2014年1月10日金曜日

91. ウィーン

91. ウィーン
ヨーロッパへ来てから、鏡を見ることが多くなった気がする。退屈なのだ。
ピュアに私だけの世界というのは、存在しない。なぜならば、私がつくりあげた世界というものは、私が見てきた世界、経験してきた世界を材料としているからだ。
遅くに目が覚めた彼は、ミラノまでのバスチケットを買いに駅までいった。
やたらと人恋しく感じていた彼だったが、目をつぶって落ち着きを取り戻そうと努めたため、いくぶんましになった。
両手を突っ込むポケットの中は空っぽであるべきだ。何も期待しないのと、悪い期待をすることは違うのだ。彼は何も期待しないと言いながら、実際のところ悪い期待をしていたのだった。
美しい女と美しい男から産まれた子が、美しくないわけがないのだ。
チケットを買って、国立美術館へ向かった。
生活が苦しいとき、人はデフォルメを好む。デフォルメされた世界を好む。同時に現世がデフォルメされることを願う。
飢えた人間にとって、完成された像は、それが存在するだけで自分の存在を脅かしかねない。
存在感の強すぎる像は、自分の存在よりも本物に見えるのだ。だから、記号としての神の像をこのむ。あちら側の世界。
逆に、生活が豊かなとき、人は写実的なものを好む。豊かさを何度も再確認するため。
また、満たされて満たされすぎたが故に何をしても満足出来ない、物足りない世界をもっと鮮やかにしようとするために。見ているつもりが見過ごしている細部の確認にかかる。
商品価値を失った。否、商品価値を得ることを拒否した。
彼は1時間足らずで美術館を後にした。気に入らなかったからではない。むしろ美術館は美術館として一流のものだった。あまりに完璧な美術品を目にして、脈絡の完全性に嘘っぽさを感じてしまったのだ。それに、一日で消化するには多すぎた。
彼はふと通りがかったラーメン屋でラーメンを注文し、腹ごしらえをした。注文したラーメンの代わりにフォーが来たが、箸を突っ込んでしまってから気付いたため、そのまま平らげて、テーブルにコインを積んで店を後にした。
隣のカフェでポピーシードのケーキとホットチョコレートを頼み、17時ころまで席に座ってウェイトレスのお尻や爺さんのコーヒーを平らげるまでをぼんやり眺めたりした。
宿でトマトソースとナスのパスタをつくった。人懐こいオーストラリア人と話をしながら飯を食べた。
その後は、彼が行きたいというカフェまで歩いた。頭の中で流れるエゴラッピンのメロディが、そのまま唇をついて現れた。

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