2013年12月31日火曜日

66. ヴィパッサナ

66. ヴィパッサナ
終わった。
沈黙が解かれた。
美しい庭だ。ワンダーランドだ。
10日間耐えたことを、皆が笑顔で讃えあった。こんな感じだった、あんな感じだった、すごい経験をした、不思議だった、そんなことを嬉しそうに話し合った。散歩しながら誰かと出くわし、効果を語りあった。皆、自らのトラウマや痛み、快感と対峙し、目を瞑り続けてきたわけだ。誇らしげだ。
Aとベンチで紅茶を飲んだ。バナナも食べた。チョコクッキーも。重たい瞼をそのままに鳥を見ながら日向ぼっこした。
外人たちが、さっそくギターを弾き始めた。ピアニカ。ドラム代わりのごみ箱の裏。
インド人も交え、音楽を、歌を歌った。私は、ドラムにあわせて茶こしと金属のピッチャーでカンカン音を鳴らした。英語の下手なイケてない中国人もニコニコしながら側で見ていた。
アニッチャーアニッチャーアニッチャー。全てのものは変化している。
日記を書きたいが、時間が無い。
アナパナ瞑想
ヴィパッサナ瞑想
八正道
戒律
精神集中
知恵
愛と慈しみ。
無意識、肉体、
執着・渇望、嫌悪。
苛立ち・憎しみ、疑い、睡魔。
自我
無知
妄想
信仰、努力、知覚、知覚の連続性、知恵パンニャ
知覚、認識、感覚、反応
無意識が快感か不快感か、過去の経験から勝手に分類。反応。例えば、足が痛ければ足を組換え。肌がかゆければ自然にかく。
自然な呼吸を意識した精神集中の状態で、それらを知覚し、反応を辞める。
我々に許された仕事は、観察すること。ただ、それだけ。
思考することは許されていない。
とはいえ実際には、無意識から暴れた過去の感情が溢れ出す。
私は無意識を知った。単にそれらが過去の積み重ねであること。
足りない足りないと泣き叫ぶ赤ん坊の様に、我々は常に渇望を生み続けてきたこと。
外部の物質的な出来事に対して無意識的が種を生み、蓄積を生む。
種。そして、実。
我々が今考えていることは、結局のところ過去の経験に基づくものだということ。
それを、知った。私の経験を通して。
あんなことこんなこと色々なことがあった。
なぜ私は、弱いものいじめの癖がついたのだろう。
なぜ私は、寂しがりやなのだろう。
なぜ私は、虚勢をはるのだろう。
なぜ私は、こんなに性欲が強いのだ。
なぜ私は、こんなに食欲が強いんだ。
なぜ私は、暴力に強い執着を持つのだろう。
なぜ私は、一人遊びが好きなのだろう。
なぜ、なぜ、、、
こういったコンプレックスが、どんどん浮かんでくる。それにいちいち惨めになる日もあった。
しかし、思い出せば思い出すほど、記憶は強くなる。今は将来の過去であり、今考えているこの回想は将来の無意識だからだ。
それらに執着してはならない。
しかし、それが難しい。
考えてはダメだ、考えてはダメだと、考えれば考えるほど、強い執着に囚われてしまう。そのうちに、別の思い出が頭をよぎる。
同様に、時には快感の経験も頭をよぎる。村上春樹はアフターダークで、「人は過去の思い出を燃料にして生きる」と女子プロレスラーに語らせているが、そのような感覚だ。
あの時の、幸せな経験。
母の、父の、妹たちの愛。
美しい情景。
抱いた女の記憶…それはもちろん惨めさ交じりだが。
白いテーブルクロス、紅茶、窓から差し込む光、ビスケット、薄手のカップ、一切れのレモン、小説、友、チャイ、、、そんな妄想に囚われたりもした。
なんで、集中出来ないのか!
なんて私の心は弱いんだ!
なんて私の自我は強いんだ!
なんて私は欲張りなのだ!
また、足には激痛が走る。始める30分は良い。だが40分もすると、万力で締め付けられた様な激痛がどくどくとした鼓動にあわせて足を痛みつける。苦痛で顔が歪む。身体中から汗が吹き出る。もうダメだ、もうダメだ、もうダメだ。足を組み替える。快感…後悔。
だか、やがてコツも掴んだ。
呼吸と心臓の鼓動。
火、土、水、空気。空気が動きを、火が熱を、土が重さを、水が塊を。それらの感覚をつくる。
浅い呼吸で低酸素状態を作り、感覚を麻痺させる。
少ない鼓動で痛みの勢いを和らげる。
しかし、つづかない。
掴んだコツをメソッドとして実践しようとすると、標的はたちまち逃げ出す。どんどん遠くなる。
浅く呼吸をコントロールしようと思えば思うほど、次の呼吸が苦しくなる。自然に任せ、浅い呼吸を知覚するや否や、心臓がびっくりして呼吸が荒くなる。
そうして、結局は「あるがままの観察」に落ち着いた。
食事の喜び。
食事を楽しみに耐えてきた。
食事は大いなる悦びであり、救いだった。よく噛んだ。チャイも沁みた。砂糖が甘かった。
私はカフェインや甘いもの、辛いもの、酸っぱいものといった刺激物に目が無いことも分かった。
いや、ストレスに対して反応していただけかもしれない。
何れにせよ、刺激を求めた。
散歩も心地よかった。はとやムクドリのおしりの愛らしいこと。ポコピン鳥も牧歌的なワンダーランドを演出させた。猿の顔の黒さ、尻尾の長さ。犬のように大きな孔雀がヘリコプターのような羽ばたきで木にばさばさ飛んだ。時折、どこかで牛も鳴いた。
セメントで出来たベンチに寝転がり、ひたすらに碧い空と木々の陰とのコントラストを楽しんだ。
ムーンストーンのような形をした月が、日を重ねるたびに層を重ねる大きさを得てゆくこと。
歩いてるうちに、詩的な文句も思い付いたが、忘れてしまった。
私は、感じた。経験した。感動した。日々見過ごす些細なことに、ふと喜びを感じた。それは、事実なのだ。私の世界の真実なのだ。
私にとって、私の世界にとって、世界の中心は、私である。言うまでもない。
奇跡や幻想、マンダラやカリスマ的指導者もいなかった。彼らはテクニックのみを教え、時間割と食事を私に与えた。
見たものの全ては、私が掘り起こし、私が見つけ、私が経験したのだ。私は私の中に、不思議な経験をした。不思議としか形容出来ない。
このiPhoneを触るとき、初めて触ったかのような感覚に驚いた。たった10日ぶりなのに!
10日という時間が、私の意識からiPhoneをすっかり忘れさせたのだ。
経済は、無意識に訴える。
欲望に満ち溢れ、情報に満ち溢れる。世間。社会。
さまざまなものが、渇望と嫌悪を金の種にしている。
例えば、美女が水着でラーメンをすする。私は美女もラーメンも欲しくは無いのに、反応する、無意識が。
我々の目は外に向いている、常に。
私は、内に向けなくてはならない。
あいつがムカつくと思ったとき。
ムカつくという不快な感情を育てているのは私ということを知覚する必要があるのだ。
今日はもう遅いので寝る。
21:54だ。明日は4時に起きるのだ。歯磨きをしなくては。
言葉の響き、バイブレーション。無意識への壁。
生まれては消えてゆく、あの感覚。バイブレーション。すごい早さで。
電流の感覚。
また痛みが生まれる。
けれど、冷静さを保っていればそれは消える。
自然の摂理だ。
まだiPhoneの感覚に慣れない。慣れたくは無いな。
私は今、こっちの世界に執着を持ち始めているのかもしれない。
下品なインド人、げっぷ、おなら、へんな唸り。
ミスター下品1号、2号、3号、うっせえババア、うぜえインド人、ハルク、息の臭いフランス人、ミスキュート、
ケベックから来た二人の男
オーストラリアからきたジョー、彼がハルク
教祖のうた。
日本語の下手な女。
たくさんの比喩。
87%
22:00
全ては記号だと思った時期もあった。
ダンマ
シーラ
サマーディ
パンニャ
サンカーラ
精神、言葉、肉体
精神を鍛えること、正すこと。
22:03

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