2013年12月31日火曜日

81. ソフィア

81. ソフィア
朝4時頃に着いた。予定では7:45だったのに、やけに早く着いた。外は寒かった。外で置いてけぼりにされたらどうしようと思ったが、ステーションが空いていた。7時まで寝ることにした。金属の椅子を5個くらい使い、横になった。寝心地は最悪だった。頭が重い。
レッドブルを飲んだ。皆、英語が通じない。
7時だというのに、まだ陽が昇っていない。霜がおりている。-2℃だそうだ。ライオンの像がある橋を超えて、HOSTELの文字を頼りに宿探しをした。
3時間ほど寒い街を歩き回った。これ、という宿に巡り合えず、がっかり肩を落としながら歩いた。もう帰りたい。
バスターミナルに戻り、ブダペストまで行ってしまうことにした。こんなサビれた街で年越しは御免だ。
トラベルエージェンシーでブダペスト行きを調べ歩いた。こんなことなら、イスタンブルから直接ブダペストまで行ってしまうんだった。
48ユーロだという。
今日の便はもう出てしまったらしい。ウィーン行きが61ユーロだったのと天秤にかけ、折角だからブダペストに行くことにした。明日の9時の便だ。宿も10ユーロで手配してもらった。
宿までは、路面電車を使った。1レヴァだ。電車に乗って来るのは、ジーサンバーサンばかりだ。ここも高齢化なのだろうか。
絵が、魂を持つことを拒否している。
記号、記号としての神、キリスト。
暗い教会の中。ろうそくの光。そこに出口を求めてしまう。光が映し出すキリスト。後光が射して見える。美しい。
等間隔に並ぶステンドグラス。天井には、神の顔。我々は神に見下ろされてることを知る。
神は教会においてのみ、姿を表す。眩しすぎて見えない光。見えない。
しかし、強引にも描かれた神の顔。神の顔を直視できるのは、教会だけなのだ。
世界。教会の中に世界を演出する。壁は神話で満ちている。神々や聖人の経験した世界を見せてくれる。
それを見た我々は、我を忘れる。
頭に浮かぶリング。金色。背景は青。ろうそくの淡い光は、金色をのみ強く反射する。リングが実体化する。
我を忘れた参拝者は、神の像にすがりつこうとする。
しかし、近付けば近付くほど、モザイク画はリアリティがなくなる。像は云う、私は像です。神ではありません。神の影なのです。
近付きすぎて石の羅列しか見えなくなった崇拝者は、はっと我に返る。
そうか、私が神だと思って見ていたものは、石の配列に過ぎない。しかし、私が感じた感動は何なのか。この感動はどこから来るのだろうか?
そうこうしている間に、煌びやかな儀式が現在を進める。
ソフィアは古着屋天国らしい。ということで、古着屋巡りをした。5軒ほどまわってみたが、質のよい古着は見つからなかった。
火曜日が仕入れ日らしい。今日は日曜日だ。しょぼいのしか無いのだろう。古着屋でH&Mを見つけると、ハズレくじを引いた気分になる。
キリスト教会、モスク、シナゴーグをたくさん周り、帰路についた。
宿の夕飯は、不味かった。トマトソーススパゲティなのだが、チーズがなかった。そんなこんな言いながら、味気ないスパゲティを綺麗に平らげた。外人が世間話を始めた。慣れない。
シャワーを浴びた。

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