2016年1月20日水曜日
2016年1月12日火曜日
映画
映画や本を読んだということは、資産なのだろうか。
色々な経験を積んだり、旅に出たり、勉強したり、本を読んだり、チェスをしたり、スタバのメニューを覚えたり、常連の顔と名前を覚えたり、アイフォンのゲームをしたり、資格を取ったり、見たものを写真に撮ったり、みたものを絵に描いたり、頭の中のイメージを何らかの形にしたり、数の子を食ったり、髭を剃ったり、
人間の価値というものは、どんなもんなのだろうか。
興味ナシ
ガイジンのすることは何でも大体許される。
小綺麗な服を着たポニーテールのアラサーが、シャレオツな空気に惹かれて集まって、ガイジンにウインクされる。
ヒガミの込もった大きな目で睨むのが、僕だ。
興味がなければコミュニケーションも無い。
ナンセンス!
コミュニケーションなどは、地下のネットワークによって8割は満たされ、街を歩いた時点でほぼほぼ完結しているのだ。
興味の土壌、水田、栄養の源は、もう雲の中なのだ。
目にしがみつく液晶は、脳を離さない!
そのイメージのパワーたるや!
囲い込みから逃れあるいはあぶれた者はフラストレーションを溜め、泥袋の沼から何を吐き出すのだろうか。
武器も産まれよう、優しさも産まれよう。
忘れられ、見られなくなった者の反逆の声は、不協和音の極みである。
2016年1月5日火曜日
愛のもつれ
ブッダが横になるように寝転んでいる。退屈さと煩悩が彼と私との違いだ。
ふと、耳に小指を突っ込むと、ポロと鼓膜にカスが落ち、当たった。
珍しくイビキをかく彼女。右手を腕まくらにしながら、やはり右手で文字を打つ。
愛は癒しの報酬
と誰が言っただろう。
2016年1月2日土曜日
夜の機械
僕は夜行性で、使っているカメラはフィルム式、Rollei35。
ローライは、露出計もなく、距離計もついていない。
アイフォンやデジカメのようにオートフォーカスも無ければ、明るさの設定も自動ではない。
おまけに僕は夜行性だ。暗くなってから動き始めて、写真を撮る。
昼は仕事をしているか、寝てしまうのだ。
夜は光が少ない。
それゆえか、僕の写真は、動いている写真がほぼ無い。
動く被写体は被写体ではないのだ。
シャッタースピードは1/15や1/30がほとんどだ。1/60は、ハイスピードに感じる。
なぜなら、絞りを絞っているからだ。絞りを絞れば、ピンぼけのリスクは減るのだ。
ゆえに、絞り開放で撮ることは、ほとんど無い。大体が、全てにピントの合った写真となる。
静かで、全体的にピントの合った写真。
構図で攻めるしかない。
何となく、そう思う。
だが、たまには、カラーフィルムを入れて、昼間出歩くこともある。そんな日は大体が朝帰りの朝、帰路。
慣れなのか、朝でも暗さを求めてしまう。
空が白いと、安心しないじゃないか。
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