2013年11月29日金曜日

9. チェンコーン

9日目 チェンマイ、チェンコーン
朝8時に起きた。雨はなかなか本降りだった。何度かベッドでまどろみ、カフェへ。

昨日あまり眠れなかったためか、身体が硬い。冷房が効きすぎていて、寒かった。隣のアメリカ人は、寝言で聖書の一説らしき文句を早口でぼそぼそとぼやいていた。

カフェのスタッフは、今日もフレンドリー。アメリカーノ、フラットホワイトを飲み、ピースを一本。写真を撮り、さよならをした。c u next year.
隣の食堂で、パッタイをたべた。ナンプラーだろうか、醤油風の味付けで、えび、卵、もやし、細かく切ったニラ、たまねぎ、にんじん、が入っている焼きそばだ。35bとても美味いのにコーヒーより安い。

バスが迎えにきた。席に歳を食った外人。あまり愛想が良くない。年寄り特有の気難しさが蒸し暑い車内の空気と交じって嫌な感じだ。
このバスで、タイとラオスの国境チャンコーンまで行き、ボートでラオスのルアンプラバンまで下る。

車内は蒸し暑いが、1番後ろの二人がけの席を広々と陣取っているため、思いのほか快適だ。

それにしても暑い。窓を開けてくれないだろうか。

悲しみの風はうしろから吹いてくる。立ち止まろうものなら、私の火は消えてしまう。


日本は、四季による寒暖が著しいため、貯蓄するということが、国民性に染み付いている。
一方、チェンマイは、年間を通じてほぼ夏である。樹々は思い切り羽根を伸ばし、人々は、植物や果実、穀物の勤勉さを享受する。

余程のことがない限り、ジャングルで餓死することは、まずないだろう。

チャンコーンに着くと、バスの運転手は国境付近まで連れてってくれるという。是非にと頼み、ボートのことを尋ねると、ボートは明日だという。

私はチャンコーンに一泊する羽目になった。ボートの予約を取ると、ラオスよりチェンコーンに泊まった方が得だというので、ゲストハウスを紹介してもらった。200B安くない。

ここはさみしい町だ。人が住んで、少しのホテルがあって、小さな食堂があって、駄菓子屋の様な小さな売店がある。
チェンマイとは違う。まーず何もない。セブンイレブンを一つ見つけた。食堂のおばちゃんは、いい人だった。食材に10匹の大きなハエがたかっているのを見ると大丈夫かなぁと思ったが、出てきた料理は熱々だったから、問題ないだろう。
丸太をまな板代わりに使い、ナタのような形の包丁で、にんじんを切る。油をしいた大きめのフライパンにチキンを放り投げ、1.2分炒め、といた卵を入れる。卵が固まるや否や、米で出来たきしめんの様な麺を入れ、醤油やら砂糖、ケチャップやらを入れ、先ほど切っておいた野菜を入れる。

焦げめがつかないまでもよく炒めてあって美味しい。
おばさんはYouTubeで上を向いて歩こうを流してくれた

携帯を開き、SNSをチェックする。日本は変わらない。

異国の地にいるのに、日本の情勢が手に取るように分かってしまう。あまりいい気分ではない。

日本の友達にWi-Fiで電話をし、バーを探す。本当に何もない。食堂のおばちゃんに聞くと、500メートルも行けば、バーがあるという。ビリヤードでもやれという。
おばちゃんは親切にも自転車を貸してくれ、私はバーに向かった。
道のアスファルトは不揃いな小石を散らばした様にがたがたで、500メートルは少し骨が折れた。

バーはあるにはあったが、太った外人がビリヤードをしてタイ人と盛り上がってた。ゲイかなと思い、入るのをやめた。

セブンイレブンで炭酸水とチュッパチャプスを買い、表に体重計があったので1B入れて乗ってみた。71.6だ。変わらない。服を着てることを考えると、70kぴったりぐらいだろうか。

大人しくゲストハウスに戻ろうとしていたら、小道を見つけた。少し先が明るい。バーがあるかもしれない。

バーはあった。
外人がたむろして、ヒップホップを流して踊っている。3時間ほど時間を潰した。アブサンを飲んだ。たいしたことない。

0 件のコメント:

コメントを投稿