2016年11月5日土曜日

消費ばかりするようじゃだめです

明日死ぬつもりで生きたら、良い写真が撮れるだろう。

明日の延長に、明後日があり、そのまた延長に来週くらいがある。

私が見えるのは、せいぜい来週くらいまで。


今日を生きたら、明日を生きる。
昨日生きたから、今日も生きる。


お前は素晴らしい。凄い。
お前のことを素晴らしいと思わない奴がいたら、そいつがおかしいんだから、相手にしなくていい。
奴らを圧倒しろ。
ブチ殺せ。

良いじゃダメだ。
素晴らしい!
圧倒的だ!
くらいまでならなきゃだめなんだ。

その通りだ。
コーヒーで言うなら、すべての項目でgood がつくコーヒーは、64点止まりなのだ。スペシャルティじゃない。

全ての項目でexcellentをつけて、ようやく80点だ。
Outstandingがなければ、ぶっ飛んでるとは言わない。


話を戻そう。

明日、死ぬと。
今日撮れるものは、撮っておこう。
これが最後かもしれないのだ。

そのつもりで、日々生きよ。

お前に明日はないかもしれない。




2016年10月23日日曜日

色々なカリフが、色々なことを言う。
真のカリフは私だと言う。
利益や自己の可愛さなどを考えず、つたえればいい。
口やスタイルなどではなく、いわゆる体現という方法で。
続け、続けて、夢を実現させるのが望ましい。
「夢は見ているだけでは、ただの夢だ。」
おそらく、真のカリフは私である。そう確信している。
馬鹿からも学ぶことはできる。私が利口であればいい。
美しいコーヒー、彼等には人格がある。守ってやらなければいけない。
美しく、健気で可愛いコーヒー。我々に元気と生きる希望を与え。寄り添って、大丈夫だと言ってくれるコーヒー。

彼等を守ってやらねばならない。

コミュニケーションツール

お金で人の心は買えないが、僕のつくるものなら人の心を掴める。

コーヒーは最強のコミュニケーションツールだっ。
名古屋の男がそう言った。

コーヒーが世界を広げる。想像すればそこにいる。
代々木の男が言った。

コーヒーがあり、人が集まると空気が澄む。
新宿の男が言った。

取り返しのつかぬことをしないよう、人様に迷惑をかけないよう、
髭を伸ばし、しっかり生きよう。

2016年10月20日木曜日

後戻りできぬ

歯が折れた。
左下の奥歯。親知らずの隣。


歯が折れても、髪の毛が無くなっても、足が折れても、脳が半分無くなっても、中絶をしても、

私は生きていかなくてはいけない。

なぜなら私は、偉大だから。

2016年9月1日木曜日

三鷹

翌日の水出しを仕込むため、東中野へ向かう。

終電を逃し、三鷹へ。
雨の記憶残る道路。肌寒い。

糖を待つ。バーは休み。
もう少し離れたバーへ。

ジントニック。ハイボール。マッドマックス2

影響力
センス
トラウマのように、影を落とす。
それは一生消えることのない、確かな記憶


猫と兄弟と

火曜日。
仕事が終わり、東中野へ向かう。20日焙煎の豆を持ち帰り、27日焙煎と取り替えるために。

先週、店で怖い話をしてから、店に1人でいるのが怖い。

おばけや邪悪なものは本当に怖い。
ジャズヒップホップを大きな音で流しながら、酒を飲む。

東中野に住む友を呼ぶ。
来るそうだ。

終電まで飲むことにした。


50年代のミックスを流しながら、何杯か酒を飲んだ後、友がこの曲はフレッシュな恋愛のしたくなる曲だとか、そんなことを言った。

最近してないな、したいね。とか、そんな相槌を打つ。
最近どうなんだい?彼女とは順調かい?とか、訪ねると、どうも様子がおかしい。


話を端折るが、友は私の関係を持った子と、関係を持ったらしい。数ヶ月に渡って。

友は現在の彼女と別れ、その子と付き合おうか、一時期本気で悩んだらしい。だが、最終的にはその子が1番手になることはなかった。

酔いのせいもあって、私は幾分面白おかしくその事実を捉えた。

ついに兄弟が出来た。こりゃ愉快!
そんな感じだ。



だが、半日経ってみて、少しもやもやしてきた。
私は全く気付かなかった。
私の知らないところでそんなことが繰り広げられていたとは。問題はその女だ。今考えても、なかなかとんでもない奴だ。

友は、このことは絶対に内緒だと念を押した。特に問題はない。

まぁ、今思うことは、大人になると何かしらの秘密を抱えて、知らんぷりするのが上手くなるのかなと。
だんだんと、友だちは歳をとって、秘密を隠すのが上手くなるのかな、と。

誰もが何かしらの隠し事をしている、その可能性がある。と。


大袈裟なことではないが、少しショックだった。傷ついたわけではない。


ところで、店に中学時分の学友が来た。嬉しかった。

2016年8月15日月曜日

Code

断線したコード
Wi-Fiが切れていざ充電しようと繋いでみると、使えない。本当に腹が立つ。一見何も変わらない普通の充電コードなのに、全く機能しない。

こんなコードは、捨てちまった方が良い。

だが、ちょっとグリグリ動かしたりすると、ある角度においてはしっかり充電出来たりする。
これが余計に憎たらしい。

次に使おうとしても、うまくいくときといかない時がある。時間の無駄だ。

物質としては、十分に機能するはずなのに、中が少し切れてしまったがために全てが無駄になる。

電化製品の功罪かな。
机や椅子が壊れたなら、釘を打ち込めば治る場合もある。
木が腐ったなら、諦めがつく。

しかしコードの場合は、一見何の問題もない。その点が本当に憎たらしい。

2016年7月15日金曜日

Every kiss, every hug

You re going to be happy with me 


女性ボーカルのジャズ
名前も歌詞も曖昧な曲
閉店後の店を少し片付けて、ウイスキーを飲む。たばこを吸う。
誰も知らない。誰かが私のことを想っていても、よもやこうしているとはこう思うまい。

店は我が子供。
店と2人。今日もそこそこ頑張ったな、まぁ、お疲れさん。
と、一杯やるわけである。

店はまだ少し散らかっている。
あとでやるさ。

この時間は死んでいる。気付かぬ間に死んでいる。

耽ることもない気だるさよ。

きっと、脳は夢を見ている。


本当の眠りを減らして、なんとなく、夢を見る。意図せず、本意ではなく。


この曲が終わったら帰ろう。
あ、洗い物が終わってなかった。
さてと。どっこらしょっと。

2016年7月12日火曜日

気だるさを楽しむ

さぼうるに行った。
ナポリタンを注文した。
出てくるまでにたばこを2本吸った。
煙が目に入って鬱陶しかったので、右に左に灰皿を動かした。だが、煙はしつこく顔めがけて漂ってきた。どうやら煙は私を求めているらしかった。

たばこを吸うと、頭のあたりがぼーっとした。久しぶりに感じる気だるさだった。気だるさに委ね、気だるさに耽り、気だるさを楽しむために、ここに来たのだなと思った。

やがてナポリタンが来た。
付け合わせのサラダは、ところどころカスのような葉っぱが混じっていて、不十分な水切りのおかげでドレッシングも水っぽかった。粉チーズをかけて片付け、サラダの皿にナポリタンを取り分けて、ひとくちずつ食べた。

定員は相変わらずだるそうな態度で業務を持て余していた。

トイレの手洗い場から汲んだような水を飲んだ。水の塩素割りのような、向上心の無い諦めの味がした。最後にたばこを吸った。





2016年5月21日土曜日

有限なもの

有限なもの

髪の短さ
彼女との関係
腹の満腹感
湯の心地良さ
睡眠時間
プレイリストの残りの曲
ウイスキーのボトルの残り


コスモスはカオスになり、努力次第でコスモを取り戻すものの、結果カオスを免れはせぬ。



2016年5月14日土曜日

泥のような大気


よくわからないけど、とりあえず過ぎてゆくような時間の中で、ぼーっと過ごす。

中身は普通のものが詰まってるのに、自信を纏い、部屋が汚くてもそれを見せないまま。

それなりに顔として機能し、小さな船は、少数の担ぎ手によって、なんとか水面を滑る。

気まぐれに入れ替わる担ぎ手は、いついなくなるとも分からない。

安い磁石のような引力は、いつか衰え、廃らないとも限らない。


蜂蜜、砂糖、シナモン、メープル、ミルクを同時に手懐けるのは、真摯さを欠いた行為と言わざるをえない。

What if?
So what?




2016年3月10日木曜日

サークル

今日が毎日続けばいいのに

と思った。

特別嬉しいことがあったわけではない。むしろ味気ない1日だった。

しかし、不思議と素敵な1日だった。
1日の終わりに、暗く静かなところで酒を飲んだからだろうか。

とても素敵な1日だった。


2016年2月19日金曜日

カレーと麦茶

毎日カレーを食べたい。
自分で淹れた香ばしい麦茶も。

カレーと麦茶とWi-FiとDVDレコーダーとTSUTAYA、冷暖房と洗濯機とシャワーとトイレ、耳かき。浅煎りのコーヒー豆とモノクロフィルム。

これさえあればもう何も要らない気がする。2ヶ月くらいニートをしたい、

活躍なんてまっぴらだ。
イモムシのように這い蹲って、眠そうな目で厭世観に耽りたい。

活躍するメリットは何だ?
経験?
馬鹿言っちゃいけない、
クリエイティビティのダダ漏れが、僕に何のメリットをもたらすんだい?



何を目指すにも、やはり意義は要る。
意義なくして生きることも可能だが、どこか味気ない。

2016年2月17日水曜日

妥協する意義

フィルムで撮ることに大切な意義があったとして、デジタルで撮ることには意味が無かったりする構造は、

描くことに意義があるのに、フィルムで撮って済ませたりする構造に似ていたりする。

私がこだわっているフィルムという手段は、所詮懐古主義以上の何ものでも無いのかもしれない。

撮ることの意義は、目を向けることの意義になり、目を向けることの意義は、考えることの意義になったりして

考えることの意義は、より善く生きるための意義だったりするのかもしれない。

より善く生きることは、報いや救いに繋がっていそうで

それらは原罪に基づいたりしていて、原罪は実はフィクションだと思う。

そのフィクションは砂漠で生きるための処世術に過ぎず、結局のところ、弱者がいかにして遺伝子を残すかという、知恵の一つのかたちだったりするのかもしれない。

それらは特定の条件の下、普遍性を帯びるため、なにも常に腹を見せる必要は無いのである。

先人の教えには、半信半疑の距離感が丁度良い。

まぁ、そうやって、意義は妥協し、文化の上流と下流が曖昧に揺らいで、価値が妥協されるのである。






さて、話を戻すと
フィルムの意義は存在するのだろうか?
さらに言えば、写真の意義は?
芸術の意義は?
イメージの意義は?


遡れば、
答えは、生きることでは無いだろうか。

永遠に生きるための処世術。



2016年2月16日火曜日

何を見るか

人間は己が見たいと欲するものしか見ない。

私が見たいと欲するものは、誰も見ないもの。
そこにはアトラスの魂が眠っている。
そしてきっと、救いが潜んでいる。
そう信じている。

書くことは自己療養の試みのひとつだが、見ることもおそらくそのひとつたろう。そしてつくることも。

そう信じている。

試みに対して真摯な態度を取るなら、それをやっている間は、、おや、消えてしまった。


2016年1月20日水曜日

2016年1月12日火曜日

映画

映画や本を読んだということは、資産なのだろうか。

色々な経験を積んだり、旅に出たり、勉強したり、本を読んだり、チェスをしたり、スタバのメニューを覚えたり、常連の顔と名前を覚えたり、アイフォンのゲームをしたり、資格を取ったり、見たものを写真に撮ったり、みたものを絵に描いたり、頭の中のイメージを何らかの形にしたり、数の子を食ったり、髭を剃ったり、

人間の価値というものは、どんなもんなのだろうか。


興味ナシ

ガイジンのすることは何でも大体許される。

小綺麗な服を着たポニーテールのアラサーが、シャレオツな空気に惹かれて集まって、ガイジンにウインクされる。


ヒガミの込もった大きな目で睨むのが、僕だ。

興味がなければコミュニケーションも無い。
ナンセンス!
コミュニケーションなどは、地下のネットワークによって8割は満たされ、街を歩いた時点でほぼほぼ完結しているのだ。


興味の土壌、水田、栄養の源は、もう雲の中なのだ。

目にしがみつく液晶は、脳を離さない!
そのイメージのパワーたるや!


囲い込みから逃れあるいはあぶれた者はフラストレーションを溜め、泥袋の沼から何を吐き出すのだろうか。

武器も産まれよう、優しさも産まれよう。

忘れられ、見られなくなった者の反逆の声は、不協和音の極みである。



僕らはみんな繋がっているんだ。好むと好まざるに関わらず。コードによって。

2016年1月5日火曜日

愛のもつれ

ブッダが横になるように寝転んでいる。退屈さと煩悩が彼と私との違いだ。
ふと、耳に小指を突っ込むと、ポロと鼓膜にカスが落ち、当たった。


珍しくイビキをかく彼女。右手を腕まくらにしながら、やはり右手で文字を打つ。

愛は癒しの報酬

と誰が言っただろう。


可愛い娘よ


そのくせっ毛が愛おしいのだ。

2016年1月2日土曜日

暦が変わったぐらいで、何かが終わったと本当に思えるのだとしたら、そりゃなんて豊かな感受性なのかしら



あの壁は、きっと今日も明日もずっとそのまんま。

生きたまま、冷たい夜風や蒸せ返るほどの熱気に曝される植物なら、ともかくだ。
とにかく、野暮なことは言いっこなしさ。

夜の機械

僕は夜行性で、使っているカメラはフィルム式、Rollei35。

ローライは、露出計もなく、距離計もついていない。
アイフォンやデジカメのようにオートフォーカスも無ければ、明るさの設定も自動ではない。

おまけに僕は夜行性だ。暗くなってから動き始めて、写真を撮る。

昼は仕事をしているか、寝てしまうのだ。

夜は光が少ない。



それゆえか、僕の写真は、動いている写真がほぼ無い。

動く被写体は被写体ではないのだ。
シャッタースピードは1/15や1/30がほとんどだ。1/60は、ハイスピードに感じる。

なぜなら、絞りを絞っているからだ。絞りを絞れば、ピンぼけのリスクは減るのだ。



ゆえに、絞り開放で撮ることは、ほとんど無い。大体が、全てにピントの合った写真となる。



静かで、全体的にピントの合った写真。

構図で攻めるしかない。

何となく、そう思う。



だが、たまには、カラーフィルムを入れて、昼間出歩くこともある。そんな日は大体が朝帰りの朝、帰路。

慣れなのか、朝でも暗さを求めてしまう。


空が白いと、安心しないじゃないか。