2013年11月29日金曜日

28. サイゴン

28. サイゴン

仮説の行方を決めるのは読者であり、作者ではない。物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。

朝起きて、カフェに行こうとした。エアロプレスがおいてあるということで、少し期待した。バイクを借り、向かうも、見つからなかった。仕方なく、abcベーカリーというところで、ピザパンとオレンジジュースを飲み、ベトナム戦争博物館へ。

バイクの運転はとても危険。クラクションが、白熱した国会のヤジのごとく飛び交う。道の大半はバイクが占めるが、時々マグロの群れに紛れ込んだカツオのごとく、自転車が負けじとバイクに速度を合わせる。

道に迷い、信号待ちで地図を確認しながら、目的地へ。

ベトナム戦争跡博物館へ
ここでは、ベトナム戦争に使われた兵器や、当時のポスター、キャパの写真など、戦争のおおよそが学べる。奇形児の写真は目を背けたくなるようなグロテスクなもので、ホルマリン漬けの双子の胎児が二組、水槽の中で苦しそうに眠っていた。
奇形児の写真のいくつかは、子供だった。だが、実際には、成人した人々の写真も多く、奇形児というより、奇形を持って生まれた人という印象だった。
私は、この指一本たりとも失いたくはない。
素直にそう感じた。しかし、持つものと持たざるものという関係性を、そのまま富に当てはめるなら、この願望は幾分エゴイステックな響きさえする。
貨幣の持つ物神性に対して、身体は如何なる性格を持つのであろうか。足りない脳みそが疑問を呈した。

論理の飛躍を恐れずにいうなら、資本主義は人々の肉体さえも商品にしてしまった。持たざる者は、自身の時間を唯一の商品として、市民権を得る。結果、身分制度は原理的に消滅したのである。だが、資本主義は同時に階級社会をつくりあげた。ブルジョワとプロレタ。狂信的な共産主義者は、資本の肉体束縛性を否定しすぎた挙句に、肉体そのものをなかったことにしてしまった。

ギイイィィと、赤ん坊が泣く。甘美な浜辺のまどろみに、遠く響くは汚れた叫び。救われない存在が、愛の気だるさを冷やかす。罪の無い子供たち。やがて、取り返しのつかない大人になり、後悔と現実に想いを馳せる。


キャパの写真とは対象的に、文洋の写真は、人々の希望が窺われた。手足を失った人々、奇形児をあやす看護婦、森を失った兄妹、そういった人々の微笑みは、強く胸を打つものがあった。彼らは、希望を、持つべきではない。希望を持ったところで、腕は帰ってこない。愛らしい表情を浮かべることは出来ない。足の指でペンを持たなくて良くなることはない。彼らは、私たち五体満足の人間と肩を並べて歩くことは出来ない。極度の背伸びを強要され、人々に同情の眼差しを向けられることを、避けることは出来はしない。

嗚呼、それなのに、何故笑っていられるのだろう。笑いは残酷である。微笑みの中に、重くて柔らかい無言の訴えがある。変えられない過去の必然。何と言えばいいのだろう。逃げても逃げきれない運命の中に、浮かぶ微笑みの切なさ。陰鬱な輪廻の海に浮かぶ蓮の桃色の微笑みは、何を意味するでもなく、一瞬の気まぐれでこころに鋭い癒しの切れ込みを加える。


止めることのできない時間は惜しむためだけではなく、美しい瞬間を次々手に入れるために流れていく。


詩人だね、旅人は。いよいよ私も。苦笑。
人は常に笑を求めていると。笑いというのは自分自身を客観視しているからできる事だとかなんとか………

宿に帰り、インド人のおばさんとしばし会話をした。こっちで仕事を探しに来たらしい。インドのオススメスポットを聞いたが、薄情にも全て忘れた。とりあえず、カルカッタはサイゴンと似たような、大きくてうるさい都市らしい。屋台は、必ずしも現地のほとんどの人が食事をするところではなく、衛生状況は選ぶべきだと言う。

沖縄から来たお姉さん二人と食堂で飯を食う。意外と日本人多い。





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