2013年12月31日火曜日

70. リシュケシュ

70. リシュケシュ
6時にファビオに起こされ、ヨガへ。
昨日はリキシャをシェアしたギリシャ人のマリアンヌについてゆきアシュラムへ。そこでファビオというブラジル人を紹介してもらい、部屋をシェアした。

ヨガは、意図的に呼吸を激しくする。面白い。
トルコ
アンディアノポリ
渇望する。
目を閉じる。
私は想像でそれを満たすことが出来る。物質的に満たされることはないが、精神的には満たされる。そうしているうちに、渇望は何処かへ消えている。
再び私は冷静さを取り戻す。何が本当に足りないのか。何も足りていなくはない。満タンではないが、エンプティではない。本当にいよいよ足りなくなったら、必要な時だけ、満たせば良い。
目を開ければ、再び他者としての世界が広がる。目を開けている以上拒むことは出来ないこの光景。
誘惑に満ちている。例えば、食べ物の誘惑。お腹が空いているわけではないのに、新しいものを見ると、ふと、食べたくなる。
屋台に積まれたサモサや、色とりどりのフルーツ、お利口に並ぶコーラとマウンテンデュー。
無意識に、あ、いいかも。と思ってしまう。かつて、それを食べた時の経験が快感物質を思い出させ、「手にとって見ますか?」というウィンドウが表示される。「いいえ」をクリックし、目を別の対象に移すと、そこにも誘惑がある。目に映るもの全てが、何らかのスティミュレーションを生じさせる。焦点がゴミに行けば、汚いという反応。焦点が犬に行けば、可愛いという反応。
見ることに中毒なのだろう。
街に出れば、尚更だ。
嫌悪があれば、快楽あり。快楽あれば、違った快楽。眠くなるまで、続く。
恋人に宝石を買うつもりが、宝石に取り憑かれてしまう。世界は面白いものに満ちていて、本物を探せど、複雑さの快楽への虜になってしまう。まさしく本物、というものはありはしない。これぞまさしく本物の犬、という犬がいるだろうか?自分が打ちたてた本物は、所詮イメージ。想像の産物である。挙句、その想像は、私の過去の経験に依存する。
犬カタログを見ればそれだし、祖父の家の優しい犬との楽しい記憶があれば、それが理想の姿になる。何を重点に置くか。それすら、その人の過去の快・不快の経験による。
そして、その経験の多くは、快・不快に危機感を抱かない社会が育てる。快楽主義の社会が育てれば、快楽主義の子供が育つのだ。
寄り道に寄り道を重ね、いつしか寄り道が目的になり、そもそもの目的地を忘れてしまう。何処にも行けないどころか、ここが何処かすら分からなくなってしまう。
そうこうしているうちに新しい誘惑。逃すことは出来ない。それは負けを意味する。
よく分からないが。何らかの理由で。
そうして、私の意志とは無関係に、私は何処かにたどり着いている。
音楽が流れたら、踊るしかない。ご馳走が差し出されたら、食べるしかない。運命として受け入れ、経験として割り切り、不条理に従う。皆が苦しむ。ある頭の良い人は、その苦しみの原因を発見する。不条理だ。
さて、ではどうしようか。どうすることも出来ない。不条理なのだから。ああ、絶望だ。
絶望が何を生むか、ご存知だろう。笑い、狂気、夢。楽園を夢見て、妄想に取り憑かれ、笑いに変えたところで、やはり腹は減るし、眠くなるし、勃起する。
何も変えることが出来ない。
そして、意に反して全ては変わって行く。
そして眠りから目が覚めると、喜びの認識、苦しみの認識が再び自動再生される。
対象と距離が保たれて初めて、対象の意味づけが可能になる。対象が近すぎると、何が何だか分からない。認識することは不可能。何かを知覚してはいるが、よく分からないなにかとしか認識することは出来ない。
近づいてくるもの、今ここにあるもの、遠のいて行くもの。認識不可能な今を観察することはほぼ不可能で、
誰もが意味の無いものを詰め込み、他者に意味付けを求めている。
無作為に出会った経験の集合に意味付けの余地は無い。解釈の余地はある。だが、徹底的に解釈が施されたとしても、結局は文字通りの無意味に帰結する。徒労だ。人生とは徒労の連続だとしよう。
私が今、見ているもの、感じているもの、歩いているという事実。文字を打って居ること。徒労に過ぎない。答えの出てない途中式を見たところで、他者からの解釈は得られない。原因と結果が結ばれて、初めて「価値あるもの」として他者に認識される可能性が生まれるのだ。
隠すべきものを隠すのが文明なのかもしれない。
AIRBNB
Arabama shake
カウチサーフィン
ヨガが終わって、ネットカフェで中国人を待ち、彼等のゲストハウスまで歩いた。その間、バナナを日本とクッキーを一袋半平らげた。彼等と観光でもしようと思ったが、祖母が危篤だかなんだかで、彼等は帰ってしまった。取り残された私は、青緑色の美しいガンジス川のふちで長々しい日記を書いていた。
昼飯にチャイニーズヌードルを食べた。しょっぱすぎたので、水をかけた。ラーメンのようになった。それでも汁は塩っぱかった。
アシュラムの食堂でも何かしらつまみ、部屋に戻ったが鍵はしまっていた。
ファビオがきた。
部屋が開いた。
部屋で紅茶とチョコレートを楽しんでいると、カナダ人のジェフが来て、加わった。一時間ほどくつろぎ、カナダ人の女の子をヨガまで案内した。30分ほど歩いた。ギリシャ人の女の子も途中合流した。
で、ファビオとカフェでチャイ。二時間ほどWi-Fiして、ファビオと別れ、ぶらぶらしていた。モモを食べた。
すると、再びファビオに会った。彼はアシュラムの仲間を連れていた。合計18人で、ディナーを楽しみ、その後もお茶をした。
寒かったが、とても居心地の良いテントだ。温かいジンジャーハニーレモンがしみた。
ブラジル、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、チェコ、アルジェリア、日本。たくさんの国籍だ。

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