2013年11月30日土曜日

49. バラナシ

49. バラナシ

ガンガーは小さな川だ。江戸川の二倍くらいだろうか。向こう岸は誰も住んでいない。汚れているらしい。

こちら側とあちら側、三途の川の様なものか?

死ぬとこの川に流され、清められるという。人々は死を見つめ、川に祈るのだろうか。


向こう岸は、曇り霞んでいる。太陽が顔を出しても見えない気がする。

向こう側は汚れている。そういう先入観でものごとをみてしまう。宗教から先入観を抜いたら、何が残るんだろう。


Jaipur トニーゲストハウス


死とは、
私とは関係無いもの。
牛の糞。
犬の交尾。

キャンプファイアーの用量で薪を2段ほど積み、死体を乗せる。死体は白い布に包まれて、まるでミイラの様だ。竹で出来たはしごで神輿のように死体を火葬場に運んでくる。はしごに乗った死体は花やぴかぴかのラメで飾られ、遺族の想いが見える。

二段の薪に載せられた死体に遺族と思しき男が、さらに何本か太い薪を乗せ、稲の穂のような箒状の枯れ草で二度三度死体の頭を触る。

そうそう、死体は北枕だった。

音楽は常に流れている。川や時間同様、音楽は古い過去を忘れ、少し前の過去と少しの未来を繋ぐべく、今を流れ続ける。

近くで見続けていると、少年がガン飛ばしてくる。何度も何度も落ち着きなく後ろを振り向き、目を合わせてくる。遺族かな。うるさいな。気が散るから大人しくしてくれないかな。
うしろから日本語で話しかけてくる男。うるさい。邪魔だ。他のインド人たちもこちらを見ている。

ひょっとしたら、邪魔なのは私の方なのかもしれない。別の民族の死を見つめて、自分の死を考えるなんて、そもそもおかしな話だ。
日本人なら日本の火葬を見つめ、死を考えれば良いだろう。

私はそっと距離をおいた。



死体にはまだ魂が宿る。まだ機能する機関がある限り、死体の一部は生き続ける。

それを、徹底的に殺すために、葬るわけだ。

肉体は、その人の最期の所有物である。その人が死んだ時、各器官は所有者をなくす。
その人の身体は、物質となり、誰かによって処理される。

存在。
死と同時に、存在しなくなるその人の魂。魂として、宙を彷徨い、存在し続けるのだろうか?それとも、マッチの火が消えるみたいに、ふとなくなってしまうのだろうか?
火は、存在するか?

有機物と酸素が化学反応を起こし、光を発している状態を、火と読んでいるだけではないだろうか。
だとすると、火とは、状態なのではないだろうか。

そう考えると、生とは、状態のことであろう。


なぜ、死を恐れるのだろう。
私はむしろ、生に与える痛みや苦しみの方が怖く感じる。
首をのこぎりで強く引っかかれた痛み。生温かい血の皮膚を滴る嫌な感覚。吐き気を催す内蔵の伸縮。こみ上げてくる消化途中のヘドロ。

...


死んだら天に昇るのか?川に流され何処かへ行くのか、そんな気もする。ここの川は終わりがない。

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