2013年12月31日火曜日

78. イスタンブール

78. イスタンブール
起きた。朝飯を食べた。宿の男は、何時にチェックアウトするかを訪ねてきた。体も重かったので、もう一日泊まることにした。
昼三時ごろまで、ベッドで過ごし、昼飯にカップ麺を食べた。こっちで買ったコーヒーミルでコーヒーを淹れてみた。残念ながら、捨てるほど美味しくなかった。エスプレッソメッシュは、新鮮な豆に限るのだろうか。酸味は限りなく弱くなっていた。この豆もそろそろ限界なのかもしれない。いや、ミネラルの高い水のせいか。物価とミネラルは比例するのか。何を言ってるんだ。まったく。


暗くなる前に、アヤソフィアに行った。ハギアソフィアともいう。こっちの人はもっぱらアヤソフィアと言うらしい。ウィキペディアで歴史を調べ、出かけた。アヤソフィアはここから歩いて2分の場所にある。ナイーブな観光客の軍団が噴水付近で写真を撮っていた。ガイドブックや、しょーもないガラクタを売る人々が鬱陶しく話しかけてきた。どこも変わらない。
入場量は25リラもかかった。なんて高いんだ。
アヤソフィアは大きかった。なかなか迫力がある。しかし、どうもパッとしない。キリストの寺院をメフムト2世の支配の時にイスラム風に作り変えたときの無理矢理感が否めない。天井のドームは歴史上、幾たびも崩れ落ちているらしい。構造上にも無理があるのだ。床もひどく歪んでいて、石のタイルがどこもかしこもひび割れていた。試しにジャンプしてみたら、石の隙間から埃が吹き出した。歩くたびにかちゃんかちゃんと音がする。
メフムト2世は指導者として力量がなかったのではないか。彼は、イスタンブル陥落したら、3日間略奪をして良いと兵士たちと約束したらしい。その約束がなければ兵士たちのモチベーションを高めることができなかったのかなぁと。ふと思う。他の軍隊も略奪は当たり前なのだろうか。
しかし、イスラムの連中は頭がいい。モスクに、病院や学校、他にもなんちゃらと、複合施設を組み合わせたのだ。祈りの場だけではない。
宗教を生活と密着させる能力がすごい。
インドの宗教は素直に興味が持てたけど、キリスト教を見ると支配を見てしまう。
神話と宗教の違いだろうか。
神話は、神がいかに人々の生活を支えたか。
宗教は、いかに聖職者が人を支配して来たか。
恐れが裏に構えては、愛や慈しみなど無いのだ。
盲目的信仰より哲学。哲学より現実。
肌の青いおっさんの髪から滴る水が川になってカルマを浄化とか、意味分からんくて愛らしい。
そんなことを思っているためか、モスクに関心こそすれ、感動はできない、好きになれない。
やはり、中東を見てくるべきだった。いきなりトルコを見ても、イスラム文化がわかりゃしない。中東が空白だ。
戦争のおかげで歴史は面白くなる。文化は埋もれる。
そういえば、ヨーロッパは戦争ばかりしている。彼らの歴史は戦争の記録と言って良いかもしれない。文化を楽しみたいと思ったら、戦争とは無縁だった国を選べば良いのかもしれない。他の文化の影響は文化を育むきっかけになるが、他の文化の介入は、暴力的な力で無理やり矯正するようなものだ。
ピュアな世界観を求めれば求めるほど、地理的に孤立した環境の方が好ましいのかもしれない。
アヤソフィアは、まさしくその介入が顕著に見られた。イスラムの丸いカリグラフィーはハリボテだし、キリストのモザイク画は、漆喰で覆い隠されただけだ。
記号としてのキリスト
キリスト側からしたら、なんてことをしてくれてんだ!という気持ちだろう。私のエスプレッソにフレーバーシロップを入れられるようなものだ。日本の寺にきらきらのビーズで装飾を加えるようなものだ。勘弁してくれ、だろう。
モスクの外で、日本人のおばさんに話しかけられた。不思議な格好してますね、とのことだ。物売りかな、と思った。実際、土産物屋をやってるらしい。私が金を持っていないことに気いたのだろうか、世間話をした。トルコの情勢、イスラム色が強くなりつつあるということ、汚職で議員が次々に辞職しているということ。安いレストラン街を教えてもらった。
ほじゃぱしゃ
よるめし
ピーマンのピラフ詰め、シナモンの香り
ナスのヨーグルト煮込み、焼き芋とクリームチーズのような甘さ、
ホーレンソーのグラタン
野菜
セロリの煮込み
7リラ
3リラスープ、豆
複雑だが、優しい味。少し油っぽいが。客は私一人だった。人通りが少ないにもかかわらず、レストランがひしめいていた。客引きの白髪の爺さんは必死だった。気のなさそうな観光客にもしつこいぐらいにメニューを見せにいった。ハローフレンド、nice to meet you y nama is osman are you hungry? ok so why dont you come and drink wine or beer?
なんだか悲しいぐらいだれも引っかからなかった。
料理自体は本当に美味しかったので、丁寧にお礼を言ったが、会計が済むや否や、目も合わせて来ようようとしなかった。
ちぇ、たった10リラかよ。ああ、今日のアガリもしけてんな。年越せるのかな、悲しいな。といった表情だ。私の満足感には興味がないのだ。ひたすら惨めさに打ちひしがれている様子だ。
オスマンは、道化らしく、握手で別れたが、何千回繰り返したであろう慣れた形だけのコミュニケーションだった。
頑張るところが間違っているなぁ。とおもった。慣習的に、ただ頑張ることで、なんとかしようとして、必要条件を蔑ろにしてしまっている。やれやれ。
宿に戻り、ロビーで中国人と話した。彼は、可愛い奥さんと、9歳の娘がいる。エジプト、アフリカで重機のエンジニアをしている。catやコマツ、中国の重機メーカーを扱っているらしい。
日本と中国が仲良く欧米露と対抗していたら、北南韓国も東南アジアも、もっと良くなっただろうに。と話した。
中国のお茶をくれた。5番煎じまで楽しめた。パイナップル、リンゴのようなフルーティな香りだった。親戚の農園の茶だそうだ。

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