2013年12月31日火曜日

58. ヴィパッサナ

58. ヴィパッサナ
二日目は、朝からちゃんと目を覚ました。昨日頼んでおいたので、ちりちりベルを鳴らすアシスタントが部屋まで起こしにきた。
朝ごはんは美味しくなかった。お粥、バナナ、よくわからないふにふにしたケーキみたいな塩っぱいやつ。微かな酸味とスパイスの茶色いソースが、絶妙に不味い。
瞑想は、相変わらずだ。
足の痛覚が無くなることを期待して、ひたすら耐えた。色々なことを思い出した。脈絡も無く。思い出す。呼吸に集中しなくてはならないのに、どうしても思い出してしまう。むしろ、思い出させるのだ!無理矢理映画を見せられている感覚だ。脈絡がないとはいえ、思い出す記憶を選ぶことも出来るといえば、出来る。例えば、5歳の誕生日の記憶だとして、ケーキを思い出すか、プレゼントを思い出すか、着ていたセーターのちくちくとした感触を思い出すか、みんなの顔を思い出すかは気分次第だ。一つの思い出に対して、色々なことを覚えているのである。
しかし、はっきりと覚えていないことに関して、記憶は勝手に捏造を加えていたりする。
また、強く想起される出来事の多くは、印象の強い記憶であることが殆どだ。
印象の強い記憶とは、
自分が惨めに感じた状況。
快感を感じた状況。
大きく分けると、その二つ。
目をそらすことも出来るはずなのだが、つい目がいってしまう。
もう一度、確かにしておかなければならないことは、この瞑想中は、記憶を遡ることが目的ではないということだ。
もし、私が積極的に記憶を遡ることをしていたなら、おそらくはこんな瑣末な思い出は想起されることがなかったであろう。
あくまで、目的は、集中力なのだ。
と、今(12/23)だからこんなことを書いていられるが、当時は、疑いしかなかった。うさんくさい。インド人うぜえ。腹がへった。がまん。そんなことばかり思っていたと思う。

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