2015年12月31日木曜日

Time is to flow

時間の流れ方が違う。

気付いたらこんな時間
本当は気付いてすらいない。
時計がそう言ってるだけだ。

犬が幸せそうにヨーグルトの殻に鼻を突っ込む。それを見てるだけで5分も15分も簡単に過ぎてゆく。
隣の部屋で父が録画した何かを見ている。漏れてくる雑音を聞き飛ばす。

お前はお金の大切さと言うものを分かっていない!お金が泉のように湧いてくると思ってるだろ!

と、怒鳴られたものだ。

今ではきっと時間に対して同じ態度で接しているのだろう。


麻薬常習犯がかろうじて明日の昼間を見るように、
私は、かろうじて明日の夜とその次の朝くらいまでを、朧ながらに見ることが出来る。

変わらないルーティンワークを続けることは、ささやかなお金の泉を存命させるために必要なことだ。

時間を使うとかいうが、
時間は時計のお陰でただそこに在るように見えるだけで、使う対象では無い。
この歳にとって、時間とは何だろう。目には見えない。水のように注がれるものなのか。ニュートリノのように通過するものなのか。

いずれにせよ、ここの流れとあそこの流れは大きく違う。そう感じる。






2015年12月26日土曜日

みんなどこかに行ってしまう。
なんてさみしいんだ、そう考えると。


僕はどこへも行きはしない。行けはしない。行く気もない。ただ、死を待つのである。

行ったこともない街へ。
どこへでも行ける時代に、どこに行けるというのだ!

あれこれと有名になったり、使命をこなしたり、自分を特別にしてゆく。
それはまあ羨ましいことだ。

しかし、勇気とか体力とか落ち着きが、足りない。1週間先がなんとなく見える。

自分の頭が向かうべき方向は何となく感じるが、それはパリではない。



人間、どこかへ行かないとダメなのだろうか。

広角がほしい。

もっと広く、劇的に、立体的に写せるはずだから。
しかし。

自分が離れれば良いではないか!
近くに居ようとしながら劇を見たがるのは、手前の怠慢である。立体感などまやかしだ!

引いて劇を見ろ!
感じるのは、そのまた未来に求めよ!
もっと広くを見ろ!

今ある目を信じよ!
そうだ!



とはいえ、欲しい。
今すぐ欲しいなあ。

2015年11月23日月曜日

とくべつですよ

小さな家の主と、大きな家の家来だったら、前者を選びたい。世間知らずでも小さな家の主は大きな家の家来よりも良いものを食っている。

美人ではないが1番に思ってくれる人と、美人だが自分を数あるセフレ候補の一人程度に思ってる人だったら、やはり前者を大事にしたい。

楽しいおしゃべりや食事、セックスは、確かに必要だが十分ではない。
大切なのは、自分を唯一無二とおもってくれているかである。


自分で自分自身を唯一無二の存在と思うことについて、意義のある人は、よほどの世話焼きか、人権侵害者であろう。





しかしだからといって、唯一無二と特別が全て価値あるものとは限らない。


野の犬の価値の如く。

少なくとも愛がなければ、何一つ産まれない。また、生まれたものは概して、唯一無二である。



個性の有無の判断基準は、価値バイアスに依存する。



2015年11月5日木曜日

有名人

有名になど、なりたくない。
煙に巻くのは疲れるし、奴らが追っかけてきても届かないくらいの体力はない。

見られる悦びには中毒性がある。

そんなものいらない。

分かってくれるであろう人にだけ、語りかけたい。
若いうちは、それでいい。
たとえそのまま死んだって、別にそれで構わない。


2015年10月30日金曜日

仮の死

白いタイルだけを踏んで帰る。
それ以外を踏んだら死ぬのだ、奈落の底。

遊びは、死の定義からはじまるのではなかろうか。
死が仮ならば、生もまた仮だろう。

異空間で別の生を享受する感覚は、クセになる。

そこでは、時間の巻き戻しが可能なのだから。

こういう意味のない遊びをするのは人間くらいだろう。
堕ちたら死ぬなんて状況、そうそうあるものではない。

猫がじゃれるのと違うのだ。



2015年10月28日水曜日

What if

居なくなる

かなしみが待っている。


Maybe today's the day my life turns around.

2015年10月27日火曜日

プレイ

祈りは気休めだが、時には。

どちらを選んでも後悔する。
Yes を選んでも、Noを選んでも、状況は一向に良くはならない。
それは、常に我々が死に向かっているからで。
日々メシを食う事実も、長い目で見れば気休めなのだ。

「いただきます」なんて祈ってみても、所詮は気休めなのだ。それも大事なことなのかもしれぬ。

成り行きを拒否することは出来ないもんか。
惨めにならないように、適度に成り行きで遊ぶ生活は、やはり結果的に、良くなさそうな結果の種を産んでいる。


どうしたものか。
Yesを選べば責任が生じ、
No を選べば後悔が生じる。

責任は小さな後悔の粒を無数に産むだろう。
後悔は大きな1つの罪悪感を産む。

責任には、おそらくやりがいと大きな幸せが待っている。しかし、なんらかの可能性をプチプチと残酷に潰すだろう。

いずれにせよ、今は惨めで、どうにもならない成り行きに任せる他は無い。

男になるか?
少年のままでいるか?

ああ。
どちらも選べない。

責任の伴わないゲームで、ずっと遊んでいたい。
トリッキーな仕掛けに上手く対応し、ハイスコアを決めて、寝て過ごしたい。何も産まなくて良いから。

そんなのは、むなしくなるだけだろうか?
いやあ、分からん。


2015年10月21日水曜日

ちっとも素直じゃない

今後人生で、誰かと真正面から向き合って腹を割って話をすることは、きっと出来ない気がする。

やっていることに、やましさ が多すぎるのだ。

世間に対して感じるやましさとは、これ如何に?

過去に秘密を隠したまま共に生きること。そんなことは、当然ではあるまいか?

純文学の連中を見よ、いかに素直で、真摯に他者と向き合っているか。


目が合わなくたって、それでわかりあえるときだってあるものだ。

あるいは、こんなことはヒヨッコの考えなのだろうか?

秘密を秘密のままに生きていくことは、どことなくハードボイルドが漂う。




2015年10月20日火曜日

Pからはじまる合言葉

pinch.

ピンチとは、確かひっぱるという意味である。
危険を意味したいとき、ピンチだ!と日本ではいう。英語圏でも言うのだろうか?

昨日、キーが変わった。
酔っ払って変えたのだ。
見られた気がして変えたのだ。
そのキーは

Aborthion

無論、意味するところは分かっているが、いかんせんスペルが違う。
Pinchで開かぬうえに、スペルが違っていたのでドアはロックをかけたまま。一瞬ヒヤッとした。朝。
おまけに、アボーションとはさすがに生々しい。嫌な朝だ。

罪の意識を日々感じながら生きるには、僕の体力は少なすぎる。

シニカルに、僕自身をあざわらう鍵をつくった。新しい鍵。

「よしよし」


あたらしいオモチャの
Mamiya c220
とても可愛い。重い。布に包んで持ち歩く必要がある。赤子さながらの重量感。

こういった純粋なオモチャは、脳が無いだけ扱いやすい。

せいぜい長生きしようや。

2015年10月10日土曜日

部屋を汚くしていると、あるとき虫がわく。
自然発生的に見える不可解な現象の背後には、多くの場合、何かしらの原因がある。

人を騙したり、馬鹿にしたり、何か悪さを企んでいると知らぬ間にどこかバランスが崩れたりする。そんなものだろうか。

悪態ついたり、声のトーンが低くなったり、ため息をついたり、眉間にシワが寄ったり、猫背になったり、壁に寄っ掛かるようになったり、そういう癖を日々積み重ねると、腰を悪くしたりするのだろうか。

癖は伝染するのだろうか?

インド人は、屍体に触れない。
屍体に触れるのは不可触民だけだ。
死は伝染するからだ。

最近、まわりにちょっとした不幸が多い。仕事を辞めるとかそういった類の、深刻でたいしたことない程度の不幸。季節の変わり目だからだろうか?

不幸は伝染するのだろうか?

人類の全てが幸せになることは、まず無いだろうが、
人類の全てが不幸になることは、ありえなくはない。

組織は、ラグビーのスクラムと同じだ。
と、島耕作だかその上司だか取引先だかが言っていたが、スクラムから逃れられない状況の時、どうしようか?

弱音を吐かず玉砕が美しいかもしれぬ。


だが、私は美しさなんかより健康を選びたい。少なくとも、自分の部屋くらいは綺麗にしておこう。






2015年9月21日月曜日

おもちゃの自慢

コーヒーをめぐる冒険
地球は女でまわっている
フェイク

を見た。映画だ。どれもこれも邦題はださいが、なかなかに楽しめた。

サマセット・モームを読んだ。
レイモンド・カーヴァーを読んだ。
ポール・オースターを読んだ。
カフカを読んだ。
安部公房を読んだ。

短いものばかりだが、どれもなかなか楽しめた。

ニコンを買った。
ローライを買った。
ニコンを買った。
どれも35ミリだが、なかなかに楽しめた。


コーヒーや煙草が無くても平気になってきた。ストレスフリーの証拠だ。
おもちゃさえあれば、大人の嗜みはいらないのだ。無論、女も。






ローライ35は、ピントさえあえば、とても良い。


次はライカだ。もちろんキューブリックが使ってた渋いやつ。




2015年8月8日土曜日

もてあましてる

もう飽きた。
ここ最近やっていたあそびは、もう飽きた。
そこそこのスリルとロマンスを得たが、熟成に足るものではなかった。

口当たりが丸くなく酸の尖ったものは駄目だ。
頭の悪い師匠の口癖だ。

福島でコーヒーを淹れた。
砂糖を加えたコーヒーは美味かった。



2015年6月24日水曜日

婚約者と影

土曜日の渋谷は少し肌寒かった。
道玄坂にはあぶれた半ズボンの男たちが騒がしく、部屋はどこも満室だった。無愛想なネオンは道行く人に赤いfullの文字を忠告した。

何組ものカップルが服を脱ぐためにうろうろと歩き回っていた。そして、我々もそうだった。

横浜から新橋へ五反田を通過して渋谷へ来たものの、目的には辿り着けそうになかった。

城の門をくぐるとき、女は一瞬覚悟を見せた。
いける。そう思った。
だが満室の看板を見て我に返ったらしい。
はや歩きになって、駅に向かい始めた。
結局無駄なあがきは止めて朝まで散歩した。


恵比寿方面の歩道橋で、時間をつぶした。

彼女には婚約者がいた。
東京へ転勤した際に別れた。
28にもなると本気で結婚を意識し始めるらしい。
私には結婚の気など1%もない。

期限付きの恋ということで話はまとまった。
一夏の恋という日本酒を飲んだ後では、それが妥当な気がした。


たくさん写真を撮った。
決して優れた写真ではないが、
好きな女を撮るのはそれだけで楽しかった。

ダーツをして、別々の家に帰った。









2015年6月20日土曜日

小さなパンドラ

朝起きると、女が泣いていた。
寝ている間に携帯を勝手に見たらしい。

ばかだねまったく。

へらへら笑ってごまかそうとしたが、
幸か不幸か、彼女は決定的な一文を読んだらしかった。
言い訳は無用だった。


さえない一日だった。



浅ましいことに、
共犯者を悪者にする事で応急処置を施した。


「なにかが壊れてしまった。」
寝る前に彼女はそう言った。

箱のなかの希望を信じて、ひとまず眠りについた。
だが、彼女はまた開けるだろう。


それにしても、女の泣き顔は美しい。







2015年6月17日水曜日

キスもさせない

昼まで寝ていた。
二度寝を繰り返して、結局3時過ぎまで寝ていた。
リビングは暗く、犬もいなかった。
冷蔵庫のカレーを温め、チーズをのせて3分もかからずたいらげた。


呼ばれたので、18:30に日比谷線の終点へ。家具屋をいくつかまわった。

やきとりを食べ、ダーツをした。ダーツをおごってくれた。

駅のホームでキスを求める。
失敗。ガキに見られているようだ。



何をしているんだろう、虚しい。
映画を見たい。
いつもの女の家へ。





2015年6月15日月曜日

液体をぶちまける

12時から17時まで珈琲屋でバイト、21時近くまでいた。場所は古本屋街から少し離れたオフィス街。

夜、新宿で飲む。ビール180円24時間営業の店。
アーティストになりたい?
店舗のデザインでもしてみれば?
モッドバーもってくる?
ミルクタップもってくる?
コーヒータップ?

上司に何かしら言われ、それなりに響いたのだろうか?

大衆居酒屋でたくさん飲み、たくさん食べた。3人で3時間くらい居たが、1万円を超えることはなかった。


オーストラリアの旅行から帰ってきた先輩は、私が来たことを快く思っていたのだろうか。



いずれにせよ、
改めて自分は何をしたいのだろう?
アーティストになる?
感性は磨いているのか?

特に何もせず、惰性で働き、適当に女を抱いて、それで満足なのだろうか?


Curtis fullerのタフな低音が、ヤワな精神に何となく響く。


とはいえ、何もやる気がしないのは確かだ。
流れに身を置き、巻き込まれるぐらいが関の山だろう。

言い訳はたくさんある。





女と女と男と男

昨日から仮病を使っていた。
女の家で寝ていた。

仕事に行くと嘘ついて、今度は別の女にあいにいく。雨は降りそうで降らなかった。

城みたいな建物で女と会う。
ろくに会話も交わさず、鍵をしめて、ベッドに寝かせる。3時間余り横になって、部屋を後にする。

一緒に食事でもと思ったが、腹は減っていない。
どこか遊びに行こうかとも思ったが、趣味が違いすぎる。
キンタマは空っぽで生産中止、歩くのもうんざり。
写真を撮るも、恥ずかしいと嫌がる。そしてこれがどうにも絵にならない。

どうしようもない。
次にあう約束もせずに、駅で別れた。


この女は20代後半で、都内で事務仕事をしている。旦那は休日も出勤で、スポーツの観戦を除いて特に何んにも無い。この関係が数年続いているという。

いつも眠そうな口をして、ふわふわと歩く。パッとしない細身の、そんな人間だ。

もう3回くらい会っている。

そもそも、出逢いすら褒められた出逢いではない。結構控えめに言っても。

・・・・

中野の中古カメラ屋に行く。
国分寺までコーヒーを飲みに行く。

国分寺の店でマスターは、
「コーヒーや飯、酒がうまいわけじゃないんだけど行くと落ち着いてつい深呼吸してしまう店。別に誰とも話すわけではないのに、長居してしまう店。俗に言うサードプレイス。
それはどういうお店なんだろう?
最近、東京行って店をまわっても高が知れている。
うまいはうまいけどそれだけで詰まらない。
満たしてくれる店が欲しいし、そうありたい。
そもそも何を満たしているんだろう?」
と語りを始めた。

「驚きが無ければ感動がない」
「スターバックスに見える公共性」
とか、こんなことが思い付いたが、やめた。

いま思えば、
本当の答えは「心とか魂とか、霊感とかそんなもの」なのかもしれない。

瞑想的な雰囲気を、忘れているのかもしれない。

・・・

新宿で、卓球をする。
役者志望の友。卓球は強かった。
黒い長袖のTシャツが汗で白くなった。

何枚か彼を撮ったが、絵になった。



家に帰る。