2014年1月15日水曜日

96. ミラノ

96. ミラノ
うんこにかび
猫の挨拶ようにチャーオチャーオ言い合うおばさんたちが可愛らしい。
私は人のことを簡単に好きになるのかもしれない。しかし、一度好きになったひとを、再び(?)嫌いになることは苦手である。
人を好きになったまま嫌いになることは可能なのか。それに執着と嫌悪を同時に感じること。
可能性を感じるのか、不可能生を感じるのか。貴女は常に誰かの所有物でなければいけないのか。
投げやりなハーモニカの音楽が、暴力的に情緒を演出する。
何となくそうではないかと思っていたが、やはりハリボテだった。ハリボテにもそれなりの効果があるというものだ。しかし。落ち着かない。
生き霊とは酷い言い草だ。再び死について考える。彼女はよく死をチラつかせた。死は極端な真空状態である。自らの引力ではなく、真空状態によって彼を引きつけようとしたのだ。
苦しい。苦しいが、取り敢えずゴールまでは辿り着かなくては。
敏感だとか、影響受けるだとか、作用するだとか、私の身体はどうなってるというのだ!どうだっていい!
考えるのが面倒だ。代わりに金を払う。
彼は、誰かでありたいと欲すると同時に誰でもなくありたいと欲する。結局のところ、彼は彼であり、私は私だ。
犬に対しては責任を負う必要がある。去勢をしない限り、猫に対しては、責任を負う必要はない。いや、そもそも首輪をしない限り犬さえも責任など負う必要はないのかもしれない。
首輪をしたら最後、我々は餌としつけと散歩の義務を負う。
黒いお腹。言い当てられたような気まずさと、侮辱された怒りのような感情が湧いた。自分の母を生ごみ呼ばわりされるような屈辱。
悲しくなった。
「太陽みたいな人になりたかったのに」
アレッサンドロは、恋人をまだら愛している。捨てられた犬はなんとも惨めなものだ。
エミリオは200ユーロを持って、デパートで新しい携帯を手に入れた。サムソンのスマホだ。iPhoneはその二倍か三倍の値段がした。エミリオは、ゲームが好きだ。
アレッサンドロは、デパートとか、家電量販店とか、イタリアと日本は同じか、と尋ねた。そうだ、と彼は応えた。
アレッサンドロはインドは50年前のイタリアそっくりだと言う。パッションが溢れんばかり、物が、可能性が、やるべきことがたくさん転がっている。

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