2013年12月1日日曜日

52. アグラ

52. アグラ

早起きして、タージマハルの日の出を見ようとしたが、何故か門が閉まっていた。肝心の日の出の時間に人々は門の外で列を作った。

たしかに、タージマハルは凄かった。タイルの一枚一枚に手抜きがない。

イタリア人、フェデリコとアレックスと共に見て回った。

ゲストハウスに戻って朝飯を食べた。宿の飯はそんなに酷くはなかったが、期待より少し劣った。モーニングカレープレートに、ゆで卵を二つ追加して食べた。紅茶をたっぷり飲んで、ジャニスを聴いている。10:35
キッチンの偉そうなおっさんは迷惑そうにしている。肌の色はフルシティローストのコーヒー豆の様だ。
イタリア人が荷物を纏めるのを待って、リキシャでアグラ城まで行く。

キッチンのおっさんは、気難しい顔をして、ひたすらナプキンを折っている。
この小さなホテルにも、権力構造はあるのだろうか。このおっさんは、このホテルの長として、人生をかけて守っているのだろうか。客の少ないこのホテル。レストラン付きのホテル。タージマハルが無ければ今にも崩れてしまいそうなこの小汚いホテル。


トゥクトゥクは、ベビータージ、イタリアの技術と言った。イタリア人は少し嬉しそう。どの国も何らかの誇りと愛国心を抱えて旅をしている。アイデンティティだ。
イタリアなら、カエサルとかね。


ベイビータージ
無限に続く美しい有機模様

カーペット。
トゥクトゥクが連れてきた。さて、ここはカーペットをつくっている。やけに親切だ。KANU Carpet Factory。カーペットをつくる行程を見せてくれた。それはそれは驚くべき手間をかけてつくられているだけあって、興味深いものだった。

地下に案内され、フリードリンクとして、ビールをご馳走になることに。雲行きが怪しい。私が行方不明になったら、ここだ。

しかも、なにやら部屋にはマリファナの臭いがする。怪しい…

そもそもビールがフリーなんて、虫が良すぎる。地下の部屋は広く、カーペットが山積みだった。
イタリア人は、おそらくカーペットを買わされるだろう。

彼等の警戒心と判断力はだいぶ鈍っているように思われる。葉っぱが効いているのかな。

結局、彼等は買わなかった。店の主人もそれ以上おかしな態度に出ることはなかった。隣の部屋には金を持ってそうな初老の白人が、大きなカーペットを見せられていた。

彼が、我々より大きな鴨として認識されたようだ。簡単に帰してくれた。

イタリア人は、thank you for beerといって、笑いながら部屋を後にした。

助かった。


後で聞けば、彼等はバラナシでシルク工場を見学の際、ぼられていふという。反省した後なのだ。引っかかるわけがない。引っかかったふりをして、ただでビールを飲んで行った。

アグラ城に行った。彼等の天文学と数学の知識はすごかったのだなぁ。幾何学的なデティールは、無限に続くように見えた。

インド人が好奇の目で私を見る。もう慣れたはずだったが、プラットフォームで電車を待っている日本人は私だけだったので、久々にそれを感じた。
しかし、よく考えると、逆に私の方も、彼等を好奇の目で見ていると言うことだ。目をそらせば彼等も目をそらすのに、見られたからこちらも負けじと見返すために、彼等も外国人が興味深々な目で見てくる!と思ってしまうのだ。

私は見る主体でもあるが同時に見られる客体でもあるのだ。当然のことだ。だが、日常でそれを意識することは、私にとってさほど簡単なことではない。

駅にはゴミ箱がない。ゴミを捨てようがない。隣のインド人に聞いたら、線路に捨てろと言う。だから、線路に捨てた。

普通、きたないものは隠すだろう。あけすけである。

Pankaj nohwar

我々日本人は、線路を恐れている。私自身、線路は神聖なものと思っていたから、驚いた。

彼らにとって線路は汚れたものなのだろうか。
インドでは、死は生活の一部に点在する井戸のような存在なのだろうか。少し歩けば、死にぶち当たるのだ。おそらく。
危ないところには近づくな精神ではなく、危ないところは気をつけて渡れ的なノリなのだ。


皆が、ここを通過点にする。どこもかしこも通過点だ。通過点にも名前はある。ご丁寧に覚えてくれるが、その人にとっては記号以外の何の意味も持たない。


イタリア人の話。
アレックスと、フェデリコ。フェデリコはノルウェイに住んでいる。ITの仕事だそうだ。おそらくアレックスもそういう仕事だろう、彼はミラノに住んでいる。
アレックスは27歳。背は私より少し低く、保健室で見る平均的な身長と体重をしている。11月はひどい厄月だったそうだ。6年間付き合ってた彼女と別れ、ロンドンでは男に殴られて目と鼻の骨を怪我したそうだ。
その男が別れた彼女と関係があるかどうかは分からない。別れた理由も聞いていない。まあ、要するに人生で最大級の面白くないことが重なってしまったわけだ。
自分が蒔いた種と言ったら情がないかもしれない。
落ち込んだ親友にフェデリコが慰安旅行を企画したと言ったところだろうか。涙ぐましい。

イタリア人は、想像してたナンパ男とは違い可愛いところがあった。東南アジアで言えば、タイ人だ。子供らしい遊び心を忘れていない。

子どもたちは、霊的な力を信じる。科学でさえ、彼らにとっては霊的な力なのである。もっとも、我々にしたところで、霊が何か、霊が存在するのかを証明出来ない以上、科学が霊的な力であることを否定できないのであるが。

まだ列車はこない。プラットフォームで少し眠りそうになる。