2013年12月31日火曜日

57. ヴィパッサナ

57. ヴィパッサナ
1日目、12月5日
朝、目覚めると変な歌が流れていた。時計がないので、何時か分からない。食堂に行ったら、7時だった。フランス人のアシスタントに、ブレックファスト フィニシュトと言われた。
ああ、朝めしが無いのか。心配だ不安だ。お腹が空いた。しかし、無いものは仕方が無い。昼食まで待とう。人間、手元にあるとつい誘惑に負けてしまうが、無いと諦めるものだ。
朝食のあとは、30分休憩がある。仕方なく、敷地内を散歩した。孤立した世界。ここで完結する世界。監獄みたいだな。と思ったけれど、なんだかんだここの環境は素晴らしい。クジャクが何匹も散歩している。それも犬のように大きく、ラピスラズリのように綺麗な青色をした立派なクジャクが。我々に混じって彼らも散歩する。いや、我々が彼らに混じっているのかもしれない。
朝、4時からの瞑想は逃してしまった。みんなは、2時間私よりも先に進んでいるのかなと思うと、少し惨めになった。
さて、鐘がなり、瞑想が始まった。ダンマホールというホールに集まり、みんなで瞑想する。白い壁にNOBLE SILENCEと青い文字で書かれたホール。薄暗く、ほどよい沈黙に満ちて、少し寒い。つぶれた座布団に、小さな座布団が一つ。冷めた四角いパンケーキにけちなバターを乗っけた印象だ。あぐらを組み、指示を待つ。
すると、先生みたいなのが壇上に現れる。そして、朝目覚めた時に聴こえた変な歌を流し始めた。もったいぶったガラガラ声。新興宗教の教祖の歌を聴かされている気分だ。また、語尾がゾンビの呻き声のようなのだ。
苛立たしい!こいつらは私を洗脳しようとしているのだろうか。期待してきたというのに、何がNOBLE SILENCEだ、止めやがれ畜生!
しばらくして、歌は止んだ。
まぁ、仕方が無い。宗教的な儀式とはいえ、初めの一日だけだろう。尊重してやるか。
一日目は、鼻呼吸をすることから始まった。鼻です。鼻で呼吸をし、ただ観察するのです。意味不明だ。
ひとまず姿勢を正して、始めてみた。すると、まあ、なにも変わらない。
鼻にセンセーションを感じろ、という。何だセンセーションって、感じるわけないだろう!
ひたすら鼻で呼吸した。
目を閉じ、何年も干されていないでろうくたびれた座布団にあぐらを組み、鼻にひたすら意識を集中させ、ただ時間が過ぎるのを待った。
長い!時間が長すぎる。今どれだけの時間が経ったというのだ、さすがに20分は過ぎただろうが、3時間くらいに感じる。足と背中がくたびれてきた。これも慣れるのだろうか。背中に筋肉がつきそうだな。足がしびれてきた。どんどん痛くなる。なんだ、万力で締め付けられたような痛みだ。耐えられない。なるほど、我慢か!これがあのバカ教組が伝えたかったこrとなのか。よし、耐えてやろう、俺様を舐めるな!
さて、悲しいかな。5分ほどして、痛みは私のなけなしの我慢の限界を容易く超えた。私は足を組換えた。
ふ。まぁ、こんなもんだろう。最初だかえらネ。だんだん痛覚がなくなってくるんだよね、うんうん、進歩進歩。
そうして、それを何回か繰り返し、たまに呼吸に意識を集中させ、一時間が終えた。終了の合図はあの教祖の歌。勘弁してくれ。
5分間の休憩の後、また瞑想は始まった。依然として、はじまりとおわりには教祖の歌が流れ始める。せめて、日本のお経が聴きたかった。全く心が落ち着く気がしないのだ。なにが、パーリ語だ。知るか!
瞑想後の昼食は、やたらと美味しかった。
本当に美味しかった。食べ過ぎは瞑想のために良くないと聞いてはいたが、遠慮なくお腹いっぱい食べた。
昼食のあとは、1時間半の長い休憩だ。疲労を感じ、ベッドで一眠りした。食べてすぐ寝たといって、牛になってたまるか。ベッドは砂っぽく、部屋は埃臭かったが、温かな体温と窓の外の牧歌的な木々の一部を眺めながら、私は幸せな眠りのなかに身を委ねた。
スピーカーを通した太い鐘の音で目が覚めた。
アシスタントがチリンチリンと小さな鐘を鳴らしながら敷地内を歩き回る。
さて、瞑想だ。
午後の瞑想は、気持ちが良かった。というか、居眠りをした。暗くひんやりとしたホールに、暖かな日差しが限定的に差し込み、私の膝を温めた。優しく大きな手に撫でられているような心地よい感覚だ。私はこっそりと睡魔と抱き合った。
目が少し覚める。夢現で、耳を澄ませる。鳥のさえずり、木々の風。私の呼吸。
さて、始めるか。
そんな感じで、一日は終えた。5時には、ティータイム。チャイがおいしく、玄米粥と黄色い米のようなスナックも出た。美味しかった。
7時半に、日本語テープの説明が始まった。ためになるものだった。
寝た。

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