルコの奥ゆかしさにさみしさを感じた。
宿に戻り、朝食を食べた。オリーブが2種類2粒づつ、バター、ラズベリーのジャム、グレーのパン2切れ、ゆで卵、ハム2枚、チーズ二枚、パウンドケーキ、紅茶もついていた 。紅茶は、赤みがかった琥珀色で、ミルクは入っていない。それなのに、こちらの人は、これをチャイと呼んでいる。角砂糖をひとつ落とすと、渋みがかったあんずのような味わいになる。底がまるーんとしたガラス製の不思議な容器でいただく。
まちはオーシャンズに出てきそうな品の良いおじさんが多い。聞けば、世界一高齢化が進んでいる国だそうだ。
活気がない。さみしい。
あまりフレンドリーではなく、人生にどことなく諦めを感じている風に見える。神が支配する世界の一駒に過ぎないと自覚しているかのような謙虚な個人主義が伺える。
朝食後は、部屋の日本人Rと一緒に観光に出かけた。自分から積極的に自己開示をしないタイプの人で、27歳、とあるベンチャーの海外研修という名目で来ているらしい。上手く口ごもるタイプの頭の良い人間といった感じだ。やり手って感じ。
4駅分くらい歩いた。橋を超えた。橋では、たくさんの人が、立派な釣竿で小さな魚を釣っていた。チャイ売りも、独特の文句でチャイチャイチャイチャイチャイと、甘くないトルコ風のチャイを釣り人に歩き売りしていた。
魚市場を探した。地球の歩き方の地図を頼りに探したのだが、1時間ほど迷った。結局、地図の示す反対側に市場はあった。30mほどの小さな市場だったが、活気はあった。さばとたらのソテーにサラダ、名物のバケットとビールを飲んだ。二人で6000リラ、1500円だった。席はほとんど現地のジーサンばかりだ。手をべたべたにしながら食べていた。
そのあとは、ガラタ塔に行った。
9ユーロかかった。高すぎる。
ジェノヴァの商人が防衛上の理由から建てたとされるこの灯台から、街を見下ろした。赤いレンガの屋根が一望できた。奥の方は霧がかかってくっきり見えなかった。最上階は、カフェになっていた。パリッとした服を着た太っちょな初老のマネジャーがデンとフロアに立っていた。
ランドマークにしては、大したことなかった。金持ちのナイーブそうな観光客がたくさんいて、虚しくなった。
ガラタ塔を後にして、グランドバザールに向かった。路面電車は混んでいた。通勤客だろうか。皆くたびれた見えた。電車は、どこからどこまででも3リラだ。人が邪魔して、しばし停車することもある。5分に一本ぐらいの頻度で走っている。便利だ。
グランドバザールは、とても巨大だった。石造りの商店街といったところだろうか、アーチの連続の天井に、土産屋が所狭しと並んでいた。アメ横を5、6倍大きくした感じだ。観光客やトルコ人ですごく賑わっていた。ガラクタだけではなく、靴や服も売っている。
しばらく歩くと、一瞬周囲が静まり返った。そしてどよめいた。
停電だ。
グランドバザールの中は、真っ暗になった。石造りのため、ほぼ全く光が入らないのだ。ちょっとした洞窟のようだ。わずかな光を頼りに、構わず歩き続けていると、店はろうそくを焚き始めた。日常茶飯事なのだろうか。
ろうそくの光にぼんやり浮かぶガラクタは、よりいっそう私の興味を引いた。子供の頃、停電が起こると少し嬉しくてそわそわと落ち着きがなくなったものだ。異国の地で、訳の分からないガラクタに囲まれて停電だ。楽しくなってきた。
トルコ人の間抜けな顔。鷲鼻で、眉毛が長くて太くて垂れていて、長いまつ毛。おちょぼ口で、みんな何故か短髪だ。若ハゲしそうな弱々しい顔だ。エロさというより、いやらしい顔をしている。悪口ではなく、皆いけてない風に見える。
楽しくなった私は、ガラクタを一つ買ってしまった。真鍮性のコーヒーミルだ。店のトルコ人は、ブロンズというけど、明らかに真鍮だ。興味のなさそうのふりをして、内部を見てみた。弾き目も調節できるし、悪くなさそうだ。重いけど。
値切りに関しては、東南アジア、インドと変わらなかった。35リラの言い値だったので、23リラまで値切って購入した。細かい金が無かったので、それが限界だった。20リラまで値切れただろうが、Rのいる手前、手を打った。
宿に戻った。6時ぐらいだろうか。辺りはもうほとんど暗くなっていた。
近くの食堂で、Rとクリスマスディナーを楽しんだ。クリスマスイブに男二人、風情も糞もない大衆食堂風のレストランで、1人1500円のディナーをした。
店先に並ぶ煮込みの中から、いくつか選んで食べる。煮込みは緑黄色野菜がたっぷり。人参も甘かった。ナスも美味しい。マッシュルームがごろごろ入った煮込みも食した。ビールは、紙コップで出てきた。
Rと何やら色々と臭いことを話した。人生のこと、身の上話。彼が高校1年の頃一年付き合った彼女と別れていなかったら。彼が一卵性双生児の弟だということ。四人兄弟の末っ子ということ。双子の兄が、その高校時代の元カノと十年付き合い、結婚して地元金沢に一軒家を建てたということ。 もし、そこで別の選択をしていたら、自分がそういう境遇を選ぶ可能性があったということ。末っ子は、年上に対しては可愛がられる術を知っているということ。それに伴い人間関係もとある傾向があるということ。彼は自ら自己主張するタイプの人間ではないが、頭が良く、話していてとても楽しかった。
ご飯は食べきれず、持ち帰った。
ライスが妙に油こかった。
宿に戻り、カウチサーフィンで何通かメッセージを送ってみた。返事は来ない。
10時過ぎに寝た。

75. トルコへ

75. トルコへ
朝起きて、コーヒーを飲んだ。
9時ころに宿を出た。飛行機は12時発だ。
道中、リキシャが話しかけてきた。ハローハロー。
ハローを重ねる度に変わるイントネーションが面白い。この馬鹿なインドともこれでおさらばか。ふふ。感傷的だ。ポイ捨てしても、唾を吐いても怒られないインド。ばーか!
そんなことを考えている間も、リキシャは話しかけてくる。
ハロー、ジャパニ、コンニチハ、ウェーァユゴーィン。
ルピーが余ってるし、10ルピーくらいで駅まで行こうかなと、
メトゥロ、メトゥロ。と言ったが、聞き取れない顔をしていたので、メトゥルルォと、巻き舌大きな声で言う。
すると、あっちへ行け、の意味と勘違いしたのか、リキシャは逃げて行った。
メトロと言ったら逃げて行ったリキシャ
キットカットが65ルピーもした。高い。
列車のチケットも150ルピー。
高い。
またしても、進行方向に背を向けて座ってしまった。真横の景色は早すぎて見えない。少し遠くの景色がさらに遠くへ飛んでゆく。
綺麗なイスラム様式、めちゃくちゃなヒンドゥー寺院、目の据わったキリスト教会、肩身の狭い仏教哲学、うるさいクラクション。ゼロから始まる階。
火と刃物を正しく扱えないようじゃ、まだまだ子供ね。
飛行機
なんて美しい美しい美しい岩山、雪、雲
凹凸のはっきりした雲、綿のようにぼやけた雲、雲が宙に浮いているということが、今さらながら、不思議に感じられる。
ときどき、あらわれる盆地。
川があって、山に囲まれた盆地。人が住んでいる。街だ。
そして、ひたすら続いてそうな雪山。赤茶色の岩山を容赦なく覆う白く分厚い雪のテーブルクロス。
風の通り道だろうか、水の通り道だろうか、とげとげ。
太陽があっちから陽射しを投げているから、こっち側にくっきりした影が連なる。
脆い煉瓦で出来た年寄りの手の甲のようにひび割れた山肌。大きな岩だ。
今度は、粉を散らしたような雪。吸い込んだら、激しくむせてしまいそうな、細い細い粒の粉。0.6ミクロンの滑らかな天使の頬っぺたのように滑らかだ。
太陽に飼われながら、茶色い岩と雪の一進一退が日々続く。
あとはもう地平線の奥まで雪だ。
山を幾つも超えた。
機内ではビデオが流れてた。
街が見えてきた。雪がたくさん積もっている。
山も、青い。黒々した青だ。
太陽を背にして飛行機は走る。身体を震わせながら、ざくざく風を切る。カザフスタン。山に囲まれた広い盆地。雪にカビのように浮かぶ木々。枯れているのか、冬眠中なのか。
煙突が、三本、四、五本、煙をつくって雲にしている。ブロック状の建物。曲がりくねる小川。おもちゃみたいな家。
着陸。
滑走路に雪が!スリップしないのだろうか。
少しひやひやしたが、難なく着陸。
乗客たちは思わずささやかな拍手をした。
夜を追いかける。
キャンドルのような橙色の光が暖かそうに、切り取り線の穴みたいに点々、街に線を敷く。
光の数ほど、幸せも不幸も多くはないだろう。しかし、どことなく優しい光だ。
寒い空気。排気ガスが交じった冷たい空気。
星をみたり、恋人とじゃれ合ったり、ご飯をつくったり、布団でぬくんでみたり、音楽を聴いたり、犬や鳥に食べ物をあげたり。
ああ、ああ、なんて美味しいウイスキー!!!
飯が!旨すぎる!
これは、チーズ?あ、オリーブ?たっぷりハーフサイズのキッシュにデザートはラズベリーのムースだと!?もちろんコーヒーは美味しくないが、これぞ機内のコーヒーだ、風情あふれるぞ!
カルチャーショックだ。オレガノ、トマト、スライスポテト。温かい。エキストラヴァージョンオイルだと!?バルサミコビネガー!チーズもプロセスチーズじゃなくて、クリームチーズ!…ああ、文化の上流に登っている気がする。ああ。
クリームの甘いワインが実に心地よい。
トルコ、さっきまでの夜。

74. デリー

74. デリー
何時に起きただろうか。たしか、9時くらいだっけ。あんまりよく覚えていない。
コーヒーを淹れ、音楽を聴き、インターネットをやり。
ご飯はたしか、チョーミン。屋台のチョーミン。お代わりしたら、おまけして多めにいれてくれたっけ。よく噛まずに食べた。ケーキも食べたな。チョコレートケーキ。
宿に戻ってマクラメを作ろうとしたけど、無理だったな。難しい。
夕方は、チーズ焼きを食べたな。何というチーズだっけ。豆腐みたいな食感で美味しいんだよな。玉ねぎピーマンと串に刺さってて、炭で焼いたら、緑のチリソースでびよびよ伸びる柔らかいチャパティと一緒に食べるんだ。しめて55ルピー。あれは美味かったな。タイ人のふりをして、だんまり食べたけど、本当にいかしてた。同い年くらいかな、友達が集まってたな。懐かしい。
夜は、ビールを飲んだ。バーでビンをテイクアウトして、125だった。モモを5ピース。マギーという即席ヌードルを10ルピー。スパイシーなスナックミックスを5×2ルピー。晩酌して12時くらいに寝た。マギーは、すぐふやけて不味い。どうやら、焼きそばのように食べるのが正解らしい。スープヌードルにしたら、本当に酷い食感までふやけた。

73. ハルドワール

73. ハルドワール
4時に目が覚めたが、寒かったのでそのまま9時くらいまで寝た。やれやれ町に出てみたが、まだ町も寝ぼけていた。クッキーとたまごケーキを買い、部屋でコーヒーを。淹れる前に一時間瞑想した。相変わらず私の心はお喋りで、まともに集中したのは5分足らずだった。それでも一時間は座っていた。今ではあの鐘の音が恋しく思える。
瞑想から覚め、歌謡曲とジャズがミックスした様な音楽を聴きながら、ベランダでコーヒーとラスクを齧っていると、汚い犬が食べものを探していた。インド人におどかされ、うろうろしていたので、ラスクにコーヒーを染み込ませて柔らかくしたものを、投げてみた。気付いた犬はがりがりとラスクを食べ、こちらを見てしっぽを振った。柔らかくしたはずなのに、まだ硬かったか。
それにしても、この犬に食べものを与えたことが、何かためになるのだろうか。幼い子どもを殺さないことで、その子の子孫が大繁栄というのは分かる。
しかし、この犬。汚くて、年老いていて、喧嘩をしたのだろうか、皮膚病だろうか、赤い生傷が白黒ぶちのすすけた毛皮に痛々しく浮かんでいる。あとは死に向かうだけだろう。
知恵を若い者に与えることの出来ない汚い犬。とても撫でることは出来ない犬。いつもお腹を空かした犬。
何を感じれば正しいのか分からずにぼんやり見ていると、美味しい匂いでも嗅いだのか、犬は何処かへ行ってしまった。ラスクが硬すぎたのだろうか。
大きな塊のまま、犬にさえ食われずにラスクは生涯を終えた。
そもそも、このラスクは何だか味気ない。ビスコティのような大きなラスク。ほんのり甘いが、硬くて、歯茎にぶつかる、痛いやつ。ジェイプルで20ルピーで買ったが、美味しくなくて、何日間も持ち歩いている。
どこに行くわけでもなく、一日中Wi-Fi拾ってうだうだしていた。就活をと思い、何社かエントリしたが、意味不明だった。おお、何と意識の高いHP。どういう人たちが何をして年収1200万稼ぐのだろう。想像もつかない。煩わしい礼儀無しに、社員に会って見たい。
人生で大事にしていることは?という質問に、食事と答えそうになり、思いとどまった。一言で終わってしまう。200文字もかけるのか。どんな奴がどんな答えを期待しているんだ。究極の答えは、呼吸・睡眠・食事・排泄だろうが。それを前提にして、何か答えるのだろうか。快楽とかユーモアとか答えたら、白目をむかれるだろうか。
朝めしと昼めしを兼用でチョーミンという名の焼きそばを食べた。味付けはかなり濃いめだ。しょっぱすぎるので、水をかけた。冷やしラーメンのようになったが、それでもしょっぱく、残った汁すらしょっぱかった。
なんだか物足りなかった。野菜を採りたかったので、ベジ・パルオというやつを頼んだ。ただの黄色い野菜チャーハンか、油こい。
よく噛まずに食べたせいか
胃の中油っぽくて、気持ち悪さを覚え猫背になりながら道を歩いた。ストリートチルドレンが2人、錆びた戦車のような大きなごみ箱を漁っていた。釣りに来た休暇中の学生の様に、ごみ箱からごみ箱へとポイントを変え、笑いながら白いプラスチックのガラ袋を担いでいた。
宿で再び音楽を聴いた。気持ち良い。
コーヒーを淹れた。あんまり美味しくない。この豆もそろそろ限界か?
水を少々加えた。美味しくなった。冷えると美味いんだ。
夕飯も、チョーミンを食べた。別の場所で食べたが、やはりしょっぱかった。そしてやはり何か物足りなかった。
しばらく歩いたところに、スタンドを見つけた。モモと、ベジバーガーを食べた。モモはけちな肉のようなものが入っていた。肉じゃないそうだ。ベジバーガーは、見かけほど美味しくはなかった。が、薄いきゅうりが良い味を出していた。
電車へ。
S8を探したが、そのような車両はなかった。おろおろしていると、どこからともなく別の車両がやって来て、連結した。ほうほう。
電車に乗るときに、インド人は殺到する。何をそんなに急ぐのか分からないが、列も気にせず殺到するのだ。インド人の中年女に舌打ちされた。なんだレディファーストと言いたいのだろうか、白い目で見ながら前を通してあげたが、睨まれた。やれやれ、可哀想な人たちだ。
私の席は、インド人のファミリーのど真ん中だった。騒がしい母がおっかない。苛立った忙しない早口。尖った口調。こんな母・嫁は嫌だ。生理だろうか、インド人にも生理はあるだろう。きっとそうだ。電話しながら怒鳴ったり甘えた声を出したり、忙しない。本能向きだしだ。子どもたちも母の口調に似ている。絶望的な家族だ。こんな人々を面倒見ているのだから、シヴァも大変だ。ぶっ壊したくなるだろう。あれ、シヴァは破壊の神なんだっけ。シヴァも本能に従っているだけなのかもしれないな。
隣では、インド人のおっさんがいびきをかいて臭い息を撒き散らしている。臭い。寝言もいう。臭い。うう、臭い。笑えてくる。腐った卵が干からびる少し前の臭いだ。これぞインド!ということにしておこう。それにしても臭い。お前なに食べたんだ、きゅうりの食べすぎじゃないのか。耳もとでげっぷするな、あくびに声は要らないだろ、痰を吐くな。幾つだ、何歳だ、お前は。こいつと同じ空気を吸うのは嫌だ。うう。すごい音だ、よくこんな音を出せるな。200度のお湯がぐつぐつ煮えている様なヤバい音だ。面白すぎる。
一人だけではない。二人、三人と、いつしかいびき大会が始まる。いびき同士が呼応し合い、共鳴し合い、決して美しくないオーケストラが始まる。くたばれ
彼女を連れてこなくて、本当に良かった。
おやすみ馬鹿なインド

72. リシュケシュ

72. リシュケシュ
スティーブンの部屋。
4時に目が覚めるが、6時まで再び寝る。ヨガへ。
これが二回目のヨガ。ヨガの先生は、小太り白髪の欧米系のおばさん。60くらいいってるのだろうか。彼女が美しい声でマントラを唱えるので、思わずうっとり聴き入ってしまう。
ポーズとしては、コブラ、マウンテン、サンウォリアー、そんなところだ。シヴァッサナという死体のポーズをして終了。
部屋で、コーヒーを淹れて音楽を聴く。今やハシシがなくても、音楽は素晴らしい。瞑想の効果だろうか。音楽に取り憑かれる。気持ち良くて、涙が出そうになる。
その後は、インターネットカフェで二時間ほどぐうたらし、ジェフと川をぶらつき、川べりのガートでくつろいだ。彼等はチルアウトという言葉をよく使う。その言葉が今ではすっかり気に入ってしまった。
川の音が気持ち良い。川は澄んだ緑色をしている。ひんやり冷たい風のなか、ジェフの巻いてくれたたばこを吸ってぼんやり過ごす。
リシュケシュは、何もない。しかし、全てが揃っている。何となく、完璧なのだ。
4時に、ハルドワールに向かう。
皆、今日ここを発つのだ。リキシャに便乗する。
リキシャスタンドは、対岸にある。
合計五人でリキシャを割り勘しようということになった。ホテルの人がいうには、高くても一人40ルピー。
公共バスが20分に一本出ているらしく、それが30ルピーなので、40が妥当だという。
実際に、40ルピーで話がついた。
リキシャにはすでに二人のインド人が乗っていた。我々5人が乗り込むも、リキシャは出発しない。ジェフは怒った。早く出発しようと。すると、リキシャのドライバーは、10人揃ったら出発するんだという。
しかし、後部座席は6人で満席状態だった。我々は大きなバックパックを持っていたので、なおさらだった。
結局ジェフが50ルピー払うから今すぐ出発しろと言って、リキシャは出発した。
それを私は黙って見ていた。ジェフに任せておけばいいやと思っていた。実際、いくら文句を言ったところで彼らはドライバー通し予め値段を決めているので、こういうスタンドでは文句を言うだけ無駄だというものだ。
しかし、それを見ていたデンマーク人の太っちょな女の子は、「ジェフはイケメンだし、タフだし素敵ね」と惚れ惚れ言った。ああ、なるほどと私は少し恥ずかしく思った。
ジェフはチェコ人の彼女と旅をしている。
私一人でも大変なのに、彼女が旅にいたらどれだけ大変なんだろう。考えるとぞっとする。第一、自分一人の時間はあるのだろうか。寒い夜に抱き合って寝るのは素敵だろうが、少し瞑想してから自分のタイミングで寝ようなどという機転は効かないに違いない。道に唾を吐いたり、ポイ捨てをしたり、鼻くそをほじくるたびに、彼女の中の私のイメージを壊すことになるのだ。コルカタやバラナシなど、空気の汚いところでは、鼻くそが黒くなるという。それを見た彼女の顔を想像すると笑えてくる。
今回のリキシャ騒動も、彼が一人だったら、10人相乗りでも耐えただろう。面白がって窮屈を楽しんだに違いない。しかし、彼女が泣きそうな顔でドライバーに窮屈さを訴えたがために、ジェフはタフにならざるを得なかったのだ。
本来、この旅には、男友達が一人ついてくるはずだった。だが、出発の3日前に彼が急遽ドタキャンを決め込んだがために、一人旅になってしまった。今となっては、彼のドタキャンに感謝している。ドタキャンの理由はいくつかあるだろう。両親の反対、彼女の反対、日本での怠惰気ままな生活、私との長期間の生活の億劫さ。
やれやれ、やめよう。
彼を馬鹿にしたところで、自我に間抜けな快感が走るだけである。
一時間ほどリキシャは走り、ハルドワールの駅前へ。
Wi-Fiつきの宿を見つけ、300ルピで泊まった。夕飯は食べず、瞑想をしたが、30分経たぬうちに眠気がやって来たので、そのまま寝た。
何をしていてもお腹が空いている。再び私はエンプティーになった。中国人に笑われるぜ。

71. リシュケシュ

71. リシュケシュ
朝起きたが、ヨガをサボり、俗に言うチルアウトで一日を終わらせた。
本当に、何をしていたっけ。コーヒーを振舞ったり、ハシシを吸っているのを見たり、一人でネットカフェに行ったり、目をつぶって音楽を聴いたり、そんな感じだった。
一人でネットカフェで、くだらない動画を見た。よくある痛い人なんかを、女子高生がカメラに向かって再現するというものだ。実に下らないのだが、つい見てしまった。有意義なことも、無意義なことも、同じ時間を必要とするのだ。
ファビオが郵便局で荷物を国に送るというので、便乗して、本やガラクタを日本へ送った。ジェフと彼女も来た。1時間たっぷり待たされたが、田舎の郵便局といった感じの古さが醸し出す風情のお陰で退屈はしなかった。係りの男は白いガラ袋を糸で縫った。感じの良い男だ。1200ルピーはしたっけか。意外と高かった。恋人にも何か送ろうかしらと思ったが、思い直してやめた。
夕方、みんなでビートルズカフェに行き、インターネットにふけり、ファビオを見送る。
夜にトルコ行きのチケットをとった。
スティーブの部屋に居候した。彼は英語がそんなに流暢ではない。彼の英語は可愛らしい。a couple of minutesをリズミカルに発音する。これがアルジェリア訛りなのだ。
一時間瞑想して寝た。

70. リシュケシュ

70. リシュケシュ
6時にファビオに起こされ、ヨガへ。
昨日はリキシャをシェアしたギリシャ人のマリアンヌについてゆきアシュラムへ。そこでファビオというブラジル人を紹介してもらい、部屋をシェアした。

ヨガは、意図的に呼吸を激しくする。面白い。
トルコ
アンディアノポリ
渇望する。
目を閉じる。
私は想像でそれを満たすことが出来る。物質的に満たされることはないが、精神的には満たされる。そうしているうちに、渇望は何処かへ消えている。
再び私は冷静さを取り戻す。何が本当に足りないのか。何も足りていなくはない。満タンではないが、エンプティではない。本当にいよいよ足りなくなったら、必要な時だけ、満たせば良い。
目を開ければ、再び他者としての世界が広がる。目を開けている以上拒むことは出来ないこの光景。
誘惑に満ちている。例えば、食べ物の誘惑。お腹が空いているわけではないのに、新しいものを見ると、ふと、食べたくなる。
屋台に積まれたサモサや、色とりどりのフルーツ、お利口に並ぶコーラとマウンテンデュー。
無意識に、あ、いいかも。と思ってしまう。かつて、それを食べた時の経験が快感物質を思い出させ、「手にとって見ますか?」というウィンドウが表示される。「いいえ」をクリックし、目を別の対象に移すと、そこにも誘惑がある。目に映るもの全てが、何らかのスティミュレーションを生じさせる。焦点がゴミに行けば、汚いという反応。焦点が犬に行けば、可愛いという反応。
見ることに中毒なのだろう。
街に出れば、尚更だ。
嫌悪があれば、快楽あり。快楽あれば、違った快楽。眠くなるまで、続く。
恋人に宝石を買うつもりが、宝石に取り憑かれてしまう。世界は面白いものに満ちていて、本物を探せど、複雑さの快楽への虜になってしまう。まさしく本物、というものはありはしない。これぞまさしく本物の犬、という犬がいるだろうか?自分が打ちたてた本物は、所詮イメージ。想像の産物である。挙句、その想像は、私の過去の経験に依存する。
犬カタログを見ればそれだし、祖父の家の優しい犬との楽しい記憶があれば、それが理想の姿になる。何を重点に置くか。それすら、その人の過去の快・不快の経験による。
そして、その経験の多くは、快・不快に危機感を抱かない社会が育てる。快楽主義の社会が育てれば、快楽主義の子供が育つのだ。
寄り道に寄り道を重ね、いつしか寄り道が目的になり、そもそもの目的地を忘れてしまう。何処にも行けないどころか、ここが何処かすら分からなくなってしまう。
そうこうしているうちに新しい誘惑。逃すことは出来ない。それは負けを意味する。
よく分からないが。何らかの理由で。
そうして、私の意志とは無関係に、私は何処かにたどり着いている。
音楽が流れたら、踊るしかない。ご馳走が差し出されたら、食べるしかない。運命として受け入れ、経験として割り切り、不条理に従う。皆が苦しむ。ある頭の良い人は、その苦しみの原因を発見する。不条理だ。
さて、ではどうしようか。どうすることも出来ない。不条理なのだから。ああ、絶望だ。
絶望が何を生むか、ご存知だろう。笑い、狂気、夢。楽園を夢見て、妄想に取り憑かれ、笑いに変えたところで、やはり腹は減るし、眠くなるし、勃起する。
何も変えることが出来ない。
そして、意に反して全ては変わって行く。
そして眠りから目が覚めると、喜びの認識、苦しみの認識が再び自動再生される。
対象と距離が保たれて初めて、対象の意味づけが可能になる。対象が近すぎると、何が何だか分からない。認識することは不可能。何かを知覚してはいるが、よく分からないなにかとしか認識することは出来ない。
近づいてくるもの、今ここにあるもの、遠のいて行くもの。認識不可能な今を観察することはほぼ不可能で、
誰もが意味の無いものを詰め込み、他者に意味付けを求めている。
無作為に出会った経験の集合に意味付けの余地は無い。解釈の余地はある。だが、徹底的に解釈が施されたとしても、結局は文字通りの無意味に帰結する。徒労だ。人生とは徒労の連続だとしよう。
私が今、見ているもの、感じているもの、歩いているという事実。文字を打って居ること。徒労に過ぎない。答えの出てない途中式を見たところで、他者からの解釈は得られない。原因と結果が結ばれて、初めて「価値あるもの」として他者に認識される可能性が生まれるのだ。
隠すべきものを隠すのが文明なのかもしれない。
AIRBNB
Arabama shake
カウチサーフィン
ヨガが終わって、ネットカフェで中国人を待ち、彼等のゲストハウスまで歩いた。その間、バナナを日本とクッキーを一袋半平らげた。彼等と観光でもしようと思ったが、祖母が危篤だかなんだかで、彼等は帰ってしまった。取り残された私は、青緑色の美しいガンジス川のふちで長々しい日記を書いていた。
昼飯にチャイニーズヌードルを食べた。しょっぱすぎたので、水をかけた。ラーメンのようになった。それでも汁は塩っぱかった。
アシュラムの食堂でも何かしらつまみ、部屋に戻ったが鍵はしまっていた。
ファビオがきた。
部屋が開いた。
部屋で紅茶とチョコレートを楽しんでいると、カナダ人のジェフが来て、加わった。一時間ほどくつろぎ、カナダ人の女の子をヨガまで案内した。30分ほど歩いた。ギリシャ人の女の子も途中合流した。
で、ファビオとカフェでチャイ。二時間ほどWi-Fiして、ファビオと別れ、ぶらぶらしていた。モモを食べた。
すると、再びファビオに会った。彼はアシュラムの仲間を連れていた。合計18人で、ディナーを楽しみ、その後もお茶をした。
寒かったが、とても居心地の良いテントだ。温かいジンジャーハニーレモンがしみた。
ブラジル、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、チェコ、アルジェリア、日本。たくさんの国籍だ。

69. デリー

69. デリー
7時ごろにデリーにつく。
広い駅だった。
さっそくリシュケシュまでのトレインチケットをとってしまおうと駅をうろうろしていると、案の定おっさんが話しかけてきた。試しにリシュケシュに行きたいと言ってみると、ついてこいという。コミッション取られるのが嫌だったが、どうもバスステーションに向かっているぽかったので、とりあえずついてゆく。
屋台の様な簡単なつくりの代理店。ハルドワールまで550という。まあ、そんなに悪くはない気がした。値切るのや、あれこれ探すのが急に面倒になり、5分ほど悩んだ顔をしてチケットを買った。450だ。50はおっさんのコミッションだろう。まぁ、美味しいものでも食いやがれ。
鉄道の値段を比較していなかったことが、後悔を生む。少し苛々してくる。
リキシャでバスステーションへ向かう。濃ゆい霧だ。9時だというのに薄暗い。くもり。しかし、空を見上げると、オレンジ色の太陽がくっきり浮かんでいる。肉眼で容易に直視出来るほど光の弱い太陽。たき火のような綺麗な炎の色だ。悪くない。
路地の裏の裏の方に、こっそり隠れるようにバスは停まっていた。これは見つけられっこない。バスステーションで正規料金で安く買おうと思っていたが、これは無理だ。
バスのほとんどはインド人で、オーストラリア人の親子が一組いた。女2人旅、しかも親子か。微笑ましい。
今は太陽は栄養の無い卵の黄身のような頼りない寝ぼけた光で、霧の空にくっきりと輪郭を見せびらかしている。
インドの交通状態は相変わらずカオスだ。クラクションとダミ声のエンジン音が響く。もう慣れた。カオスに見えるが、彼等は彼等のルールでやっているのだ。どこの世界にも、その世界の法、自然の摂理といったものがあるのだ。
では、全世界の法というものはあるだろうか。ある。抽象的だが確実な法が。それは、我々は人間だということだ。生き物なのだ。
自分がゴミになると、ゴミに囲まれて死ぬ。自分が花になると、花に囲まれて死ぬ。
インドは色々な音を持っている。彼等は音中毒だ。マンダラの響きに飢えているのだ。
幸せの形は似通っているが、不幸せの形は様々だ。アイデンティティの確立に苛まれ、個性を持つことを強迫観念として植え付けられ、人々は自ら進んで不幸せの種を溜め込んでいる。積極的に自己を複雑にしているのだ。
そしてあえて回りくどい自己開示をする。そんなに簡単に分かってたまるものか。私には価値があるのだ。
本当に価値があるのだろうか。そもそも需要がないのではないか。売れ残ったと感じた人々は強迫観念に苦しみ続ける。
そして今度は、板挟みの原因は自分が蒔いた種だというのに、価値を認めない他者を呪い始める。
いつまでも心が休まることはない。自分と似た仲間とチルアウトしていると、傷の舐め合いと言われ、帰り道で救いようのない惨めさに襲われる。
目的地はどこなのでしょう?
部分の集合によって世界が構成されている。インドの世界観。すき。
Take away Chinaという名のレストラン。
鎌を失くしたカマキリのような傲慢さ。
現在の知覚はとても難しい。少し過ぎた過去を瞬間的に知覚することしか出来ないのではないか。ありのままに見える景色は、流れて見える。近くにあればあるほど。遠くのものは、とまってみえる、気付いたら過ぎている。
家のように立派な木。アシュラム。

68. ジェイプル

68. ジェイプル
パールパレス
朝5時に起きて、Aさんを見送り、一時間瞑想をし、シャワーを浴びて屋上でコーヒーとパンケーキ、オムレツを食べた。
甘い。舌触りがよい。しょっぱい。からい。あたたかい。足が少し寒い。
多幸感に任せて、美味しく頂いた。260ルピー。ここの宿が150ルピーだから、だいぶ高い朝食だということが分かるだろう。
10日間世話になったヴィパッサナセンターには、700か800ルピーの寄付。金銭感覚が少しおかしいな。ま、いいや。
瞑想をしても、自我は弱まらない。むしろ、強くなってる気がする。瞑想をしている俺カッコイーみたいに思ってしまっている面もある。ま、いいや。
日々、気持ちが良いのだから。
今日は、日記を書きながら、チルアウトしようか。
モンキーテンプルや天文台も少し興味がある。飛行機のチケットも取らなくてはいけないな。リシュケシュはどうしようか。とりあえず、今日の深夜にはデリーへ出発する。
トルコかイランか、リシュケシュか。
シティパレス
ミニアチュール、細密、パターンの連続、近付けば分かる人々の表情。遠近法、一点透視図法。
石を買い、宿に戻り、飯を食べた。満月。
12時まで、パールパレスのソファで寝た。
電車の席は真ん中だったが、よくねむった。

67. ヴィパッサナ

67. ヴィパッサナ
そして、次の日。
朝の瞑想。
あさめし。
種をまき。庭のさんぽ。
感傷的になりながら、散歩。くじゃくが恋しかったり、ほこりだらけのベッドが恋しかったり、何もかもが恋しかった。終わったのだ。
やど。
トニーと挨拶。頼んでいた石を受け取る。彼は上機嫌だ。話したがりだ。きいてあげた。
チャイ。
A氏とデリーまでの列車のチケットをとり、パールパレスに宿を変えた。Aは、美味しそうにスプライトを飲んだ。あんなに恋しかったのに、いざ飲んでみるとあまり美味しくないなぁ。とトボけた笑みを見せた。
宿で紅茶を飲んだ。Aは喜んだ。たばこを一服、二服。新鮮な気分だった。
頭が、ぼんやり。ぼんやりしていた。
屋上のレストランで、飯を食べた。クリームブリュレが美味しかった。薄いべっこう飴を乗せた柔らかいプリンだった。
Aがおごってくれた。私は、天ぷらのようなものとごはん。Aは、チキンカレーを食べた。チキンカレーは殺人的な塩加減に感じた。ヴィパッサナの薄い味付けが懐かしくなった。
昼に町を少し歩き、少し瞑想をし、一日中のんびり過ごした。
町は、たくさんの情報で溢れまくっていた。疲れて眠くなった。宝石屋は休みだった。
マウンテンデューを飲んでみた。甘い!余計に喉が乾いた。
宿に戻り、お茶を飲もうと屋上に行ってみると、ヴィパッサナ仲間がいた。
楽しく話した。少しビールも貰った。完璧に幸せだった。多幸感だ。
アニッチャー。身内ネタで盛り上がった。
語る。まくしたてるように語る。
ひたすら語った。
睡眠時間を削って瞑想をする。
すると、生活はクリアになり、苦しみがなくなる。
惰眠を貪るか、瞑想をするか。
それをするだけで、未来の10年間が苦痛に変わるかクリアに変わるかが、左右される。
ねむい。今日は食べ過ぎた。


66. ヴィパッサナ

66. ヴィパッサナ
終わった。
沈黙が解かれた。
美しい庭だ。ワンダーランドだ。
10日間耐えたことを、皆が笑顔で讃えあった。こんな感じだった、あんな感じだった、すごい経験をした、不思議だった、そんなことを嬉しそうに話し合った。散歩しながら誰かと出くわし、効果を語りあった。皆、自らのトラウマや痛み、快感と対峙し、目を瞑り続けてきたわけだ。誇らしげだ。
Aとベンチで紅茶を飲んだ。バナナも食べた。チョコクッキーも。重たい瞼をそのままに鳥を見ながら日向ぼっこした。
外人たちが、さっそくギターを弾き始めた。ピアニカ。ドラム代わりのごみ箱の裏。
インド人も交え、音楽を、歌を歌った。私は、ドラムにあわせて茶こしと金属のピッチャーでカンカン音を鳴らした。英語の下手なイケてない中国人もニコニコしながら側で見ていた。
アニッチャーアニッチャーアニッチャー。全てのものは変化している。
日記を書きたいが、時間が無い。
アナパナ瞑想
ヴィパッサナ瞑想
八正道
戒律
精神集中
知恵
愛と慈しみ。
無意識、肉体、
執着・渇望、嫌悪。
苛立ち・憎しみ、疑い、睡魔。
自我
無知
妄想
信仰、努力、知覚、知覚の連続性、知恵パンニャ
知覚、認識、感覚、反応
無意識が快感か不快感か、過去の経験から勝手に分類。反応。例えば、足が痛ければ足を組換え。肌がかゆければ自然にかく。
自然な呼吸を意識した精神集中の状態で、それらを知覚し、反応を辞める。
我々に許された仕事は、観察すること。ただ、それだけ。
思考することは許されていない。
とはいえ実際には、無意識から暴れた過去の感情が溢れ出す。
私は無意識を知った。単にそれらが過去の積み重ねであること。
足りない足りないと泣き叫ぶ赤ん坊の様に、我々は常に渇望を生み続けてきたこと。
外部の物質的な出来事に対して無意識的が種を生み、蓄積を生む。
種。そして、実。
我々が今考えていることは、結局のところ過去の経験に基づくものだということ。
それを、知った。私の経験を通して。
あんなことこんなこと色々なことがあった。
なぜ私は、弱いものいじめの癖がついたのだろう。
なぜ私は、寂しがりやなのだろう。
なぜ私は、虚勢をはるのだろう。
なぜ私は、こんなに性欲が強いのだ。
なぜ私は、こんなに食欲が強いんだ。
なぜ私は、暴力に強い執着を持つのだろう。
なぜ私は、一人遊びが好きなのだろう。
なぜ、なぜ、、、
こういったコンプレックスが、どんどん浮かんでくる。それにいちいち惨めになる日もあった。
しかし、思い出せば思い出すほど、記憶は強くなる。今は将来の過去であり、今考えているこの回想は将来の無意識だからだ。
それらに執着してはならない。
しかし、それが難しい。
考えてはダメだ、考えてはダメだと、考えれば考えるほど、強い執着に囚われてしまう。そのうちに、別の思い出が頭をよぎる。
同様に、時には快感の経験も頭をよぎる。村上春樹はアフターダークで、「人は過去の思い出を燃料にして生きる」と女子プロレスラーに語らせているが、そのような感覚だ。
あの時の、幸せな経験。
母の、父の、妹たちの愛。
美しい情景。
抱いた女の記憶…それはもちろん惨めさ交じりだが。
白いテーブルクロス、紅茶、窓から差し込む光、ビスケット、薄手のカップ、一切れのレモン、小説、友、チャイ、、、そんな妄想に囚われたりもした。
なんで、集中出来ないのか!
なんて私の心は弱いんだ!
なんて私の自我は強いんだ!
なんて私は欲張りなのだ!
また、足には激痛が走る。始める30分は良い。だが40分もすると、万力で締め付けられた様な激痛がどくどくとした鼓動にあわせて足を痛みつける。苦痛で顔が歪む。身体中から汗が吹き出る。もうダメだ、もうダメだ、もうダメだ。足を組み替える。快感…後悔。
だか、やがてコツも掴んだ。
呼吸と心臓の鼓動。
火、土、水、空気。空気が動きを、火が熱を、土が重さを、水が塊を。それらの感覚をつくる。
浅い呼吸で低酸素状態を作り、感覚を麻痺させる。
少ない鼓動で痛みの勢いを和らげる。
しかし、つづかない。
掴んだコツをメソッドとして実践しようとすると、標的はたちまち逃げ出す。どんどん遠くなる。
浅く呼吸をコントロールしようと思えば思うほど、次の呼吸が苦しくなる。自然に任せ、浅い呼吸を知覚するや否や、心臓がびっくりして呼吸が荒くなる。
そうして、結局は「あるがままの観察」に落ち着いた。
食事の喜び。
食事を楽しみに耐えてきた。
食事は大いなる悦びであり、救いだった。よく噛んだ。チャイも沁みた。砂糖が甘かった。
私はカフェインや甘いもの、辛いもの、酸っぱいものといった刺激物に目が無いことも分かった。
いや、ストレスに対して反応していただけかもしれない。
何れにせよ、刺激を求めた。
散歩も心地よかった。はとやムクドリのおしりの愛らしいこと。ポコピン鳥も牧歌的なワンダーランドを演出させた。猿の顔の黒さ、尻尾の長さ。犬のように大きな孔雀がヘリコプターのような羽ばたきで木にばさばさ飛んだ。時折、どこかで牛も鳴いた。
セメントで出来たベンチに寝転がり、ひたすらに碧い空と木々の陰とのコントラストを楽しんだ。
ムーンストーンのような形をした月が、日を重ねるたびに層を重ねる大きさを得てゆくこと。
歩いてるうちに、詩的な文句も思い付いたが、忘れてしまった。
私は、感じた。経験した。感動した。日々見過ごす些細なことに、ふと喜びを感じた。それは、事実なのだ。私の世界の真実なのだ。
私にとって、私の世界にとって、世界の中心は、私である。言うまでもない。
奇跡や幻想、マンダラやカリスマ的指導者もいなかった。彼らはテクニックのみを教え、時間割と食事を私に与えた。
見たものの全ては、私が掘り起こし、私が見つけ、私が経験したのだ。私は私の中に、不思議な経験をした。不思議としか形容出来ない。
このiPhoneを触るとき、初めて触ったかのような感覚に驚いた。たった10日ぶりなのに!
10日という時間が、私の意識からiPhoneをすっかり忘れさせたのだ。
経済は、無意識に訴える。
欲望に満ち溢れ、情報に満ち溢れる。世間。社会。
さまざまなものが、渇望と嫌悪を金の種にしている。
例えば、美女が水着でラーメンをすする。私は美女もラーメンも欲しくは無いのに、反応する、無意識が。
我々の目は外に向いている、常に。
私は、内に向けなくてはならない。
あいつがムカつくと思ったとき。
ムカつくという不快な感情を育てているのは私ということを知覚する必要があるのだ。
今日はもう遅いので寝る。
21:54だ。明日は4時に起きるのだ。歯磨きをしなくては。
言葉の響き、バイブレーション。無意識への壁。
生まれては消えてゆく、あの感覚。バイブレーション。すごい早さで。
電流の感覚。
また痛みが生まれる。
けれど、冷静さを保っていればそれは消える。
自然の摂理だ。
まだiPhoneの感覚に慣れない。慣れたくは無いな。
私は今、こっちの世界に執着を持ち始めているのかもしれない。
下品なインド人、げっぷ、おなら、へんな唸り。
ミスター下品1号、2号、3号、うっせえババア、うぜえインド人、ハルク、息の臭いフランス人、ミスキュート、
ケベックから来た二人の男
オーストラリアからきたジョー、彼がハルク
教祖のうた。
日本語の下手な女。
たくさんの比喩。
87%
22:00
全ては記号だと思った時期もあった。
ダンマ
シーラ
サマーディ
パンニャ
サンカーラ
精神、言葉、肉体
精神を鍛えること、正すこと。
22:03

65. ヴィパッサナ

64. ヴィパッサナ

63. ヴィパッサナ

62. ヴィパッサナ

61. ヴィパッサナ

60. ヴィパッサナ

60. ヴィパッサナ
4日目
目が覚めて、二度寝して朝の瞑想はさぼった。
そのまま朝ごはんだけ食べた。チャイも飲んだ。1.5杯。砂糖もたっぷりだ。大さじ三杯ほど投入し、甘々の状態で飲む。飲んだあとも下に砂糖が残る。それをスプーンで食べる。快感、快楽、幸せ。
自分はなんて駄目なんだー、とか惨めさに打ちひしがれることはなく、気持ちよく寝た分、しっかり瞑想しようと言う気になった。
そして、新しいことを習った。
頭から、つま先まで感覚を意識するヴィパッサナだ。今までの修行は、アナパナというやつだったらしい。なんやねん、アナパナて。
そんなことより、ヴィパッサナは楽しかった。高校のころに、演技レッスンでやったアレだ。
肌が空気と触れる感覚。普段意識してないために気付いていないだけの感覚。
それを感じるのはとても新鮮だったし、空気が暖かくて気持ちよかった。
没頭した。
頭から、おでこ、まゆげ、まぶた、鼻、ほっぺ、上唇、下唇、あご、耳、首のうら、首、肩、二の腕、肘、そのへんの腕、手首、手の甲、掌、指、親指、人差し指、中指、薬指、小指。
その要領で、爪先までたどり着く。右手が終わったら左手と、順番に、丁寧に感じてゆく。
さすが、神経が張り巡らされてるだけあって、手は、たくさん感じる。
目を閉じているが、意識している部分を黒眼が追いかけているのが分かる。
背骨を意識し始めたとき、猫背になっていたことに気づいた。正す。
足は相変わらず痛かった。
説明では、溶けてゆく、と教わった。全然溶けない。痛い。
痛みを感じるや否や、集中力が切れた。集中力が切れたその後は、再び仏陀を登場させ、叱らせ、耐えた。
そんな風にして、ヴィパッサナの一日目を終えた。
テープで注意点を聴こうとしたが、テープが上手く再生出来ず、Aが壊したので、英語版をみんなと聴いた。
どうやら、教組はゴエンカという名前のおっさんらしい。彼の話ぶりはユーモアに富んでいて、とても面白かった。外人も声をあげて笑っていた。
White? What is white? 
Oh you don't know the white. Hmm white is white, not black. Black? What is black? 
Oh you don't know the black. Hmm. Oh Look. This duck is white. 
Aha white is like this. White is soft.
No!!!
身振り手振りを交えて面白かった。ゴエンカは、元ビジネスマン。金持ちだった。
このおっさん、教祖だと思ってあたけど、ただの面白いおっさんだった。
こいつの変な歌にも耐えられる気がしてきた。
満足して眠った。


59. ヴィパッサナ

59. ヴィパッサナ
3日目
朝、暗い。
目が覚める。ここはどこだ。ああ、ここか。寒い。うう、起きるか。
瞑想だ。眠い。少し寝てしまおう。
うし、すっきりした。あと何分だ。それくらい頑張るか。うーむ。
朝ごはんだ。嬉しい。バナナだ。お粥だ。チャイだ!
でも、待てよ。そろそろチャイを控えるか。カフェイン中毒だもんな。純粋な瞑想をしよう。
その日も、瞑想に励んだ。
昼飯前の瞑想は、正座をしてみた。とんでもなく痛かったが、40分耐えた。嫌な汗が身体中から吹き出た。ヤメロ、ヤメロ、楽になっちまえ。漫画の悪魔が話しかける。私も一緒になって、せやな、足を傷めても事だしそろそろやめるか。とか思った。その度に、手塚治虫のブッダが叱りに来た。当時の私はマジだった。頭の中で仏陀をイメージし、弱い私を叱らせた。痛い。頑張れ、へこたれるな、この世には苦しんでる人が何万人といるんだ。あーだこーだ。痛い。いいこだ、頑張れ!
コントのように、一人芝居をして、とにかく耐えた。
終了の鐘が鳴ると、思わず地面にへばりついた。五体投地の気分だった。しんどかった。目を瞑ると、こめかみの血管がどくどくと音をたてて激しく脈打っていた。
5分ほど動けずに横になり、やり切った気持ちで昼食へ。
昼飯すぎ、
カフェインを摂らなかったせいか、頭痛が酷くて大変だった。
その後の瞑想は、あぐらをかいた。それでも足は痛かった。
夕方、チャイを抱きしめるように飲んだ。大事に一杯だけ。飲んだ。
スナックも食べた。唐辛子を多めに振りかけ、お粥と一緒に噛み締めた。
その後も、瞑想。ディスコース。瞑想の注意点とか、仏教のこととか聴いたな。
寝た。

58. ヴィパッサナ

58. ヴィパッサナ
二日目は、朝からちゃんと目を覚ました。昨日頼んでおいたので、ちりちりベルを鳴らすアシスタントが部屋まで起こしにきた。
朝ごはんは美味しくなかった。お粥、バナナ、よくわからないふにふにしたケーキみたいな塩っぱいやつ。微かな酸味とスパイスの茶色いソースが、絶妙に不味い。
瞑想は、相変わらずだ。
足の痛覚が無くなることを期待して、ひたすら耐えた。色々なことを思い出した。脈絡も無く。思い出す。呼吸に集中しなくてはならないのに、どうしても思い出してしまう。むしろ、思い出させるのだ!無理矢理映画を見せられている感覚だ。脈絡がないとはいえ、思い出す記憶を選ぶことも出来るといえば、出来る。例えば、5歳の誕生日の記憶だとして、ケーキを思い出すか、プレゼントを思い出すか、着ていたセーターのちくちくとした感触を思い出すか、みんなの顔を思い出すかは気分次第だ。一つの思い出に対して、色々なことを覚えているのである。
しかし、はっきりと覚えていないことに関して、記憶は勝手に捏造を加えていたりする。
また、強く想起される出来事の多くは、印象の強い記憶であることが殆どだ。
印象の強い記憶とは、
自分が惨めに感じた状況。
快感を感じた状況。
大きく分けると、その二つ。
目をそらすことも出来るはずなのだが、つい目がいってしまう。
もう一度、確かにしておかなければならないことは、この瞑想中は、記憶を遡ることが目的ではないということだ。
もし、私が積極的に記憶を遡ることをしていたなら、おそらくはこんな瑣末な思い出は想起されることがなかったであろう。
あくまで、目的は、集中力なのだ。
と、今(12/23)だからこんなことを書いていられるが、当時は、疑いしかなかった。うさんくさい。インド人うぜえ。腹がへった。がまん。そんなことばかり思っていたと思う。

57. ヴィパッサナ

57. ヴィパッサナ
1日目、12月5日
朝、目覚めると変な歌が流れていた。時計がないので、何時か分からない。食堂に行ったら、7時だった。フランス人のアシスタントに、ブレックファスト フィニシュトと言われた。
ああ、朝めしが無いのか。心配だ不安だ。お腹が空いた。しかし、無いものは仕方が無い。昼食まで待とう。人間、手元にあるとつい誘惑に負けてしまうが、無いと諦めるものだ。
朝食のあとは、30分休憩がある。仕方なく、敷地内を散歩した。孤立した世界。ここで完結する世界。監獄みたいだな。と思ったけれど、なんだかんだここの環境は素晴らしい。クジャクが何匹も散歩している。それも犬のように大きく、ラピスラズリのように綺麗な青色をした立派なクジャクが。我々に混じって彼らも散歩する。いや、我々が彼らに混じっているのかもしれない。
朝、4時からの瞑想は逃してしまった。みんなは、2時間私よりも先に進んでいるのかなと思うと、少し惨めになった。
さて、鐘がなり、瞑想が始まった。ダンマホールというホールに集まり、みんなで瞑想する。白い壁にNOBLE SILENCEと青い文字で書かれたホール。薄暗く、ほどよい沈黙に満ちて、少し寒い。つぶれた座布団に、小さな座布団が一つ。冷めた四角いパンケーキにけちなバターを乗っけた印象だ。あぐらを組み、指示を待つ。
すると、先生みたいなのが壇上に現れる。そして、朝目覚めた時に聴こえた変な歌を流し始めた。もったいぶったガラガラ声。新興宗教の教祖の歌を聴かされている気分だ。また、語尾がゾンビの呻き声のようなのだ。
苛立たしい!こいつらは私を洗脳しようとしているのだろうか。期待してきたというのに、何がNOBLE SILENCEだ、止めやがれ畜生!
しばらくして、歌は止んだ。
まぁ、仕方が無い。宗教的な儀式とはいえ、初めの一日だけだろう。尊重してやるか。
一日目は、鼻呼吸をすることから始まった。鼻です。鼻で呼吸をし、ただ観察するのです。意味不明だ。
ひとまず姿勢を正して、始めてみた。すると、まあ、なにも変わらない。
鼻にセンセーションを感じろ、という。何だセンセーションって、感じるわけないだろう!
ひたすら鼻で呼吸した。
目を閉じ、何年も干されていないでろうくたびれた座布団にあぐらを組み、鼻にひたすら意識を集中させ、ただ時間が過ぎるのを待った。
長い!時間が長すぎる。今どれだけの時間が経ったというのだ、さすがに20分は過ぎただろうが、3時間くらいに感じる。足と背中がくたびれてきた。これも慣れるのだろうか。背中に筋肉がつきそうだな。足がしびれてきた。どんどん痛くなる。なんだ、万力で締め付けられたような痛みだ。耐えられない。なるほど、我慢か!これがあのバカ教組が伝えたかったこrとなのか。よし、耐えてやろう、俺様を舐めるな!
さて、悲しいかな。5分ほどして、痛みは私のなけなしの我慢の限界を容易く超えた。私は足を組換えた。
ふ。まぁ、こんなもんだろう。最初だかえらネ。だんだん痛覚がなくなってくるんだよね、うんうん、進歩進歩。
そうして、それを何回か繰り返し、たまに呼吸に意識を集中させ、一時間が終えた。終了の合図はあの教祖の歌。勘弁してくれ。
5分間の休憩の後、また瞑想は始まった。依然として、はじまりとおわりには教祖の歌が流れ始める。せめて、日本のお経が聴きたかった。全く心が落ち着く気がしないのだ。なにが、パーリ語だ。知るか!
瞑想後の昼食は、やたらと美味しかった。
本当に美味しかった。食べ過ぎは瞑想のために良くないと聞いてはいたが、遠慮なくお腹いっぱい食べた。
昼食のあとは、1時間半の長い休憩だ。疲労を感じ、ベッドで一眠りした。食べてすぐ寝たといって、牛になってたまるか。ベッドは砂っぽく、部屋は埃臭かったが、温かな体温と窓の外の牧歌的な木々の一部を眺めながら、私は幸せな眠りのなかに身を委ねた。
スピーカーを通した太い鐘の音で目が覚めた。
アシスタントがチリンチリンと小さな鐘を鳴らしながら敷地内を歩き回る。
さて、瞑想だ。
午後の瞑想は、気持ちが良かった。というか、居眠りをした。暗くひんやりとしたホールに、暖かな日差しが限定的に差し込み、私の膝を温めた。優しく大きな手に撫でられているような心地よい感覚だ。私はこっそりと睡魔と抱き合った。
目が少し覚める。夢現で、耳を澄ませる。鳥のさえずり、木々の風。私の呼吸。
さて、始めるか。
そんな感じで、一日は終えた。5時には、ティータイム。チャイがおいしく、玄米粥と黄色い米のようなスナックも出た。美味しかった。
7時半に、日本語テープの説明が始まった。ためになるものだった。
寝た。

56. ジェイプル

56. ジェイプル
無意識化された知覚を意識しめ、呼吸を感じ、瞼の裏を見る。
ここの宿の住人はなんか楽しそうじゃない。
12.4
貧困に対する処方箋は無い。
耕す:掘り出し、噛み砕き、埋め戻す
文字禁止→記号が残る。
コミュニケーション禁止→
犬と同じ、あると食ってしまう。
無くてもがく。
笑うのはいいのか!?
以上が、この日書いたこと。
これより下に書くのは、修行が終わってから考えたこと。
この日、昼までトニーゲストハウスでぐうたらし、背の低いヒゲモジャフランス人と日本人のAさんと
日常生活に必要なもの以外全て預けた。だから、日記がつけられなかった。いわば、後日談だ。
人々は、この日以降喋ることが出来ないためか、やけにお喋りだった。不安な気持ちをお喋りで紛らわしているのだろう。
私はというと、誰かが間違えて私のサンダルを履いて行ってしまったことで頭が一杯だった。お喋りに興じず、人々の足元をじろじろ見ては探しまわった。
結局その日は見つからず、次の日に発見した。犯人はギリシャ人のおじさんだった。軽く一瞥し、不安は消えたが、若干の苛立ちは残った。


55. ジェイプル

55. ジェイプル
朝8時に起きる。ベッドがかたい。
そういえば、5時くらいに猫が腹の上に乗ってたっけな。
起きて、宿のチャイを飲み、Mとマサラドーサを食べる。
10時に待ち合わせ場所に行き、宝石を買いに行く。
エバーグリーンの宝石屋街でたくさん買った。
リキシャでしばらく行き、ムスリムの住む地域の、トニーの友達の家のコレクションは、レアではないが、質が良かった。
気付けば7時くらいだった。
90で昨日行った定食屋でカレープレートを食べ、宿に戻る。
Wi-Fiが繋がらない。
明日はヴィパッサナだ。私の欲望のベクトルは、今どこに向いてるのだろうか。
やれやれ。

54. ジェイプル

54. ジェイプル
笑える話を書きたければ悲しい人を登場させれば良いし、泣ける話を書きたければ儚いもの、美味しいものは暗い砂漠の温かいごはん、恐怖は見えないもの、愛なら三角関係、かっこいいものはバランス
朝8時に起きる。
昨日行った定食屋でカレーを食べる。注文してから、くるまで、毎回ひやひやする。料理にちゃんと火は通っているだろうか、生野菜に良からぬバクテリアはついていないだろうか、エトセトラ。料理が来てしまえば、美味しくてさっさと平らげてしまうのだが、それまでは怖くて仕方が無い。よく噛んで食べよう。そう心に誓うのだが、美味しくてつい飲み込んでしまうのが常だ。
始めは気を付けてよく噛むのだが、だんだん顎もくたびれてきて、ばくばくいってしまう。
美味しかった11:00
精神は部屋に語られる。孤独は部屋である。部屋から出られない孤独、部屋に入れない孤独。
何もない部屋に一人でいる人間。
耳を澄ます。
思い出、記憶。何かが私に記憶を思い出させる。私は思い出すのではなく、耳を澄ませて、聴く。受動的に。
声が、どこからか聞こえるのだ。、
アクセンチュア
PWC
デロイト
ボスコン

53. ジェイプル

53. ジェイプル
まがまがしいiPhoneのアラームで目を覚ました。そうか、4時過ぎか。
ここはジェイプルか?いや、まだだろう。眠いし二度寝しよう。
うーん、でも結構長い時間停車してるなぁ。念のため聞いてみるか。
ここはジェイプルだった。二度寝しなくて良かった。
トゥクトゥク
宿
20R
中国人、健奇
ベジフード
カリフラワー
カレープレート
散歩
選挙の為にほとんどの店が休みだった。
眠気
私のベッドには寝相の悪い三毛猫が昼寝していた。
屋上でひたすら音楽を聴き、本を読んだ。
コーヒー
ウイスキー
煙草は雨水が染みたクッキーの様な味がした。小綺麗に掃除されたインドのトイレを思い出させる匂いだ。
18:11
一切の暗喩はない。
20:01
本を読み、猫と遊び、軽く体をほぐし、携帯をいじるほか、取り立てて何もしていない。
ごはんはまだ出来ない。まだだろうか。えらく空腹だ。
ゲストハウスにはカップルが二組。日本男、ブラジル女。カナダ男女。日本男は長髪で、ブランキージェットシティのベースに似ている。ブラジル女はスペイン系だろう、男とスペイン語で話す。あれ、ブラジルはポルトガルだっけ。どことなく日本人らしい顔立ちをしている。
他には中国男、国籍不明の白人。
今日の深夜の電車に乗る30歳の日本人は、せっせと日記を書いている。
そんな感じだから、なんだかさみしい。恋人が恋しい。
ノラジョーンズの声で我慢するか。キースジャレットはメランコリー。
カナダ男女は、ヴィパッサナ後だという。一日中、宿の屋上に居た。バナナを食べたり、コーンフレークを食べたり、お湯を飲んだり、あまり幸せそうではない。男は、ナイーブな顔をしている。見るからに弱々しく、冴えない顔をしている。彼女の方が男らしい。姉弟に見えなくもない。二人とも、ぼんやり日記を書いたり携帯をいじったりしている。