2014年1月31日金曜日

108. 東京へ

108. 東京へ
26
10時まで寝た。ウィリーは酷いといいながらクリスマスブレンドを飲んだ。彼もかき込んだ。
ハラルドが彼を駅まで送ってくれた。犬を連れて。
彼は電車の中で、これを書いている。
移動の窓は自分を写す鏡だとかいう。純粋な目になる。肉体と目が一致しないのだ。座っている。なのに景色は動いている。純粋な目だ。
何もかもが、懐かしくなるのだろうか。
500失くしたらしい。8000円以上だ。痛い。
飛行機。
日本に帰るのだ。
左にはネパール人らしき人、右にはロシア人らしい綺麗な女の人。
飛行機は真新しい。
滑走路には雪が散っている。
どこに行ったって、することは同じだった。呼吸して、食べて、排泄して、寝て、起きる。どこに行ったところで。変わらなかった。
飛行機に積もった雪を落としているのだろうか。大きな機械が翼に何かを吹き付けている。
向こうから近づいて来る国、こちらから近づかなければならない国、その違いは、教育ではないだろうか。
ノルウェーの人は、誰もスーパースターになりたいと思わない。スーパースターになりたいと思って、それらしく振舞えば、一流にはなれないだろう。
7年間、イングリは楽しませてくれた。大切なことだ。
乗り換え。モスクワ。誰も英語を話さないし、英語の表記すらなく、2キロ歩かされるとハラルドから聞いていたので、覚悟していた。
飛行機が着陸し、帽子を探していると、右隣の綺麗なお姉さんが一緒に探してくれた。カトリーナだか、そんな名前の人。ロシア人はみんな英語喋れるわよ、そして優しいのよ。と言われた。今回はたかが乗り換えだが、そのうちロシアには来るだろう。嬉しくなってニコニコしていると、マトリョシカのマグネットをくれた。素敵な青い目だった。
実際、空港は分かりやすかった。
ゲート付近には日本人がたくさんいた。きょろきょろと、幸せそうじゃない顔つきだった。
しかし、日本人だけに限らなかった。欧米人も、無愛想で礼儀を知らない人たちが多い気がした。と、彼はここで自身の不寛容に気が付いた。こうあらなければならない、こうすべき、そういった考えが不寛容を生む。
人間のあるべき姿とはどんなだろう。そんなものあるのだろうか。しかし、挨拶やお礼や詫びがあれば、気持ちが良い。
日本人はみんな、知らない人との挨拶の仕方を忘れてしまったような気がする。知らない人から挨拶をされても、気持ちの良い場合はあるのだろうに。
同胞なら、先輩後輩うんたらで苛めないで、仲良くすれば良いのだ。
子どもにゲームを買ってあげられない程度の貧乏は、むしろ好ましいと思う。ダルそうに偉そうに息子と話す。こんなパパ嫌だなぁ。
野暮。
粋。その文化に帰るのだ。
私は常に見られることになるのだ。測られるのだ。
だが、それにも増して、見ることに集中すれば、見られてることを忘れるだろう。
思うに、見られていることを意識したところで、何ら得をすることはない。知らん。もう。
子どもは、ゲームの画面を見ながら父親だか兄に何やら大声で文句を言っている。父親は、……じゃねーよ。という口調でだるそうに何か言った。子どもにFワード使うようなものか
飛行機は遅れた。たかが30分だが、彼はそわそわと圏外の携帯を何度も眺めた。日本が恋しいのだろうか。
いや、帰るところが恋しいのだ。彼はおそらく日本にいたら、オスロに帰りたいとか、インドに帰りたいとか思うだろう。
動かない景色が耐えられないようだった。
知能とは?
論理と仮説。
滑走路を走る光。長い光から光の玉が生まれる様子。街の光。ゆっくりと光を消されたように、太い雲が街を隠した。
仮説とは、存在しないものを存在するものとしてロジックを進めること。
装飾は、魂を感じさせること。
動く窓は、知らぬ間に我々を何処かへ連れて行ってくれる。
頭が痛いときに飲むコーヒーは不味くても美味しい。
Eternal city never change.
垢の浮いたような白くよごれた海。流氷かな。
ドライアイスの煙のように冷たそうな雲。ロシアと日本の間。
飛行機が間もなく着陸する。
どんな街が待っているのだろう。
そんな不安は、もう感じることはない。
ここは、ロンドンでもオスロでもなく、東京なのだ。厳密には千葉なのだ。
ついた。
もう、飛行機が墜落するんじゃないか怖がることもない。
ごきげんよう、東京。
機内食しか食べていないためか、お腹が痛い。
成田空港。恋人が迎えに。
スターバックスでエアロプレス。
みんな日本語を喋っている。変な感じだ。
家も同様に変な感じだった。白黒のぶちのチワワがぴょこぴょこ跳ねていた。彼はチワワが嫌いだった。檻から出してあそんでいた。飼うからにはしっかり躾をすべきだと思い、すぐ構うのをやめたが、相変わらず妹値は犬を甘やかし続けた。実際、犬は彼女たちになついていた。自分の部屋は散らかっていて、居心地が悪かった。
彼は変わった。確実に変わった。しかし、環境は変わっていなかった。旅に出る前そのままの散らかった部屋。ベッドのシーツさえ、変わっていなかった。多すぎる本、服、がらくた、ごみ、漫画。
全てが煩わしかった。
彼は今や、本も映画も服も酒もコーヒーでさえ、必要最低限以上興味がなかった。
風呂の浴槽に熱い湯をはり、しばらくつかってみたが、鍋いっぱいの芋粥に直面した男同様、喜びは束の間以下だった。
さみしいさみしい言ってたころが懐かしかった。mi manchi tantissimoとか言ってた頃が懐かしい。帰りたい戻りたい、この家はひどくめちゃくちゃだ。しかしそのことに、だれも気付いていなかった。むしろ、今ある状況こそ安らぎといった調子で、状況はどんどん悪い方向へ育っていった。
初めに蒔いた種が、矯正もされず、間引きもされず、育ち放題になっていった。びよびよびよ。
だれも目をかけることもなかった。全てはうまく行くだろう。
そんな楽観主義が、気付かぬうちに雑草にまで栄養を与えていたのである。

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