2013年12月31日火曜日

76. イスタンブール

76. イスタンブール
ガラタ塔、バザール
バルック・チャルシュス魚市場
朝7時に起きる。少し寒い。起きて、散歩に出かける。昨日見た美味しい総菜屋はまだ閉まっていた。
小綺麗な格好をした通勤中の人々が、足早に歩いていた。口元は硬く、寒さに耐えている様子だ。何かを緩く決心した人の表情にも見えた。
何れにせよ、何らかの権利と引き換えに義務を果たすべく、石畳みの上を歩いていた。心なしか、権利の方が少なそうだ。
私は、なにやらでっかいモスクを一つ、二つと通り過ぎ、海へ出た。長い坂を下り、海へ。心は踊った。太陽はまだ低かった。オーブントースターのスイッチを入れたばかり。弱々しいオレンジ色の暖かい光が、街の路地から漏れはじめる時刻。
海。
綺麗だった。水面に反射した光。波にきらきらと反射する太陽の寝ぼけた自己主張。日の出の太陽は、いつも大きい。海の深淵青とのコントラスト、太陽は眩しく、火傷しそうな小さなロウソクの光のようだった。小さな豆電球を直視するような感覚で水面の反射を見つめた。海沿いは静かで、ジョギングのおじさんが1人いるだけだった。岩が敷きつめられた海岸。50センチほどのコンクリートに沿って歩いた。
しばらくすると、猫がいた。小さな猫だ。人懐こい猫。足にすり寄ってきた。寒いのだろうか。恋人に送るためにパシャパシャと写真を撮った。すると、どこからか、仔猫が湧いて出てきた。どうやら、仔猫シーズンのようだ。
帰り道、モスクに人がたかっていた。
聞けば、間も無く開館だという。昼間は混むだろうと算段を立て、せっかくなので入って見た。太い大理石の柱に支えられたドーム上の天井は迫力があった。
だが、なんとなく物足りなさを感じた。ムガル帝国の時代のモスクに比べると、豪華さに欠ける気がした。ケバケバしさを覚えるほど色を多用したインドのそれに比べると、色あせて見えた。
彼らの図々しい主観によって描かれた堂々とした世界観が恋しくなった。自己主張の強すぎるインドに対して、トルコの奥ゆかしさにさみしさを感じた。
宿に戻り、朝食を食べた。オリーブが2種類2粒づつ、バター、ラズベリーのジャム、グレーのパン2切れ、ゆで卵、ハム2枚、チーズ二枚、パウンドケーキ、紅茶もついていた 。紅茶は、赤みがかった琥珀色で、ミルクは入っていない。それなのに、こちらの人は、これをチャイと呼んでいる。角砂糖をひとつ落とすと、渋みがかったあんずのような味わいになる。底がまるーんとしたガラス製の不思議な容器でいただく。
まちはオーシャンズに出てきそうな品の良いおじさんが多い。聞けば、世界一高齢化が進んでいる国だそうだ。
活気がない。さみしい。
あまりフレンドリーではなく、人生にどことなく諦めを感じている風に見える。神が支配する世界の一駒に過ぎないと自覚しているかのような謙虚な個人主義が伺える。
朝食後は、部屋の日本人Rと一緒に観光に出かけた。自分から積極的に自己開示をしないタイプの人で、27歳、とあるベンチャーの海外研修という名目で来ているらしい。上手く口ごもるタイプの頭の良い人間といった感じだ。やり手って感じ。
4駅分くらい歩いた。橋を超えた。橋では、たくさんの人が、立派な釣竿で小さな魚を釣っていた。チャイ売りも、独特の文句でチャイチャイチャイチャイチャイと、甘くないトルコ風のチャイを釣り人に歩き売りしていた。
魚市場を探した。地球の歩き方の地図を頼りに探したのだが、1時間ほど迷った。結局、地図の示す反対側に市場はあった。30mほどの小さな市場だったが、活気はあった。さばとたらのソテーにサラダ、名物のバケットとビールを飲んだ。二人で6000リラ、1500円だった。席はほとんど現地のジーサンばかりだ。手をべたべたにしながら食べていた。
そのあとは、ガラタ塔に行った。
9ユーロかかった。高すぎる。
ジェノヴァの商人が防衛上の理由から建てたとされるこの灯台から、街を見下ろした。赤いレンガの屋根が一望できた。奥の方は霧がかかってくっきり見えなかった。最上階は、カフェになっていた。パリッとした服を着た太っちょな初老のマネジャーがデンとフロアに立っていた。
ランドマークにしては、大したことなかった。金持ちのナイーブそうな観光客がたくさんいて、虚しくなった。
ガラタ塔を後にして、グランドバザールに向かった。路面電車は混んでいた。通勤客だろうか。皆くたびれた見えた。電車は、どこからどこまででも3リラだ。人が邪魔して、しばし停車することもある。5分に一本ぐらいの頻度で走っている。便利だ。
グランドバザールは、とても巨大だった。石造りの商店街といったところだろうか、アーチの連続の天井に、土産屋が所狭しと並んでいた。アメ横を5、6倍大きくした感じだ。観光客やトルコ人ですごく賑わっていた。ガラクタだけではなく、靴や服も売っている。
しばらく歩くと、一瞬周囲が静まり返った。そしてどよめいた。
停電だ。
グランドバザールの中は、真っ暗になった。石造りのため、ほぼ全く光が入らないのだ。ちょっとした洞窟のようだ。わずかな光を頼りに、構わず歩き続けていると、店はろうそくを焚き始めた。日常茶飯事なのだろうか。
ろうそくの光にぼんやり浮かぶガラクタは、よりいっそう私の興味を引いた。子供の頃、停電が起こると少し嬉しくてそわそわと落ち着きがなくなったものだ。異国の地で、訳の分からないガラクタに囲まれて停電だ。楽しくなってきた。
トルコ人の間抜けな顔。鷲鼻で、眉毛が長くて太くて垂れていて、長いまつ毛。おちょぼ口で、みんな何故か短髪だ。若ハゲしそうな弱々しい顔だ。エロさというより、いやらしい顔をしている。悪口ではなく、皆いけてない風に見える。
楽しくなった私は、ガラクタを一つ買ってしまった。真鍮性のコーヒーミルだ。店のトルコ人は、ブロンズというけど、明らかに真鍮だ。興味のなさそうのふりをして、内部を見てみた。弾き目も調節できるし、悪くなさそうだ。重いけど。
値切りに関しては、東南アジア、インドと変わらなかった。35リラの言い値だったので、23リラまで値切って購入した。細かい金が無かったので、それが限界だった。20リラまで値切れただろうが、Rのいる手前、手を打った。
宿に戻った。6時ぐらいだろうか。辺りはもうほとんど暗くなっていた。
近くの食堂で、Rとクリスマスディナーを楽しんだ。クリスマスイブに男二人、風情も糞もない大衆食堂風のレストランで、1人1500円のディナーをした。
店先に並ぶ煮込みの中から、いくつか選んで食べる。煮込みは緑黄色野菜がたっぷり。人参も甘かった。ナスも美味しい。マッシュルームがごろごろ入った煮込みも食した。ビールは、紙コップで出てきた。
Rと何やら色々と臭いことを話した。人生のこと、身の上話。彼が高校1年の頃一年付き合った彼女と別れていなかったら。彼が一卵性双生児の弟だということ。四人兄弟の末っ子ということ。双子の兄が、その高校時代の元カノと十年付き合い、結婚して地元金沢に一軒家を建てたということ。 もし、そこで別の選択をしていたら、自分がそういう境遇を選ぶ可能性があったということ。末っ子は、年上に対しては可愛がられる術を知っているということ。それに伴い人間関係もとある傾向があるということ。彼は自ら自己主張するタイプの人間ではないが、頭が良く、話していてとても楽しかった。
ご飯は食べきれず、持ち帰った。
ライスが妙に油こかった。
宿に戻り、カウチサーフィンで何通かメッセージを送ってみた。返事は来ない。
10時過ぎに寝た。

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