2013年11月30日土曜日

51. アグラへ

51. アグラへ

6時に起きて、紅茶とビスケット7枚。

道に迷い、リキシャをつかまえる。あの道は右だったのに左に曲がってしまった。

神の使いだが何だか知れないが、牛がうざい。臭い。馬糞はゆるゆるである。草ではなく、残飯を食べているせいだろう。反芻しない牛に知性は感じられない。

ムガルサライ駅へ。リキシャ160ルピー。他に客が乗ってたが、降りた。ムガルサライまでか、でかい山だな、儲けさせてやろう。という降りた乗客たちの心意気が垣間見得た。

砂ぼこりだか霧だか分からないが、とにかく空気がきたない。霞んでいる。

素朴な疑問の欠如。
ストレストゥーマッチなせいか。

キーボードとiPhoneのちがい。


渋滞だ。リキシャはおもむろに反対車線を走り始めた。前からドでかいトラックが突っ込んでくるが、右へ左へ避ける。



私は今、列車の中だ。9:49
まもなく列車は発車する。チャイチャイチャイチャイチャーイ。サモササモサーサモササモサー。抑揚のない声でおっさんが売りにくる。おかしな国だ。ドラクエの世界だ。マトリックスの世界だ。全てはプログラムされてるんだ。そんな感じがしてくる。
何故だ?

東京だって、プログラムされた世界と言えないとは限らない。しかし、慣れ親しんだ日常においては、何故か我々はそれをめったに疑うことがない。
おかしな国。違う言語。
間違いなく彼らは私とは違う世界に生きている。別の理屈で生きている。完成された異世界にあっては、私の存在は頼りない。

ホーム、ホーム、ホーム。ホーム、スイートホーム。
家を持たない人々は、世界を変える気が起きないだろう。完成された異世界の借りぐらし。市民権を持たないということは、世界の構成に発言権や拒否権を持たないということだ。
やはり、


理解しえないものは、理解しえない分類で認識するのだろうか。


前でパンを頬張ってる爺さんの声と仕草、目つきなどがマーロンブランドに似ている。

歴史なんて、大体が大袈裟だ。
未来であるおそらくのために、今という瞬間の人がこのとおり、とお墨付きを与えるために書いたものだ。去年書いた歴史は、今年を持って修正される。おそらく、に不必要なこのとおりは、正しく修正するという形で、葬られる。塵となり屑となり、分解される。煙になった死体は肉体には戻れない。燃えつきたらおしまいだ。燃えかけの地図を頼りに推測臆測を図るしか手立てはないのだ。

犬は、猿は、牛は、歴史を必要とするだろうか?
しない。
なぜだ!!!

なぜ人間は、瞬間を生きることを拒否するのか。
否、なぜ人間社会は、瞬間を生きることを拒否するのだろうか。
過去も未来も、どうだって良いじゃないか!
死を意識するからかしら。

今いる友達が、明日にはみんないなくなったって、良いじゃないか。私には肉体があるのだから。

世界が、私とは違う論理で動いていたら?
表面では大丈夫。しかし、根底で私が狂人扱いされていたら。仲良くなった、分かり合えたと思ったら、彼らが私に合わせてくれただけで、実際には全く分かり合えてなどいなかったとしたら。あらゆる人間が、私とは違う異質な世界で繋がっていたら。

私には、私の世界しかない。

しかし、実際のところどうだろう。私は、誰かと同じ世界を共有していると言えるだろうか?

世界の共有は、同じ言語、同じ鍵で可能になる。コンピュータ通しを繋ぐコードの様に。


同じ鍵。
人間である限り、食欲、睡眠欲、性欲は同じ鍵だ。
はて、歴史は?


私は記憶の中で彼らと会うことが出来る。

普通の人はおそらく、自分の世界が完成する前に、他人の世界に屈服してしまうのでは無いだろうか。安心として、我々は完成された世界が必要なのだ。

私は何者でもない。nobody
彼らは、私が何者かであることを期待している。
私は、自分で自身の仮面をつくらなければいけないらしい。面白おかしく仮面づくりに夢中になる人もいるらしいが、私は興味がない。誰かに作ってもらいたい。




...
冴えない高校時代を思い出す。
頭の中はセックスで一杯だったと思う。名を上げること、虚栄心もたっぷりだった。それでいて、ナイーブだった。周りと合わせることを嫌い、可笑しな言動をとって不思議がられていた。


一年生、合宿の電話、数学教師、ソフトボールの怪我、芋っぽいクラスメイト、可笑しな言動
二年生、あんまり覚えてない。文系を選んだ後悔、原宿、変な髪型、文化祭の劇、夏の撮影、自己嫌悪の冬
三年生、似たような記憶、受験生、千葉の遠くの予備校で机に向かう、インスタントコーヒー中毒、沖縄、
浪人、スターバックス、宅浪、バセドウ病、奈奈、飛んでいった空のカップ、めそめそした思い出、泣いたドビュッシー、奈奈の母、父に対しても同じ感情があります、

弱い者いじめ

父の思い出
高い高い飛行機の記憶。広く低い陰鬱なアパート。つまらないおもちゃ。泣きたくなる空気の薄い感じ。

数年前、
父代わりだった祖父は、前立腺癌にかかり、男としての誇りを失ってしまった。
一緒に風呂に入り、背中を流した。明るく振舞ったが、泣きたくなった。

強かった父は弱々しくなってしまった。


よく泣いてたな。何でだろう。泣くことにはきっと中毒性があるんだな。泣くことで、平安を得る。その代わりに、何かエネルギーを失う。

眠ることと泣くことは、表裏であろう。


思えば、私は昔と今が繋がっていない。どこかでぶつっと切れて、今はよく分からないところから根を張っている。


幼少時代は永遠に尾を引く。
未経験に染みる初体験は、今後の人生を無意識に決定する。



おっさん通しが喧嘩している。大声で怒鳴りあっている。線路のがたがたいう音と競うかのように、いい大人が怒鳴りあって喧嘩している。
センチメンタルでメランコリックな思いとは裏腹に、このインド人たちはこういう論理で生きている。

笑える。

列車は、これ以上ない力強さと傲慢さで汽笛を鳴らし、空気のかたまりを蹴散らして爆走する。大きな牛ですら、この車輪には敵わない。屈強な足の骨は、割り箸についているつまようじの如く簡単に粉々だろう。

世界一強い乗り物に乗っているかのような錯覚。広い国インドの狭い認識。


人間は管である。立体的な管だ。管の壁面に、たくさんの入り口と出口がある。


列車が動き始める。車内に広がるアンモニアの臭い。

起承転結の転だな、インドは。


貧乏な人々。金持ちが彼らに金をあげれば解決するじゃないか!と思っていたけど、私は物乞いに1000ルピーすらあげない。
彼らから見たら私は金持ちで、金持ちからみたらもっと金持ちはいるのだ。

心の平安、苦しみ。
ビジネスになるなぁ、ははは。

ゲストハウスは400。Wi-Fi風呂付き。まぁ、良い。

イタリア人2人旅が葉っぱを勧めてきた。もしかしたら明日の朝、一緒にタージマハル行くかもしれない。ファッキンとかチアーズとか、ヒッピー気どりだ。ははは

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