2013年11月29日金曜日

2. チェンマイ

チェンマイは、仏教の都市である。王は風水に基づく正方形の運河をつくり、商業を活性化させた。気候は年間を通じて雨期と乾期に分かれ、農業も盛んである。人々は豊かな暮らしをし、仕事の後は仏を祭り、祈り、そして眠った。
農耕民族は手先が器用である。身近に溢れる木や石を、彫刻や編み物、クラフトツールに変えてしまう。そこに在った物神から与えられた物に、「命」つまり「役割」を吹き込む。
ストゥーパで知られる寺院も、ハンドクラフトに満ちている。あらゆる壁には彫刻が彫られ、輪郭は曲線の連続。背景もパターンに満ちたアラベスクの様なつくり。線は途切れることなく、延々と続きそうな自然な規則性がはめこまれている。モチーフは、木や草、花や茎と、自然への賛美と畏怖が感じられる。というのも、アラベスクは森の植物が奏でるパターンの模倣なのである。

彫刻は実に見事である。たくさんの人々が芸術に従事したためか、ちょっとした物でも、総じてクオリティが高い。
思うに、この地域は大地が肥沃なため、少し働けば特に問題無く生きていける。放っておいても米は育ち、魚は増え、果物は熟れる。そのため、空いた時間を見つけては、人々は屋根の下で手を動かし、文化活動に勤しんだのではないだろうか。同時に、仏教という哲学的教義が中心にあるためか、人々は真理・普遍的なものに関心が強く、勉強熱心である。

彫刻は、木や石などの塊の中から対象を掘り起こす作業である。元々、木の中に眠っているイメージの輪郭に沿って刃をなぞるだけである。アニミズムは、全てのものに魂が宿るという考え方だが、彫刻にぴったりあてはまる。木には精霊が宿る。だが、精霊の姿はおがくずとなるべく邪魔な木に囲まれている。彫刻家はそれを「見る」ために、自身の感性と対話する。精霊の導きによって没我の境地に至りながら、黙々とパターンを刻む。結果、細部に魂が宿る。


だが、このような芸術は現代社会のようなスピーディなものではない。一代ではなく、何代もの世代を通して育まれたものだ。異なる人物が作っても、世界観は一致している。芸術というものは存在しない。ただ作者が存在しただけだ。というゴンブリッチの論とは対極を表すだろう。
作者は存在する必要がないのだ。ただ精霊・真理が存在したのである。
元来存在する世界観を、世間と共有するために芸術はあった。
農耕民族特有の集団主義は、個人的な経験に基づく潜在意識的世界観を表出させる現代的個人主義の芸術とは対極である。目指すものが違うのだ。


さて、ミュージアムの後は、歩いてゲストハウスに向かった。荷物を置いて来たのだ。6時までに荷物を取りに行き、昨日泊まるはずだったホテルにタクシーかトゥクトゥクで向かう予定だった。
道すがら、鎖に繋がれていない犬や猫に出くわした。彼らは人懐こく、足に絡みついてじゃれた。思えば、猫に好かれることは初めてだ。猫は孤独な人間を見極めるというが、異国の地に来て初めて孤独な人間と認識された。

道は狭く、垣根の草が生い茂っている場合が多かったが、何故かさほど狭苦しい思いをすることはなかった。
チェンマイの真ん中は個人経営の飲食店が乱立していた。皆仲良さげに何かをしていた。時たま、好奇の目でじろじろと見られる様な気もしたが、そこまで嫌味な目つきではなく、どちらかというと気持ちの良い眼差しだった。
トムヤムや炒飯、ヌードルの店が多く、どの店を選んでもそれなりに安く、なかなか美味しいご飯にありつける。平均は、100バーツ。コーヒーは一杯40〜50バーツだ。コンビニへ行けば炭酸水が10バーツかそこらで買えるし、食うには困らない町だ。屋台も多く、原付をだかトゥクトゥクを改造した屋台に、家族4人で町を走る親子や、チリチリと鐘を鳴らしながらアイスクリームを売るおばさんなど、出張八百屋みたいなものまで数多く存在する。

昼間食べたアイスクリームの話をしよう。ある乗用車が、狭い道を走る。思い出したように車を止め、中のおじさんが窓越しに、乳母車くらいのカートを押しながら歩くオバさんとなにやら話を始める。オバさんが何かをつくって、オジさんに渡すと、オジサンもコインを渡す。何かと聞くと、アイスクリーム、たったの10バーツ美味しいよ、どっから来た?コリア?ジャパン?とオジサン。ジャパンと応えると、オー、トーキョーはビッグシティ、イイね。またな、と車を走らせる。
薄汚れたおじさんが嬉しそうにアイスを持って運転してるのをみると、私も無性にアイスが食べたくなってきた。オバサンは、私の気持ちを分かっているかの如く、笑いながらせっせとアイスをすくっている。ビニール袋に入れられた二枚の薄い食パンの間に、丸いアイスを5、6すくい、上から赤い梅のような味のするシロップ、砕いたナッツ、カラフルな粒を振りかけ、私に渡す。美味だった。


結局、夕飯は、カツカレー。日本が好きらしく、日本風のカレー。普通に旨い。ジョウという名の護身術を見につけた若い男ポンに出会う。
ゲストハウスに向かう途中、道に迷い、コーヒー屋でラテアートをした。

ホテルはリッチ。勝手にアップグレードしてくれた。最上階でキングサイズのベッドを使っている。少しプールで泳いだが、水が臭く、3日間お湯を変えずに使い続けた風呂のようだった。光に映る水は少し不透明で、心なしか白く淀んでいる。パッと見た感じは清潔なのだが、嫌な感じだ。すぐ切り上げて風呂に入った。泡風呂をした。お土産のコーヒー豆は、ミルが無いので、ホテルの皿とコップの底で砕いてお湯を注ぎ、しばらくしてスプーンで表面のカスをすくい、飲んだ。まぁ、美味しくはないが、飲めないこともない。
明日はなにを食べようか。このままでは、体重は増える一方だろう。

明日は、ネイチンという24のタイ人大学生と昼の3時からぶらぶらする。彼も絵を描くらしい。楽しみだ。

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