2014年1月31日金曜日

109. 千葉

109. 千葉
27
彼の家は千葉にある。
今日、彼は11時に目を覚ました。
駅は、いつも何かしらの音を発していた。プラットフォーム全体に響くうるさすぎないアナウンスや、電子音。発車の音楽。人々は急いで電車に乗る。
不思議なのは、電車に乗ることに急いでいるのは日本の人々だけではないということ。ノルウェー、ロンドン、イタリア、どの国の人々だって、電車に乗り遅れまいと、神経を張っているのだ。
無駄なことを排除して、排除して排除して。
人々はみんなさみしそうに見える。ペットショップのふてくされた犬のよう。きょろきょろと、他人が動く様を目で追う。
I'm not a kid. I ask for a stranger.
日本語は難しい。
日本人ですら、何かを伝えることに苦労をしている。言語であるのに。言語は便利なものであるはずなのに。
いや、日本人が苦労しているのは、言語以外のコンテクストだ。
ボディランゲージは分かりづらく、態度という繊細な形で現れる。そしてそれは大切である。
そういったコンテクストを損なうと、評判を落とす。評判は、社会で失敗しないために非常に大切である。
相手が良い奴が悪い奴かといった客観的な質は問題ではなく、自分が相手を好きか嫌いか。で他人を判断する人もいる。
本当に色々な人がいて、偏見に取り憑かれている。
偏見。偏る見る。見る。
放射能こわいという、人々の意に反して、「ふくしまの米できました」という広告がひとつの皮肉も無く、電車の広告で流れる。
日本だけではない。むしろ、海外において、私は様々な情報を排除し、無視してきた。
しかし、触れるものの一つ一つが初体験という振動をもって彼を響かせため、妙な新鮮さがあったのだ。
そういえば、バスの窓は自分を映す鏡とかいうけど、窓のないトゥクトゥクやリキシャはどうなんだ?
会社説明会は、その会社がどれだけ魅力的か、抱いていた期待を納得させるものだった。
帰りの電車、彼は不思議な感覚に飲み込まれた気がした。
あの頃に、戻ってきた感覚だ。ここはみなとみらい。ここは横浜。ここはJRの車両の中。彼が今まで日本で貯めてきた記憶、偏見、考え方、感じ方。そんなようなもの。空気が薄いのに気付かない感覚。脳の一部が眠っている感覚。トイレの鏡でで髭の生えていないボーズの男を見たせいだろうか。
再び自分が自分ではなくなる感じがして、彼はふと少し落ち込んだ。彼にはひげがあった方が、自分らしく思えた。そして実際、ひげのない彼はひどくナイーブに見えた。
彼は急に恋人が恋しくなった。良い匂いを感じたからだろうか、何もかもが許されない国に戻ってきたからだろうか。この国は彼が、彼の思考を通して感じることを禁止している気がした。主体的に思考することが不可能なのは知っていた。しかし今や、客観性がもっともっと暴力的な恣意性を持っている気がした。
うざったい広告の言語を捉えてしまっては、意味を想起せざるを得ない。恣意性の排除はもっと容易なはずだった。美しさとは無縁のイノセントを気取った雑多な情報が彼の脳に無理矢理意味をぶち込んでくる気がした。他意はない、といった顔でいちいち彼を苛立たせた。
実際、気の利かないうざったいそれらは、非情なことに日常化するのだろう。持たないことを暗黙のうちに否定してくる所有の見せびらかし。
目を奪われる人々。
しかし、それらは客観的に決して美しくない。彼には、それらがひどく滑稽に見えた。そしてその姿は悲しくもあった。
世界観の構築は、自分自身で行うべきだ。
今や彼は、テレビや新聞が構築した世界観を丸呑みしている人々を、軽蔑しさえした。
キャラクター。美しくなく、傲慢なキャラクター。認知されて生き永らえるキャラクター。

108. 東京へ

108. 東京へ
26
10時まで寝た。ウィリーは酷いといいながらクリスマスブレンドを飲んだ。彼もかき込んだ。
ハラルドが彼を駅まで送ってくれた。犬を連れて。
彼は電車の中で、これを書いている。
移動の窓は自分を写す鏡だとかいう。純粋な目になる。肉体と目が一致しないのだ。座っている。なのに景色は動いている。純粋な目だ。
何もかもが、懐かしくなるのだろうか。
500失くしたらしい。8000円以上だ。痛い。
飛行機。
日本に帰るのだ。
左にはネパール人らしき人、右にはロシア人らしい綺麗な女の人。
飛行機は真新しい。
滑走路には雪が散っている。
どこに行ったって、することは同じだった。呼吸して、食べて、排泄して、寝て、起きる。どこに行ったところで。変わらなかった。
飛行機に積もった雪を落としているのだろうか。大きな機械が翼に何かを吹き付けている。
向こうから近づいて来る国、こちらから近づかなければならない国、その違いは、教育ではないだろうか。
ノルウェーの人は、誰もスーパースターになりたいと思わない。スーパースターになりたいと思って、それらしく振舞えば、一流にはなれないだろう。
7年間、イングリは楽しませてくれた。大切なことだ。
乗り換え。モスクワ。誰も英語を話さないし、英語の表記すらなく、2キロ歩かされるとハラルドから聞いていたので、覚悟していた。
飛行機が着陸し、帽子を探していると、右隣の綺麗なお姉さんが一緒に探してくれた。カトリーナだか、そんな名前の人。ロシア人はみんな英語喋れるわよ、そして優しいのよ。と言われた。今回はたかが乗り換えだが、そのうちロシアには来るだろう。嬉しくなってニコニコしていると、マトリョシカのマグネットをくれた。素敵な青い目だった。
実際、空港は分かりやすかった。
ゲート付近には日本人がたくさんいた。きょろきょろと、幸せそうじゃない顔つきだった。
しかし、日本人だけに限らなかった。欧米人も、無愛想で礼儀を知らない人たちが多い気がした。と、彼はここで自身の不寛容に気が付いた。こうあらなければならない、こうすべき、そういった考えが不寛容を生む。
人間のあるべき姿とはどんなだろう。そんなものあるのだろうか。しかし、挨拶やお礼や詫びがあれば、気持ちが良い。
日本人はみんな、知らない人との挨拶の仕方を忘れてしまったような気がする。知らない人から挨拶をされても、気持ちの良い場合はあるのだろうに。
同胞なら、先輩後輩うんたらで苛めないで、仲良くすれば良いのだ。
子どもにゲームを買ってあげられない程度の貧乏は、むしろ好ましいと思う。ダルそうに偉そうに息子と話す。こんなパパ嫌だなぁ。
野暮。
粋。その文化に帰るのだ。
私は常に見られることになるのだ。測られるのだ。
だが、それにも増して、見ることに集中すれば、見られてることを忘れるだろう。
思うに、見られていることを意識したところで、何ら得をすることはない。知らん。もう。
子どもは、ゲームの画面を見ながら父親だか兄に何やら大声で文句を言っている。父親は、……じゃねーよ。という口調でだるそうに何か言った。子どもにFワード使うようなものか
飛行機は遅れた。たかが30分だが、彼はそわそわと圏外の携帯を何度も眺めた。日本が恋しいのだろうか。
いや、帰るところが恋しいのだ。彼はおそらく日本にいたら、オスロに帰りたいとか、インドに帰りたいとか思うだろう。
動かない景色が耐えられないようだった。
知能とは?
論理と仮説。
滑走路を走る光。長い光から光の玉が生まれる様子。街の光。ゆっくりと光を消されたように、太い雲が街を隠した。
仮説とは、存在しないものを存在するものとしてロジックを進めること。
装飾は、魂を感じさせること。
動く窓は、知らぬ間に我々を何処かへ連れて行ってくれる。
頭が痛いときに飲むコーヒーは不味くても美味しい。
Eternal city never change.
垢の浮いたような白くよごれた海。流氷かな。
ドライアイスの煙のように冷たそうな雲。ロシアと日本の間。
飛行機が間もなく着陸する。
どんな街が待っているのだろう。
そんな不安は、もう感じることはない。
ここは、ロンドンでもオスロでもなく、東京なのだ。厳密には千葉なのだ。
ついた。
もう、飛行機が墜落するんじゃないか怖がることもない。
ごきげんよう、東京。
機内食しか食べていないためか、お腹が痛い。
成田空港。恋人が迎えに。
スターバックスでエアロプレス。
みんな日本語を喋っている。変な感じだ。
家も同様に変な感じだった。白黒のぶちのチワワがぴょこぴょこ跳ねていた。彼はチワワが嫌いだった。檻から出してあそんでいた。飼うからにはしっかり躾をすべきだと思い、すぐ構うのをやめたが、相変わらず妹値は犬を甘やかし続けた。実際、犬は彼女たちになついていた。自分の部屋は散らかっていて、居心地が悪かった。
彼は変わった。確実に変わった。しかし、環境は変わっていなかった。旅に出る前そのままの散らかった部屋。ベッドのシーツさえ、変わっていなかった。多すぎる本、服、がらくた、ごみ、漫画。
全てが煩わしかった。
彼は今や、本も映画も服も酒もコーヒーでさえ、必要最低限以上興味がなかった。
風呂の浴槽に熱い湯をはり、しばらくつかってみたが、鍋いっぱいの芋粥に直面した男同様、喜びは束の間以下だった。
さみしいさみしい言ってたころが懐かしかった。mi manchi tantissimoとか言ってた頃が懐かしい。帰りたい戻りたい、この家はひどくめちゃくちゃだ。しかしそのことに、だれも気付いていなかった。むしろ、今ある状況こそ安らぎといった調子で、状況はどんどん悪い方向へ育っていった。
初めに蒔いた種が、矯正もされず、間引きもされず、育ち放題になっていった。びよびよびよ。
だれも目をかけることもなかった。全てはうまく行くだろう。
そんな楽観主義が、気付かぬうちに雑草にまで栄養を与えていたのである。

107. オスロ

107. オスロ
14:21. JAVA
キュウリ、カラメル、ジャスミン、ウーロン。ゲイシャ。
エスプレッソ、チョコレート、ソルティ。
カプチーノ、紅茶のシフォンケーキのよう。
ハラルドは飲み過ぎたためか、やたらとトイレに行った。
カフェブレネリア、エスプレッソハウス、フグレンをまわった。
ピザを買い、部屋でたべた。
バリスタパーティはたくさんの人がいた。カトリーナもいた。日本で会った以来だった。彼女はとても可愛かった。夏に事故で顎の骨を折ったらしい可哀想うに。
ウィリーはおたく。
カフィカゼ。会社登記。
5:47
ねる。
イングリはとても気に入ってくれている。
ハラルドのイビキはすごい。
何か。

彼は、何かしら新しいものを感じ、感動する。感慨深くなる。
雪が降っているとか、物価が高いとか、町並が綺麗だとか。
イングリは彼が驚いてるのを見て嬉しかったらしい。

106. オスロ

106. オスロ
ハラルド。12時起床。
ストックフレッツ、サプリーム、ティム、ど強い酸味。
うんうん、どこも美味い。
ハラルドの家へ。トーマス。
たくさんのルームメイト。まだ少し酔っていて、色々と少ししんどかった。コーヒー飲み過ぎか?
夜。
バックトゥザフューチャー2を見た。ハラルドは2時頃に帰って来た。レゲトンの好きな愛知のペルー人と話す。夢はラッパーらしい。
ハラルドのイビキはすごかった。彼はとても酔っ払っていた。

105. オスロへ

105. オスロへ
リシュケシュのボンバスティックおじさんを思い出した。彼は、フランス人の女性から写真付きの手紙を持っていた。宝物だ、という風に見せびらかしてきた。我々は彼の歌、彼の振る舞いの滑稽さに笑った。ミスタろばろば、ミスタろばろば、ファンタスティック、ビカムボンバスティック、ミスタろばろば、ミスタろばろば。。
ワークショップ、
エチオピア、シルキー、ミルク、ダークチェリー、すごい。
移動。ただ移動すること。止まっては移動すること。移動し続けること。知らない場所へ。自分の領域の範囲外へ、移動すること。
旅の意義は移動することにある。すなわち、移動することは旅そのものなのだ。感動や、ひらめき、出会いは副産物に過ぎない。移動とは、動くことで移り変わること。
では、通勤も旅と言えるか?
おそらくは、通勤も旅と言える。だが、副産物は減る。何度も何度も同じ道を往復すると、何も感じなくなる。草だらけの草原を何度も往復していると次第に道が出来るように、往復に往復を重ねると、ある種のストレス脳内物質が生み出されることはなくなる。ストレス脳内物質が無いと、報酬脳内物質もない。
いや、まて、旅とは、移動を通じてストレスに対処し、報酬脳内物質を得ることなのではないだろうか?
あるいは、初めての経験は全て旅なのでは?
要するに、変わり続けることこそ旅なのだ。脳内の物質はやはり副産物だ。旅は状態である。愛や睡眠に意味がないのと同様、旅にも意味はない。一方通行だが、一辺倒ではない。変わりたい、変わりたくない、旅をしたい、旅をしたくない、好むと好まざるとは関係なく、全て旅だ。
アクセル、ギア、ブレーキ、たまにサイドブレーキ。自分の肉体を守りながら、移動するのだ。
そういえば、別れの挨拶をしなかった。不在に驚くだろうか。多少は。おそらく。
あるものが無いと、驚くのだ。イナイイナイ。バア。無いと不安。あったことに気付いて安心。あるのかないのか分からない不安が解消された途端、喜びの脳内物質が報酬される。快。遊びを通じて、快を学習してゆく。
Be動詞。基本。存在と不在。あるとない。肯定と否定。
飛行機。東へ向かった。ぐんぐん夜になる。倍の速度で夕焼け。夜。
エアロプレス。
恥ずかしい。アジア人は彼だけ。
豆を挽く。とても良い匂い。お湯を貰う。ぬるい。思ったより簡単にお湯をくれた。21日、昨日の焙煎だ。ぬるいこともあって、味は出切らなかった。か弱い味。麦茶のよう。席は13のF。fuck 13というところか。
ミッキーマウス
ドッキリgags
トム&ジェリー
オスロは雪が降っていた。羽毛のような柔らかそうなおおつぶの雪がふわふわ降りてきた。
さながら天使の羽のようだった。子どもが気まぐれに木の実を摘み落として遊ぶように、冷たい空気に踊りながらぽろぽろやってきた。飛行機の翼に落ちると、え、もう終わり?といった具合にしばらくふてくされながら左翼の上で転がってだだをこねた。
オスロの人は、フレンドリーで優しい。
iの家。
iの彼氏。ミートボールうむい。魚もうまい。

100%。効いた!
ゆらゆら

104. ロンドン

104. ロンドン
パレート不均衡の原則は徳を生み出さない代わりに、いかなる損もすることはない。
言い換えれば、誰も幸せにならない代わりに誰も損しないということだ。
Nude
グアテマラ
プラム、ナッツ、焦がしナッツ、少しアンダー。ベリーベリーアーモンド。ナッツチョコ。焦がしキャラメル。甘酸っぱいマスカット。
コロンビア、v60
ジャスミン、烏龍茶、少しオーバー、シルキー、スイートベルモット。豆が10ポンド。たけえ。トルコの焙煎機、toper
Brew Dog TOKYO
エスプレッソのよう。シロップが入っている感じ。チョコレート、ジャスミン、エスプレッソ、プラム、メロン、ピート、複雑!!!度数18.2%!!!
ハードコアIPA9.2%
コーヒーのよう。重く苦く甘い。後味は抹茶。
ピンクグレープフルーツ、りんご、ジン、グレープフルーツピール。
生姜、蜂蜜、ラフロイグ、ジェイムソン、レモンジュース。シナモンで複雑。
エースホテル。
ヒロ、誕生日。
半目。ぼやける視界。描く全ての素晴らしいもの。そうして生きる。正気を忘れ。
クリームパスタ。重い。

103. ロンドン

103. ロンドン
130おろしたポンドがもう20を切っていた。確か銀行には残すところ350ポンド程度。
コーヒーに10
本に10
食べ物に40
移動に30
ホテルに40
納得だ。
コーヒー。底が見えるか見えないか、一センチぐらい。まだ温かく、回すと湯気で白くぼやける。
森の中で協会が目立つように、殺風景な街の歩道の上に切りたての木でできたようなシンプルな横長の腰掛け。エスプレッソルーム。
グレープ、焦がしキャラメル。レモンドロップ。レモンケーキ。マウスフィールやばい。
マンモス。
ゲイシャ。カリタ。お湯を注ぐだけ。1分きっかりの抽出かな?フレーバーが弱い。キャラメリゼの太い味に負けている。冷めてようやく感じられるゲイシャの青リンゴ。しかし、皮ごとかぶりつくような新鮮さはなく、焼いた青リンゴパイのよう。甘く、ボディ。マウスフィールはもう一息欲しい。エイジングが決まらなかったのだろう。味が抜けていた。
TAPグァテマラ。やたらフレーバー。インフュージョンのおかげ!?チョコブラウニーもフワ柔らかトロリ。エスプレッソ。ダブル。とてもとてもフレーバーを感じることができた。すごい。感動的なエスプレッソ。スパイシー。しれっと出しているのが不思議で仕方が無い。
Profr
ナッツ、ナッツ、ナッツ、アーモンド。ホワイトチョコ。
グレープ、ストロベリー。メロンドロップ。
人を感動させる何か。暗闇に浮かぶろうそくの光、厳かに照らされる黒い背景、キリストの絵画。空腹時に食べるパン。コントラスト。
表音文字、英語。広告は必然的に色を帯びる。
クラフトビヤ。ハンドポンプでサーブするIPA。は昨晩のロンドンプライドより格段に美味かった。甘くてフルーツの香りがふんだんに溶け込んでいて、麦とホップだけでつくられているとは思えないほどジューシーでスポーツドリンクのように飲みやすく、かつ身体に染みた。アルコール度数は7.8%と高めで、凍らせたウォッカのようなトロっとした質感が喉を滑り落ちた。
ハーフパイントのリアルエールに含まれたアルコールは、カフェインを取りすぎたために低血圧気味の彼の意識を揺らすのに十分な効果を持ち合わせていた。
+1, sugar addiction
Channel4.com
マテオ。イタリア人。仕事を求めてロンドンへ。28。環境なんちゃらのマスターを持っているが、イタリアの経済がコラプスしたたために公務員の仕事は無いのだという。夢はない。彼と点の決まらないビリヤードをした。キューの先端はガタガタで、玉が酷い方向に飛んでいった。1ポンド。マテオが払った。惨めなゲームだった。
かたや、宿のスタッフたちはロクに仕事もせず、毎日ゲームをして過ごしている。どこから金が湧いてくるのか。勝ち組と負け組の違いを見せつけられた気分がした。
英語が思うように通じない。おかしな発音で早口をまくし立てる彼等に圧倒され、いつにも増してカタコトで喋る。
分からない顔をしてもお構いなしに早口をまくし立てられる。言葉で言ってるんだから、伝わって当たり前という顔をしている。人と人は簡単に分かり合えるという若い勘違いだろうか。あるいは、ただたんに興味がないだけだろう、
旅の意義は、家を持たないこと

102. ロンドンへ

102. ロンドンへ
妙に落ち着いた夢を見た。
朝の5時とかそこら。
何回かアラームが鳴った。二日酔いだった。気の抜けた炭酸水を飲みながら、駅まで歩いた。頭痛。彼の身体ではない気がした。
これでローマもおしまい。いよいよ、ロンドン。外は寒くはなかった。薄黄色いぼんやりした街灯が、汚い街を照らす。永遠の都。
いつになく新鮮な朝。
広い道路、猫、ホームレス、二日酔いでじわり痛む眼球、車椅子をベッドのようにして眠る年老いたホームレス。公衆電話の目の前。彼にとってもまた、新鮮な一日なのだろうか?
おそらく、NOだ。
新鮮な一日とは、変な言い草だ。フレッシュ・デイとでも言うのだろうか?fresh day. 
彼の目覚めが、私の見るであろう一日に導くことは決してない。彼の目覚めは彼に何を見せるのだろう。
深夜特急のあとがきノートが読みたかった。
昨日はワインを2本空けた。
日本人の小柄な女の子と。
もちろん、セックスはおろかキスすらしていない。
私は紳士なのだ。とんだ紳士だ。
バス。
蒸し暑い。
コートの襟が首をちくちくした。服の下でも控えめに吹き出た汗が、肌にセロハンテープを貼っているような不快感を与えた。
いずれ消化されてしまうであろうもやもやした不快感を胸に抱え、不思議な気持ちでバスに乗っていた。居心地の悪さ。
ロンドン。私にとって、日本への帰り道。
バス。郷愁。
空港。ボーディングパスを印刷していないという理由で15ユーロ払う。どういった理由でプリントが必要なのか、何に対して15ユーロ必要としているのか。ペナルティチャージといったところか。あこぎな商売だ。滑稽にも、詰めの甘いバックパッカーは変なところで損をする。詰めの甘い人間は、と言った方が良いだろう。インドで会ったアフロは、今ロンドンにいて着いた初日などは79ポンドのホテルに泊まったらしい。
ヨーロッパは殆ど全てがシステマチックだ。あらゆる色々を「最も合理的な」システムに任せ、人々は処理するだけだ。
人間らしい温もりを感じることは比較的容易ではない。寛容さは、社会のどこかにパレート不均衡を生みだすのだ。寛容さは、邪魔なのだ。悪魔なのだ。
1人の人間を助けるために大勢の人が少しだけ損をすることは、まかり通らない。そういう主義なのだ。
みんなが損をしているのだから、その程度の損は諦めたまえ。君がその損を無しにしようとすると、我々はもっと損する羽目になるのだよ。
ルールを守るのだ。ルールは、承認だ。同意だ。
同意しますか?
しないのだったら、君に市民権はないのだ。
誰も君を待ってくれない。みんな忙しいのだ。みんなって誰だ?彼等だ。彼等って?我々だ。屁理屈はたくさんだ。
時間がないのだ。
否。時間が、足りないのだ。急げ急げ!急がない人間は、我々の社会では、軽蔑に値する。
君だけの夢を見てはいけない。
君だけの夢は君以外の人に、理解されるべきではない。
チンピーニ空港。金髪の女の子が父親の腕に抱かれて泣いていた。見ると、荷物検査の奥の叔母にしきりに手を振っている。別れの悲しみ。
空港内のカフェ、割高かと思ったコーヒーは1.1ユーロだった。0.1ユーロしか割高ではない。これがイタリアで飲む最後のコーヒーだった。
寂しさは癒えた気がした。
癒えたという過去性。それがまた別の寂しさを産み出した。
私には、私がいるじゃないか!
…答えになっているだろうか。
慰め。自慰。嫌な響きだ。
私が人生において必要なのは、生理的欲求の解消と精神的快楽の享受のはずだ。
だが、どうだろう。時々さみしさに取り憑かれる。私の中から産まれる寂しさ。精神的排泄物とでも言ったところか。
飛行機の座席には13がなかった。彼の席は13のFだった。右手の窓からは、エンジンが見えた。
眉毛まで金髪の大柄な男が、酸素マスクの付け方を手話を交えて説明している。口には、笑いを我慢しているような微笑が浮かぶ。
酸素を吸うと、人々はハイになって死を受け入れるという。
人は幸せに死ぬべきだろうか。
飛行機に乗る度、死ぬ気がする。この飛行機は空中で停電してしまうのではないか。
失速しないように、バランスを保ちながら成長する。
彼は何者かになる。
Arrivedelci italia. Bye bye italia.
雲の上は雲だった。濁った水中にいるような、薄い雲だった。その上は、暗い青を身に纏った元々は白い空気がどこまでも続いていた。上から見るイタリアは、雲の苔が一面蒸していた。
窓を通して外を見る。右翼越しの空。西の空。間接照明のような良い色。夜は、頬を染めるようにさりげなく、明るさを受け入れ始めていた。太陽の周りを地球が回っているなんて、今や信じられなかった。彼は、神話を信じたかった。遠く細い雲は空飛ぶ大艦隊に見立てたかった。
太陽が確固たる意思で、毎日朝をもたらすのだ。不思議だが、奇跡などではない。自然そのもの。彼はシゼンという響きは嫌いだった。あるがままという響きも嫌いだった。as it isも少し違う気がした。世界は、世界そのものだった。それは、それそのものだった。
右翼は、体育館の壇上の如く真っ直ぐ硬そうに表面に光沢を帯びていた。
7:32
紙パックから絞り出す林檎風味のジュースと引き換えに、半ぞでシャツの男がカートを持って集金していた。プラスチックで出来た子供騙しの滑り台のようなテーブルに右肘を置いていた彼に、0.5秒ほど集金者が目配せをした。意思がないのを瞬間的に判断し、集金活動を続けた。
外の景色はもう詰まらなかった。機内アナウンスが安いスピーカーから流れた。スクラッチ。
見かけによらず窓はひんやり冷たかった。
ねぼけ。空の上というのが信じられない。
彼は一人のときより二人でいるときよけいに孤独を感じる。だれかと二人でいると、彼はどうしようもなくその男の手に委ねられている。一人でいるときは、全人類がかれに掴みかかるが、差し伸ばされた無数の腕はもつれあって、だれ一人彼のところまでは到達しない。
=
移動すること、ただ移動すること。
迷い犬が飼い主になれる筈がない。
ある種の寛容さを身につけた。
寛容さの無い国に戻る。
はむでんまーけっと
カフェイン
ゲストエスプレッソ。うまし。トマト、ムスカット
味の一方通行、皿の上に逃げ場がない

101. ローマ

101. ローマ
ヴァチカン。
システィナ。有名な絵画以外におびただしい数の絵画。ミケランジェロのムキムキマッチョのキリスト。
現実と夢が、どちらも半透明。オーバーラップ。
ミイラ、骨のアーチ。
まだ死が生きている。
骨に服が着せられている。
肉体の部分が、その部分だとはっきり認識できる。
骨が美しい形を描く。いや、骨で美しい構図を描いていると言った方が正しいだろうか。
背景に賛美歌とキリストのイメージ。
63 queen square, not in kill 
フラートな関係。
ミナミは大学教員でもある父親を尊敬しているようだ。宗教人類学のプロフェッショナル。宮崎駿と呑み仲間だとも言っていた。私のお父さん凄いのよ。と聞こえてきそうだった。

100. ローマ

100. ローマ
ねじまき鳥クロニクルの実写版といったところか。知らない女から電話がかかってくる。全裸になれと言われた。
カプチーノ
12:59、ハウスワイン。
カルボナーラ。卵チャーハンのよう。チーズ。炭焼きチャーシューのような歯ごたえのあるベーコンが美味。
ピッツァはカリカリ。
野菜が食べたい。
ローマは黄色。肌色。赤色。
真実の口は、芋粥と同義に感じた。
手を入れようが入れまいが、どちらでも良い気がした。
彼は一人だったし、イヤホンからはドアーズのthe endが流れていた。行列には中国人の団体客が目立った。至近距離で欧米人がキスを始めた。どういう気持ちでキスをしているのかいささか気になったが、これでいよいよ逃げ出すことは出来ない気がした。
ジムモリソンは母親を犯した。16:22。くもり空。
おもちゃを誰かに取られることを恐れた子供のように、仲間に対して嫉妬して飼い主にへばりつく気の小さな犬のように、男はひたすら寄り添い擦り寄っていた。
女は小柄だった。ジーンズに合皮のジャケットを羽織り、写真をインスタグラムにアップするのに夢中だった。欲のない妹らしい振る舞いだった。
彼はロサンゼルスの女に思いを馳せた。
やって後悔すること。意識的にこれを実行するのは、彼にとって初めての体験な気がした。mr. Mojo risin. 16:31。32。
中国人に写真を撮ってもらった。足を入れたかったが、無理だった。
彼にとって最も詰まらないことは、誰でも出来ることをすることだった。誰もが見ている景色は、急に馬鹿馬鹿しく見えた。
現実味というのだろうか。現実のはずなのに何故か味気ない。不思議だ。
かといって、つくられた現実味は嫌いだった。味が濃くて、簡単に呑み込めてるビビットなハンバーガーのようなもの。何故ならそれらは後味が最悪だから。嚙み応えなく、口の中に入れるや否や、簡単に形が崩れる。そのくせ、歯の隙間にひっついて、口をゆすぐ必要に駆り立てられる。
うっ伏している乞食。がらくたにも劣るゴミを所有し、屋根のあるところなら何処でも寝る。
絶望的に顔を伏せた無気力な彼もひょっとすると、何かを書けば癒しが得られるのではないか。
私が全てを失って、その境遇に甘んじざるを得なくなっても。ひょっとしてら、何か出来るのではないか。
彼は宿に戻った。
ブラジル人の男が新しく部屋に入ってきた。次いで日本人の女。
3人でピッツァとワイン、パスタを食べに出かけた。
トレビの泉、パンテオンやらも散歩した。
宿に帰ったのは12時ごろ。
女は、ゆっくり入りたいという理由でシャワーを先に譲ってくれた。
彼は、シャワーにある石鹸を勝手に使うつもりだったが、あまりに良い匂いがしたので思い止まった。恐らく、勝手に使ったことがばれてしまうだろう。メロンとヴァーベナの良い匂いだった。
彼はその後2時間かけてロンドンの宿探しをしたが、iPhoneの不具合で全く捗らなかった。
日本にいる恋人とは2日ほど連絡を取っていない。彼女では無いのだから。
このまま覚めてしまえ。

2014年1月17日金曜日

99. ローマへ

99.ローマへ
神のさじ加減に踊らされるしかない。神は絶対だからではない。神は絶対ということを信じているからである。
6時から12時までの睡眠。
目を覚ましては、タオル生地のような毛布の柔らかさを確かめ、いびきをかいた。
いよいよ電車の時間が迫っていた。
体を起こし、足の裏に床の冷たさを感じながら洗面所まで歩く。顔を洗った。
着替えを済まし、大きなバックパックを背負ってOとBARで朝めしを食べた。トマトとモッツァレラチーズのパニーノ、食後にはカプチーノに砂糖を10g入れて飲んだ。


結局、有名な美術館には行かず。彼はこの街を出ることになった。


彼は、他人の所有物を奪った悪者、という認識しかされていないようだ。
その人の理屈では支え合いこそが目的らしい。その理屈は、愛しているからという理由は答えになってない、と唾棄しているように彼には響いた。
彼は窓際に座った。253キロで走る列車。景色は立体的だった。
中国人らしき若い夫婦が、通路を挟んで別々に座った。男は麻でできたブルーのセットアップ、裏地は若いコンクリートのような鼠色をしていた。赤のセーター、梅の色をしたチタンの眼鏡、前髪はキャップのつばのように長かった。
青い缶のビールを飲みながら、隣の男が景色を独り占めしているのに腹を立てているようだった。苛立たしげにビールをちびちび飲み、ため息交じりにげっぷをした。ギア通しが空回りしているような生理的な反射といったところか。空気が漏れるたび、生温かくなったビールの匂いが彼の鼻をついた。
男は座席に刺してあるカタログを引っ張り出し、憂さ晴らしに英語以外の挿絵を眺めはじめた。引っ叩くように乱暴にページをめくり、再びげっぷした。俺は今イタリアに来ているのだ、という自負。
女は、美しくはないが、愛嬌のある小柄なショートカット。プライドの強いこの男が、妥協して選んだ結果という気がした。
緑の畑。朽ちた小屋。苔の生えた屋根。色は黄土色だった。
米をこぼしたように散らばる羊たち。緩やかな傾斜の緑色の地面。示し合わせたようにそろって地面に口をつけている。
道もタイヤの跡もない草原に停めてある白い車、不自然な、不釣り合いな、まるでおもちゃ、
トンネルに入る度、空気が薄くなって、耳に強い違和感
都市と都市を結ぶエクスプレス。田舎にレールが引かれる。しかし、駅はない。都市にとって、田舎は通過、省略すべき、意義なき空間に過ぎない。
ローマのホームレス。より善く暮らす気はさらさらない。彼らにとって、家とは一時的な存在でしかないのだ。借りぐらし。吹いたら飛ぶ家。
変わりたくないけど、止められない。私はちっぽけ。だが確かな存在。
6時すぎて、ようやく彼は外に出かけた。メトロは薄暗く、汚れていた。ローマの照明は愛がない。薄い蛍光灯の色。波長が長く、ちかちかと目に付く。
満月は濁っていた。
壁はデカい塀だろうか。
スピノザは神を「実態」として位置づけた。
存在するために自己以外の根拠を必要としないのは唯一神のみであり、神以外の全ては内在的に神を存在根拠とする神の「様態」である。神は「動力因」となり、全てを必然的に決定する。


さて、彼は22時に6ユーロのアラビアータと3.5ユーロのハウスワイン2.5mlを飲んだ。

マンホールもトレビの泉もたどり着けなかった。彼はこの後、宿に帰って眠る。

そうそう、今日は3回目の満月だったらしい。

98. フィレンツェ

98. フィレンツェ
どんなに高くて大きな建物でも、それより高いところに行くと、途端にちっぽけな存在と化してしまう。
高い視点。見下ろす俯瞰。彼らの行動は些末なおろおろ。彼らは見られているとも知らず目の前のことに没頭している。
いや、彼らは感じている。視線を。しかし、身近な上司の視線を感じている。その上司を見下ろす視点が存在することを夢にも思わない。知らないのだ。
アメリカの猫は大体不幸だ
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫のかつ消えかつ結びて常に留まるところを知らず。
泡沫は泡沫という存在ではなく、ただの状態である。
有機物である彼もまた落合賢治という存在ではなく、落合賢治という状態なのである。
そうだ、この街には、この地域には死がないのだ。日常から切り離された死はどこに揺蕩うのか。
かの国では、死は人々のすぐそばにあった。死を直面して初めて、真の喜びは湧き出る。
この国は嘘つきだ。嘘を突き通す気だ。絶対的な神の存在を盾に嘘に完全性が帯びる。死を否定したバッカスの国。
かの国の破壊の神は、酒の酩酊状態無くして、確信的に破壊をする。それは彼の役割なのだ。踊り、響き、リズムは止められない。ただ運命に従い、破壊を実行するのである。破壊は彼の哲学から生じた純粋な知恵であるから。
蛇に誑かされた砂漠の神と、蛇を支配した青い神との違いである。
砂漠の神は、根を張れなかった。踊りの神は、土、水、火、空気、全てに根を張った。
肉体は普遍的だが、服は普遍的ではない。という。
想像よりも強く早く現実が飛び込んでくる。
歩く枯れ木のような観光客でいっぱい。
ひとつ、私は何者かになる。彼は何者かになる。
私を見よ。私を見よ。私を見よ。
あらゆる神が見ることを要求してくる。実際、神々はセンセーショナルなため、目を奪われる。
彼がそれを見る時、彼の脳裡には、見たものが映る。彼の意識はそれで満たされる。結果、彼は彼ではなくなる。神々は言う。私が貴方を救う。だから、私を信じて、私から目を放さないようにしなさい。と。
はい、信じます。私は貴方と同化します。同化するよう精一杯務めます。没我。彼は敬虔であればあるほど、多幸感に満たされる。
だが、多幸感は一時的だ。神のさじ加減に依存する。神は麻薬である。
没我。
一方、彼が彼自身を見るとき、彼は彼ではなくなる。目をつむり、自身を見る。こちら側の世界。彼だけの世界。一般に人々、夢の中以外で意識することの出来ない世界。すると、彼は知る。自分が自分ではないことを。自分が普遍的な存在ではないことを。知る。
彼は常に変わり続ける。外部的なあらゆる存在によって。
彼は、その真理から逃れることは出来ない。
旅先では、そういった類の悩みを抱えている人とよく出会う。
だが、気をつけておきたいのは、そういった類の悩みは誰しもが持っているということだ。旅人だけではない。旅人にそういった人が多いのは、彼らがそれをよく自覚しているだけのことである。
未経験に染みる初体験ほど瑞々しいものはない。
Oと酒を飲む。
バラ売りも ハンサムだったら 買うのにな
結局、カラダを張る仕事の成果は肉体の質に比例するのだ。

2014年1月15日水曜日

97. フィレンツェへ

97. フィレンツェへ
ポチは家に帰りたかった。
寒くて霧が立ち込める雨の世界はもうこりごりだった。家の美味しいご飯が恋しかったし、自分だけの小屋とか撫でてもらうことなどもたまらなく恋しかった。
しかしその反面、家に帰ってまた首輪と鎖を着せられるのかと思うと気が滅入った。首輪を拒否し続けることができるだろうか。自信がなかった。
紫色の土。
葡萄の皮の汁がこたつのふとんに染み込んだ。
アレッサンドロとのミラノは楽しかった。彼はカクタスジュースというレストランで働いている。平日は昼間にバリスタとして。休日は夜にウェイターとして。
彼は気さくだ。
ミラノという街は格別好きにはならなかった。観光として特筆すべきものは多くなく、ハイブランドブティックの並ぶ街だ。アレッサンドロに予定を合わせたために博物館には行けなかった。ダヴィンチの博物館もあった。
彼は元カノをまだ引きずっているて、ハイになったときに悩みを語り始めた。duomo近くのブティックで働き始めたときから、彼女は変わってしまったこと。彼の誕生日に電話やメールすらよこさなかったこと。6年間。
彼は今、電車に乗っている。6人。5人はイタリア人。イタリア語。フィレンツェ。やはり彼はさみしかった。
前の金髪に頼んで、テザリングでインターネットに繋ぐことができた。しかし、ほんの一瞬だった。彼女は回線を切ってしまった。
彼らの低い声は、嫌な感じだった。目の前の金髪は、お喋りだ。一人旅で興奮しているのだろう。うるさい
生きてる、死んでる、悪くない。
イタリア人とインド人は似ているが、イタリアの女は強い。
フィレンツェに着いた。ミラノに比べると、落ち着いている。
カフェでWi-Fiを拾い、ホテルを予約し、チェックインを済ませた後、彼は再びカフェでWi-Fiを拾った。
ロンドン、ノルウェー、日本までのチケットを予約した。
その間に、3組のカップルが音を立ててキスをした。何度も何度も、こちらをちらちら見ながらキスをしていた。人目を気にしないと言うが、気にしているではないか。こんな姿を友達に見せられるのだろうか。
ミラノほど寒くはなかった。何度か小雨が降った。
3ユーロのパニーニを二つたべ、ドーモに行った。寒かった。
宿でメキシコ人の人たちとトランプをした。フレンドリーだ。
彼は嬉しくなった。さみしさは少し癒えた。

96. ミラノ

96. ミラノ
うんこにかび
猫の挨拶ようにチャーオチャーオ言い合うおばさんたちが可愛らしい。
私は人のことを簡単に好きになるのかもしれない。しかし、一度好きになったひとを、再び(?)嫌いになることは苦手である。
人を好きになったまま嫌いになることは可能なのか。それに執着と嫌悪を同時に感じること。
可能性を感じるのか、不可能生を感じるのか。貴女は常に誰かの所有物でなければいけないのか。
投げやりなハーモニカの音楽が、暴力的に情緒を演出する。
何となくそうではないかと思っていたが、やはりハリボテだった。ハリボテにもそれなりの効果があるというものだ。しかし。落ち着かない。
生き霊とは酷い言い草だ。再び死について考える。彼女はよく死をチラつかせた。死は極端な真空状態である。自らの引力ではなく、真空状態によって彼を引きつけようとしたのだ。
苦しい。苦しいが、取り敢えずゴールまでは辿り着かなくては。
敏感だとか、影響受けるだとか、作用するだとか、私の身体はどうなってるというのだ!どうだっていい!
考えるのが面倒だ。代わりに金を払う。
彼は、誰かでありたいと欲すると同時に誰でもなくありたいと欲する。結局のところ、彼は彼であり、私は私だ。
犬に対しては責任を負う必要がある。去勢をしない限り、猫に対しては、責任を負う必要はない。いや、そもそも首輪をしない限り犬さえも責任など負う必要はないのかもしれない。
首輪をしたら最後、我々は餌としつけと散歩の義務を負う。
黒いお腹。言い当てられたような気まずさと、侮辱された怒りのような感情が湧いた。自分の母を生ごみ呼ばわりされるような屈辱。
悲しくなった。
「太陽みたいな人になりたかったのに」
アレッサンドロは、恋人をまだら愛している。捨てられた犬はなんとも惨めなものだ。
エミリオは200ユーロを持って、デパートで新しい携帯を手に入れた。サムソンのスマホだ。iPhoneはその二倍か三倍の値段がした。エミリオは、ゲームが好きだ。
アレッサンドロは、デパートとか、家電量販店とか、イタリアと日本は同じか、と尋ねた。そうだ、と彼は応えた。
アレッサンドロはインドは50年前のイタリアそっくりだと言う。パッションが溢れんばかり、物が、可能性が、やるべきことがたくさん転がっている。

95. ミラノ

95. ミラノ
アレッサンドロは12時まで起きなかった。彼の家族と昼ごはんを食べた。
アレッサンドロは隣人と挨拶。この町のみんなは知り合いみたいだ。
父の役割を兼任した母。
多くを語らない人に弱い。
語らないことは魅力のひとつだ。
私は怖いのです。貴女が心変わりしてしまうのではないか。と。
彼は怖いのである。
さみしいと思うからさみしいのだよ。めをつぶりたまえ。

94. ミラノ

94. ミラノ
皆、顔が濃い。
堀が深くて、髭が濃い。
アレッサンドロを待つ。バスにWi-Fiがなかったが、パブリックWi-Fiがあったので、なんとか連絡を取れた。
アレッサンドロ金持ちだったらいいなぁとか妄想をする。
強すぎる葉っぱ。
私は人との関わりに、恐れを抱いている。
寝ている状態が、人間の根源的な快楽状態であろう。
Dante grazie Alex.
Milan, unlike the traditionally red-terracotta roofed Italian cities, is quite grey, as many buildings are constructed using limestone or dark stones
ミラノは、モダンな町だ。東京とあまり変わらない。
アレッサンドロの働いている店に、エリディオと向かった。ピザを食べた。うまくはない。
ソファで寝た。

2014年1月11日土曜日

93. ウィーン

93. ウィーン
彼は庭に来た、シェーンブルンとかいう宮殿の庭。アラレのような砂利をざくざく踏みながら、広すぎる庭を一人で歩いた。
権威の象徴と一言で片付けてしまうのはつまらない。しかし、他に意味も見つけられなかった。
庭には、からすやハト、真鴨がいた。真鴨がお尻をふりふりさせながら仲間をつついて追いかけるのを見ていた。パンくずを持ってくれば良かったなと思った。
退屈さに浸るという他、形容し難かった。何故、異国の地の有名な宮殿まで来て、鴨を眺めなければいけないのだろう。しかし、歩き回ったところで退屈には変わりがなかった。
阿呆らしい。何もかもが阿保らしく見えてきた。爺さんたちに交じって写真を撮ったり、目の前でキスを始める若者を見て見ぬ振りをしたり、とにかく家に帰りたかった。
ネパールで会った中央大学の学生も、帰国を目前に控え、日本に帰ることだけが楽しみだと言っていた。そういうものなのだろうか。
もっと色んなことに感動したいと思うのだが、かったるくて一分と見ていられなかった。
峠を越えて、あとは下り坂だった。元来た道を戻る以上の馬鹿らしい下り坂だ。腹が立つほど物価が高いのだから。
全ての観光は馬鹿らしかった。まるで家に帰るために外出してるかのように本末転倒な義務的な歩行だった。
家のない彼にとって、今や、家で待ち受ける全ての日常が非日常だった。
なんたらエンパイアの華々しいご自慢のミュージアムにも興味がなかった。
彼は今夜の夕食を考えた。クリームパスタにすることは何となく頭にあった。玉ねぎを炒めて、マッシュルームを入れよう。甘い白ワイン。貝を入れてもいいなとも思った。彼は思い直した。そうだ、オリーブがたっぷり余っていたんだ。

92. ウィーン

92. ウィーン
Anton lutz
近付けばちかづくほど気付かされる印象派。
Erika Giovanna Klien
独特の滑らかさ
見るものの立場を揺るがす対象。幾層もの意味を内包する対象物。平面上に立体。
クリムト。接吻、接吻、接吻。甘ったるい接吻。優しい男の接吻。少し年老いて見える男と女。成熟した男と女。罪もない子どものように抱きあう。
彼は泣きたくなった。
彼はクリムトのその絵画に、別の思い出を探っている。彼が愛した女。そして産まれた子どもたち。接吻をしている彼は何れ逃げてしまうのだ。女の恍惚とした柔らかな閉眼からは、そうした運命を知らないナイーブさが伺える。
2人の甘い接吻に、そうした悲しい運命を読み取ってしまうのは、彼の過去、彼の生まれる前の出来事が影響しているのかもしれない。曲線が発する不協和音にえもいえぬ不安感を覚えた。
我々は生きた果物を食べ、死んだ動物を食べる。花の匂いを嗅ぐ女は官能的。
絶望。救いを求め、女に救いを求め、パラノイア。
ウィーンの冬は曇り空。醜い小人を見てしまったかのような居心地の悪さ。光が強ければ、それだけ一層影も強くなる。神も悪魔も滅多に姿を現さないこの地では、人は神を怖れるというよりもむしろ、
エレベーターに乗ると、毎回違う匂いがする。体臭や口臭や食べものとか香水の匂い。
前に乗ってた人はどんな人なんだろう。残り香からすると、自己主張の強い人に違いない。独りよがりな妄想に過ぎないが。
茄子と玉ねぎのトマトソースパスタをつくり、食べた。部屋に戻り、ツイッターやらFacebookやらインスタグラムやら、ブラウズした。何かを満たそうとしたのだ。それらをすることで、何かが満たされることは滅多に、いや、絶対にないことは経験上知っているのだが、彼はやった。この試みが別の何かを無駄にしていることも、知っている。だが、楽観的に試みた。
ストレスの解消と言いながら酒を飲むことは、根本的な解決にはなっていない。ストレスに別の欲求を上塗りすることで、ストレスの存在を隠しているだけである。
彼はシャワーを浴び、その後、ベッドの上で一時間瞑想した。足に痛みが感じられた。瞑想は彼を多少すっきりさせた。
外の世界を見るとき、誰かが私を笑っていようと、猿が笑っている。と認識すれば、怒りを感じることもなく、むしろ愛おしさを感じることができる。

2014年1月10日金曜日

91. ウィーン

91. ウィーン
ヨーロッパへ来てから、鏡を見ることが多くなった気がする。退屈なのだ。
ピュアに私だけの世界というのは、存在しない。なぜならば、私がつくりあげた世界というものは、私が見てきた世界、経験してきた世界を材料としているからだ。
遅くに目が覚めた彼は、ミラノまでのバスチケットを買いに駅までいった。
やたらと人恋しく感じていた彼だったが、目をつぶって落ち着きを取り戻そうと努めたため、いくぶんましになった。
両手を突っ込むポケットの中は空っぽであるべきだ。何も期待しないのと、悪い期待をすることは違うのだ。彼は何も期待しないと言いながら、実際のところ悪い期待をしていたのだった。
美しい女と美しい男から産まれた子が、美しくないわけがないのだ。
チケットを買って、国立美術館へ向かった。
生活が苦しいとき、人はデフォルメを好む。デフォルメされた世界を好む。同時に現世がデフォルメされることを願う。
飢えた人間にとって、完成された像は、それが存在するだけで自分の存在を脅かしかねない。
存在感の強すぎる像は、自分の存在よりも本物に見えるのだ。だから、記号としての神の像をこのむ。あちら側の世界。
逆に、生活が豊かなとき、人は写実的なものを好む。豊かさを何度も再確認するため。
また、満たされて満たされすぎたが故に何をしても満足出来ない、物足りない世界をもっと鮮やかにしようとするために。見ているつもりが見過ごしている細部の確認にかかる。
商品価値を失った。否、商品価値を得ることを拒否した。
彼は1時間足らずで美術館を後にした。気に入らなかったからではない。むしろ美術館は美術館として一流のものだった。あまりに完璧な美術品を目にして、脈絡の完全性に嘘っぽさを感じてしまったのだ。それに、一日で消化するには多すぎた。
彼はふと通りがかったラーメン屋でラーメンを注文し、腹ごしらえをした。注文したラーメンの代わりにフォーが来たが、箸を突っ込んでしまってから気付いたため、そのまま平らげて、テーブルにコインを積んで店を後にした。
隣のカフェでポピーシードのケーキとホットチョコレートを頼み、17時ころまで席に座ってウェイトレスのお尻や爺さんのコーヒーを平らげるまでをぼんやり眺めたりした。
宿でトマトソースとナスのパスタをつくった。人懐こいオーストラリア人と話をしながら飯を食べた。
その後は、彼が行きたいというカフェまで歩いた。頭の中で流れるエゴラッピンのメロディが、そのまま唇をついて現れた。

90. ウィーン

90. ウィーン
何もせず。
高山病にやられた。物価が高く貧血。空気が薄い。ミラノへゆくバスがない。

89.ウィーンへ

89.ウィーンへ
7時に目が覚めた。目覚めは悪くなかった。彼は5時くらいにイビキがうるさいと文句を言われたのを思い出した。そんなこと言われても、どうしようもない。誰も好き好んでイビキをかいているわけではない。しかし、彼女にしたところで、好き好んでイビキを聞いているわけでもない。
彼は一応寝ぼけながら詫びを言ったが、そんなことが気になって眠れないならばシングルに泊まれば良いのだ、眠りに神経質な人は可哀想だ、と自分のイビキを棚に上げて、同情しながら再び眠りに落ちた。
7時に目が覚めるまで、何度イビキをかいたか彼は知らない。彼が眠っている時、彼の外で起こっている出来事は彼には関係がないのだった。
ロビーへ降りて行き、彼は我が物顔でコーヒーを淹れた。素晴らしいコーヒーだった。一日何杯でも飲めるようだった。
コーヒーを飲み終え、彼は外に出てここへ来る前に目を付けていた小さなカフェで、もう一度朝のコーヒーを飲んだ。ラマゾッコGS3で淹れたダブルショットのエスプレッソ。見たところ抽出は早めだ。悪くは無かった。しかし素晴らしいとは言えない。無駄な動作が多く、守るべきことを守っていなかった。
バスターミナルへ。
チケットを受け取り、弁当のパスタを買い、バスで食べた。
バスはWi-Fiがついている。大きな子供をおとなしくさせるための最良のおもちゃだ。
おもちゃを使いこなせない子どもがぐずって母親に甘えている。母親はKindleで何かを読んでいる。仕方が無いから子どもは窓の外の景色を眺める。森だ。木だ。枯れ木、針葉樹。霧だか靄だか花粉だか煙だか、白い雲のような空気が立ち込めている。草が蒸気を出していることに気付く。そうか、これは草の吐いた白い息なのだ。子どもは確信する。
彼は同様に、景色を眺めていた。森や霧を超え、村を超え、不思議の国のアリスに出てきそうな賢そうなウサギや煙突のついたレンガ造りの古い家などを視界に取り込んだ。
隣の中国人がチョコレートをくれた。黒いチョコレートに白いクリームが挟まっていたが、期待に外れてそれはミントの味がした。
自分の視点が動いているだけなのに、周りの風景が動いているように見える錯覚。

88. プラハ

88. プラハ
起きたのは7時。何度も目を覚ましては、再び眠りに帰って行った。彼は、太っちょな女とセックスする夢を見た。大学の同級生で、彼のタイプではない。その女も彼のことをあまり好いていなかった。成り行きだった。
しかし、その女を感じさせることが出来ずに終わった。途中で止めてしまったのだ。乳を揉んで諦めた。
彼はセックスを放り投げ、リシュケシュのまちを散歩した。ガンジス川があまりにも明るいがために屋根のついた川沿いの通りが暗く見えた。
彼は何も期待せず歩いた。花とか何か小さな素敵なもの、ささやかな美しいものを拾うために歩いた。
11時まで夢の続きを見ていた。
二段ベッドの上段から、重い身体を着地させた。
ヒーティングコイルで湯を沸かし、コーヒーを淹れた。エアロプレス、ペーパーフィルター。湯は沸騰したてで、温めてないエアロプレスを使った。ダウンサイドダウンで④の上の部分まで湯を注ぎ、かき混ぜ、蓋を閉め、1分蒸らして蓋を開け、再びかき混ぜ、プレスした。
ミネラルのおかげか、トロッとしたシロップのような口当たりの美味しいコーヒーが飲めた。
彼はミュージアムへ向った。トラムとメトロ。
そこには、彼の興奮を掻き立てるようなものは殆ど揃えていなかった。
何故か一階は、通貨の話だった。チェコの通貨が出来るまでのアニメーションは、悪くはなかったが、ナショナルミュージアムに相応しくない気もした。観光客向けというよりむしろ、自国民向けといった感じだろう。
ミュージアムのカフェで携帯を充電しながら、ネットで何やらブラウズした。
雨が降ってきた。
カフェへ。メトロを使ってわざわざ行ったのに、休みだった。ストラーダ。
城へ。
城はやってなかった。代わりに、美術館へ。
帰宅途中、ビールと夕食。
否応無く運命付けられた生活

2014年1月6日月曜日

87. プラハ

87. プラハ
バスは居心地が悪かった。
重い頭を窓に委ねて寝ていたため、左右非対称的な痛みをじわじわと作ってしまった。
ターミナルについたのは7時ころ。辺りはまだ暗かった。街灯が黒々した空を照らすことは出来ない。彼は周りの水蒸気と友達の輪をつくり、なんとか惨めさを拒絶していた。
バーガーキングの看板を照らす光はエネルギーに満ちていて、存在意義を持つ者の自信と誇りが溢れ出ていた。
美しさとは無縁の光。
バスターミナルの中にある、カフェでNYチーズケーキと炭酸水を飲んだ。ケーキはひとくちひとくちが重く分厚い甘さだった。Wi-Fiを拾って恋人と電話した。余計にホームシックになった。4時間ほど時間を潰した。頭が冴えない、ぼーっとする。
バスでホテルまで向った。ばすてには日本人らしき四人組が地図を片手にうろうろしていた。現地の人が英語が話せないので、1人1/4ずつ知恵を出し合い、なかなか前に進めないでいた。
助けてあげようと思ったが、私の手の負えない問題だったらと思うと、親切の押し売りは躊躇われた。彼らは遠くの方でうろうろ始めた。しばらく放っておいたら、いつの間にか何処かへいなくなっていた。
4人でいると見切り発進も出来ないから可哀想だなぁ。そう思い、何分か待って175番のバスに乗った。街を眺めながら無賃乗車を楽しんだ。街は雨上がりだった。曇り空に年明けの気だるさが加わって、なんだかさみしげだ。これからまた、長い一年が始まるのだ。街は気が滅入って見えた。
バスが走って5分。どうやら違うバスに乗ってしまったことに彼は気が付いた。さっきの日本人を笑えないなと微笑しながら、諦め交じりでしばらくバスに乗っていることにした。バックパックには2リットルの水とりんごジュースと炭酸水が入っていたので、いつもより重かった。
地図を見るところによると、バスは目的地からどんどん離れているらしい。
あまり遠すぎても困るので、降りた。彼は道すがら親指を立て、ヒッチハイクの真似事をしてみたりした。3台の車が通り過ぎ、彼は虚しくなって止めた。
右足の痛んだ。
車がアスファルトにタイヤを引きずるような音を立て、彼のそばを通り過ぎる。目は無意識に小さくなってゆくそれを追いかけ、彼が冷たい坂道を登ることと、車が猛スピードで通り過ぎることは何の関係も無かったことを納得する。
犬の散歩をする婆さん以外、人っ子一人いない。
ぶかぶかの黒いコートを着た男は左足と右足を交互に前に出し、濡れた正方形の石畳を踏み続ける。
そして、ホテル。高い天井に大きなワイングラスが葡萄房のように連なったシャンデリア風の電球がぶら下がって、現代的。コンクリート、白いモルタル、黒い壁、錆びた鉄板を折り曲げただけなのにやたらと値段が高いテーブル、黒い黒板。何もかもがさり気ないのに気が利いている。
卒業旅行の団体らしき彫りの深い若い金髪の男女。はしゃいだり、気取ったり、全てをありのままに見てるという態度で両手をジーンズのポケットに半分潜り込ませて片足に重心をおいている。
3時まで、部屋が用意されないというので、外出することに決めた。どうも頭が痛い。3時間ほど携帯をいじり、1時くらい、空腹を感じ、諦めて寒い外の空気を吸った。
バスやメトロを使い、ミュシャの美術館へ。飾られた作品は、日本で見たものよりも迫力があった。直筆だからだろうか。下書きが薄く透けて見えるからだろうか。官能的だった。
彼の幼い頃の作品は、日本の中学生が描く絵と何ら遜色無く感じられた。
モラヴィア生まれ、幼少期に協会で美を感じ、写真を撮り、絵本の挿絵などのキャリアも積み、パリで名を上げたグラフィックデザイナー。
美術館の後、ふと寿司のメニューに気が付き、食べたくなった。
中国人が作る寿司。とんだ散財だ。初めにシャリを幾つも丸めておいて、後からネタを乗っけた。
ガリとわさびが食べられたから、いいや。
、カフェへ。
メトロで一駅、キースのデザインしたエスプレッソマシン、スピリッツがカッコ良かった。美人なスタッフが慣れた手付きでコーヒーを作っていた。美人すぎるほどの美人だ。華奢で、目が青緑色で、髪は金髪。無防備に空いた胸元は隙のある独特なエロさが漏れていた。
コーヒー自体は、悪くは無かった。過抽出、ソルティ、スモーキーなのが少し気になった。
たまたま相席したhugoという名のおっさんと、アブサンを買い、橋を見に行き、ビールを飲んだ。終始、ゲイじゃないかと疑っていたが、ただ単に旅人に親切なだけの人のよいおっさんのようだ。襲うことはなく、おっさんは帰った。
彼は、ビアレッティのマシンを持っていて、グラインダーを持っていないらしい。ドミニカの東の島がオリジンのアメリカ人で、ドイツが故郷で今はプラハに住んでいて、大学でプログラミングを教えているらしい。
アムステルダムでハッパを吸うことをお勧めされた。だが、初めてのLSDは決して1人ではやるな、本当の友達か彼女とやれ、そして、一枚ではなく、1/4で充分だ。さもなくば危険だ。らしい。ひょっとして、彼はそういう嫌な経験があるのだろうか。
宿に戻ったのは10時過ぎで、シャワーを浴びて床に就いたのは、1時過ぎだった。
Monkey 49

86. ブダペスト

86. ブダペスト
朝、7時に目が覚め、歩いて5分のパン屋でりんごのパンとリコッタチーズのパンを買う。昨日の婆さんではなく、彼女より若い女が店を開けていた。
宿でコーヒーと一緒に楽しんだ。ハンガリーのロースターはレベルが高い。浅煎りのイルガチェフをインヴァートで淹れた。湯温が高すぎたのか、少し過抽出で酸が少なめに出てしまった。それでも香り高く、美味しい部類のコーヒーだった。豆が良ければ、少しくらい間違えても美味しく落ちるのだ。
10時過ぎまでドイツ人は起きなかった。私のイビキのせいだろうか。昨日笑いながら文句を言われたが、あれは半分本気だっただろう。スリープマイスターというアプリで寝言を録音してくれるというので、わくわくしながら聴いてみたら、爆音のイビキが録音されていた。我ながら、少し呆れるくらい立派なイビキだった。歴代の彼女たちは辛抱強くこれに耐えたのだ。もはや原罪だ。
ドイツ人が起きてきたタイミングで、パスタをつくった。昨日のタマネギの余りを炒め、オレガノとバジルや胡椒をふんだんに振りかけ、チーズやトマトソースを加えて、乳化を待ちながらスプーンでフライパンをかき混ぜる。
火力が弱いのか、結局乳化はせず。湯から上げたてのパスタをフライパン上のソースと馴染ませ、大きな皿で食べた。
ドイツ人は、もう料理してんの?と驚いていた。朝飯だと思ったらしい。ソースが余ったので、ボウルに移し湯を加えてスープにしたが、油を吸ったオレガノが表面に浮かんで、さながら放置された庭の池を連想させた。
チェックアウトを済ませ、バスターミナルの倉庫に荷物を預け、カフェへ向かった。
ロバート・キャパ
彼はカメラを腹部付近に構え、上から覗くようにしてシャッターを切っていたようだ。被写体の目線がこちらよりも上を向いているのを見れば分かる。
今見ているものの延長と言うより、第三の目を持つ感覚に近いだろう。
撮られる人は、キャパがこっちを見ているというより、カメラマンという物体が何やらこっちを撮影しているらしい、といった様子だ。結果、写真はカメラに向けられた緊張感は在らず、人々がその時に感じている緊張感で満ちている。
彼は、言わば「覗きマン」だ。自分の存在を消して、そこに潜み、彼にしか見えないものをただ記録する。
彼は名前を変え、人格・肉体から離れ、純粋意思に還元され、幾つもの立場を演じたのだ。
そういった特殊性を踏まえてか、彼について語る時、みな口を揃えて「彼は何者だったのか?」と今更ぶって疑問符を打つ。
彼の残したセンセーショナルな作品にも増して、「見る」という行為について意識せざるを得ない。
見る。私は見る。
全てを見通す俯瞰は、決して部分の詳細を知ることは出来ない。「神は忙しい」と語られる所以である。
部分に目を向けるや否や、ありとあらゆる部分たちがどんどん目に飛び込んでくる。さっきまで気が付かなかった新しい部分が、脈絡なしにどんどん「見せて」くるのだ。
見るという行為は、半ば「見せられている」という行為と不可分である。
また、見ていようと見ていなかろうと、肉体ある以上、「見られている」のだ。
隠れるとは?部分の集合のパターンを真似て、存在を部分に紛れ込ませること。
カメレオンの擬態。虫の擬態。自らの存在を周りに馴染ませる。これが隠れること、、、!?
続けろ。
カフェ。トートバッグをくれた。
アンバサダーは閉まっていた。
足が痛い。右足をかばって歩いていると、足の裏側も痛み出した。
バスターミナルで、靴下を脱いだ。臭い。隣の女子2人組は笑い出した。2人ともイヤフォンをして別々のことをしているから、笑いの原因はこれだろう。
英語ではないので、何を言っているのか分からないが、参った。今さらどこか別の場所へ移動するのも気まずい、出来ればこっちも笑いに乗りたいが、1人なので道化を演じ続ける他はない。
時にこう思う。自分は人一倍、滑稽なことを気付かずにやらかしている。寝ている間に爆音のイビキをかいたり、どもったり、独り言を言ったり。
それでも、こんな私のことを愛してくれる人はいるが、知らぬ間に滑稽さを買われていると思うと、少し惨めな気持ちになる。
果たして、そうなのか。みんなが私を笑いものにしているのか。
そんなことはないと信じたい。
息が臭かったり、笑い方が気味悪かったり、太っていたり、はげていたり、足が臭かったり、白髪が多かったり、眉が太かったり、歩き方が変だったり、服装がダサかったり。
色々な人が、色々な滑稽さを抱えたまま生きている。しかし、私は禿げてる人を取り立てて笑いものにしたりしない。禿げは運命付けられたものなのだ。そういう人として、禿げの滑稽さを無視して、私は彼等とコミュニケーションを取る。そういうものだ。

85. ブダペスト

85. ブダペスト
6時にアラームが鳴り、7時に温泉へ。すんなり入れる程空いていた。爺さんたちがたくさんいた。湯はぬるめだった。サウナも入った。熱くて乾いた重い水蒸気を、口の中に無理矢理押し込められる気分だった。5分としないうちに汗が身体から逃げ出すのが感じられた。悲鳴の代わりだ。頭が痛くなりそうだったため、すぐに切り上げ、38度くらいの湯で30分ほど浮かんでいた。寒い空気。爺さんたちは暇つぶしにチェスをしていた。隣でカップルがチュッパチャプスしている。
ぬるい湯でのぼせるのも癪なので、冷たい空気を通り抜け、更衣室へ。でっかい爺さんがフルチンでなにやら話しかけて来た。ハンガリー語は分からない。
宿に戻り、パスタをつくった。レンズ豆は相変わらず鍋の中。減っている気配はない。レンズ豆とトマト、チーズのパスタ。味気ないレンズ豆のざらざらした食感。サウナを思い出す舌触り。携帯をいじりながら平らげて、片付けたら眠くなった。
ソファで13時まで眠った。ちょっと寝違えた。右の腰が痛い。
カフェへ。
Madal Coffee
フルショット落としてます。さらさらエスプレッソ。ロースターはハンガリーのチャンピオンのとこのを使ってるとか。
7-22秒。16g。22g。
http://www.beanhunter.com/hungary/pest/budapest/madal-cafe
お勧めを聞いた。
Tamp& Pull
My little Melborne
あと一つなんだっけ。
お金を取りに、宿へ戻った。バスのお金は払っていない。
リコッタチーズの菓子パンをくわえながら、バスで次のカフェへ。
Blue Bird Cafe
ライトアップのパチモン、ハンガリー版である。グラインダーはイスラエルのCoffee Tech Engineering。イージー。エスプレッソは、「インド」のロブを30%とブラジル、グァテマラ。ロブを混ぜたエスプレッソはコーヒーっぽくて万人受けするよな、スペシャルティもちゃんと混ざってるから、良い味。。と思ったら、このロブは高いやつなんだとか、スペシャルティより高いロブだから、汚い味にならないのかしら。店内は、レストランもある。焙煎機は1キロ釜。
My little Melbourne
2012年オープン。小さな店。ロフトのような二階建て。豆は、ワークショップコーヒー、グァテマラとルワンダのブレンド。酸っぱいエスプレッソとミルクを混ぜると、バナナの様なカプチーノ。ダブルフルショットで頂きました。マシンはストラーダの二連。カラフルなピッチャーが可愛いね。なんと、A-Z Coffeeが売ってました。
http://www.beanhunter.com/hungary/budapest/budapest/budapest/my-little-melbourne
スーパーで買い物。タマネギ、トマト、レモン、乾燥バジル、オレガノ、チリ、ミル付き胡椒、チーズ、モッツァレラ。2600。店内は快適だった。日本のスーパーより狭いのに、全てがある気がした。肉は本物、チーズも本物。たくさんのメーカーがこぞって偽物を並べる国ではないのだ。
もう一軒カフェに行くつもりだったが、ちょうど閉まってしまったということなので、マダルコーヒー経由で宿へ。
豆を買った。
宿へ。
Bean hunterというアプリケーションソフト。


84. ブダペスト

84. ブダペスト
10時に目が覚めた。昨日はカウントダウンのために街の真ん中まで行った。大騒ぎだった。
ドイツ人と4人で凍えながら4キロ歩いて、宿に戻り、スパークリングワインとチーズを摘み、寝たのは4時過ぎだった。
目が覚めると、身体が重かった。
カフェも美術館も小さな商店すら閉まってる。温泉はひどい行列。
宿のロビーでじっと小説を読んだりしていた。
パスタを食べた。美味しくない。夜もパスタ。美味しくない。
何かを知りたいにも関わらず、何かが見つからなくてやきもきした時、まず目を閉じる。

83. ブダペスト

83. ブダペスト
今日が大晦日らしい。
7時に起きた。隣の中国人がとてもうるさかった。猿だ。ドアを閉める音や、荷物をひっくり返す音で目が覚めた。ランドリーに出した洗濯物は乾いていなかった。Tシャツ二枚とバスタオル一枚が生乾きだった。気持ちの良くない目覚めと寒さで、朝から苛々した。
歯を磨き、56分39秒瞑想した。
なぜ56分かというと、アラームがいつまでも鳴らなかったため、試しに目を開けて見たら、あと3分20秒だったためだ。
頭がすっきりした。
ナイーブな観光客とすれ違う。彼等は集団で、口元を笑うか真一文字に結ぶか、どちらかだ。
しかし、どちらかと言えば私も人のことが言えないのかもしれない。
新しい宿へ向かう道中、パンが焼きあがる良い匂いがしたので、入った。
ハート型をしたリコッタチーズのパン。りんごやヨーグルト、カスタードのような甘さ。温かく無かったが、美味しかった。
今日泊まる宿までは、2キロほどある。12時。道中、コートと長袖のシャツを買った。コートはボタンが取れていて、裏地がどうしようもなくダサいのだが、ウール生地で悪くはない。二つで3000円だ。悪くない。
ホテルで少しくつろいで、腹を満たしに外に出た。13時過ぎ。
美術館付近の広場から出ているメトロで海へ向かった。
キャパは閉まっていた。
美しい。美しい。ああ、なんて美しいんだ。私は砂漠の神には祈らないけれど、ああ、この美しさは本物だ。
うなだれるキリスト、掘りの深い顔立ちにこびりつく暗影。
協会を出ると、チョコバナナの甘い匂い。カスタードかな。どこの国も、寺の周りは楽観的過ぎるほど屋台が賑わっている。
ドナウ川とホットワイン、
温かいりんごネード。