2014年1月31日金曜日

105. オスロへ

105. オスロへ
リシュケシュのボンバスティックおじさんを思い出した。彼は、フランス人の女性から写真付きの手紙を持っていた。宝物だ、という風に見せびらかしてきた。我々は彼の歌、彼の振る舞いの滑稽さに笑った。ミスタろばろば、ミスタろばろば、ファンタスティック、ビカムボンバスティック、ミスタろばろば、ミスタろばろば。。
ワークショップ、
エチオピア、シルキー、ミルク、ダークチェリー、すごい。
移動。ただ移動すること。止まっては移動すること。移動し続けること。知らない場所へ。自分の領域の範囲外へ、移動すること。
旅の意義は移動することにある。すなわち、移動することは旅そのものなのだ。感動や、ひらめき、出会いは副産物に過ぎない。移動とは、動くことで移り変わること。
では、通勤も旅と言えるか?
おそらくは、通勤も旅と言える。だが、副産物は減る。何度も何度も同じ道を往復すると、何も感じなくなる。草だらけの草原を何度も往復していると次第に道が出来るように、往復に往復を重ねると、ある種のストレス脳内物質が生み出されることはなくなる。ストレス脳内物質が無いと、報酬脳内物質もない。
いや、まて、旅とは、移動を通じてストレスに対処し、報酬脳内物質を得ることなのではないだろうか?
あるいは、初めての経験は全て旅なのでは?
要するに、変わり続けることこそ旅なのだ。脳内の物質はやはり副産物だ。旅は状態である。愛や睡眠に意味がないのと同様、旅にも意味はない。一方通行だが、一辺倒ではない。変わりたい、変わりたくない、旅をしたい、旅をしたくない、好むと好まざるとは関係なく、全て旅だ。
アクセル、ギア、ブレーキ、たまにサイドブレーキ。自分の肉体を守りながら、移動するのだ。
そういえば、別れの挨拶をしなかった。不在に驚くだろうか。多少は。おそらく。
あるものが無いと、驚くのだ。イナイイナイ。バア。無いと不安。あったことに気付いて安心。あるのかないのか分からない不安が解消された途端、喜びの脳内物質が報酬される。快。遊びを通じて、快を学習してゆく。
Be動詞。基本。存在と不在。あるとない。肯定と否定。
飛行機。東へ向かった。ぐんぐん夜になる。倍の速度で夕焼け。夜。
エアロプレス。
恥ずかしい。アジア人は彼だけ。
豆を挽く。とても良い匂い。お湯を貰う。ぬるい。思ったより簡単にお湯をくれた。21日、昨日の焙煎だ。ぬるいこともあって、味は出切らなかった。か弱い味。麦茶のよう。席は13のF。fuck 13というところか。
ミッキーマウス
ドッキリgags
トム&ジェリー
オスロは雪が降っていた。羽毛のような柔らかそうなおおつぶの雪がふわふわ降りてきた。
さながら天使の羽のようだった。子どもが気まぐれに木の実を摘み落として遊ぶように、冷たい空気に踊りながらぽろぽろやってきた。飛行機の翼に落ちると、え、もう終わり?といった具合にしばらくふてくされながら左翼の上で転がってだだをこねた。
オスロの人は、フレンドリーで優しい。
iの家。
iの彼氏。ミートボールうむい。魚もうまい。

100%。効いた!
ゆらゆら

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