2016年1月12日火曜日

映画

映画や本を読んだということは、資産なのだろうか。

色々な経験を積んだり、旅に出たり、勉強したり、本を読んだり、チェスをしたり、スタバのメニューを覚えたり、常連の顔と名前を覚えたり、アイフォンのゲームをしたり、資格を取ったり、見たものを写真に撮ったり、みたものを絵に描いたり、頭の中のイメージを何らかの形にしたり、数の子を食ったり、髭を剃ったり、

人間の価値というものは、どんなもんなのだろうか。


興味ナシ

ガイジンのすることは何でも大体許される。

小綺麗な服を着たポニーテールのアラサーが、シャレオツな空気に惹かれて集まって、ガイジンにウインクされる。


ヒガミの込もった大きな目で睨むのが、僕だ。

興味がなければコミュニケーションも無い。
ナンセンス!
コミュニケーションなどは、地下のネットワークによって8割は満たされ、街を歩いた時点でほぼほぼ完結しているのだ。


興味の土壌、水田、栄養の源は、もう雲の中なのだ。

目にしがみつく液晶は、脳を離さない!
そのイメージのパワーたるや!


囲い込みから逃れあるいはあぶれた者はフラストレーションを溜め、泥袋の沼から何を吐き出すのだろうか。

武器も産まれよう、優しさも産まれよう。

忘れられ、見られなくなった者の反逆の声は、不協和音の極みである。



僕らはみんな繋がっているんだ。好むと好まざるに関わらず。コードによって。